俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

言論の冒涜

2013-03-04 10:42:23 | Weblog
 84歳の母と話していて時々驚かされる。とんでもない常識外れのことを言い出すからだ。認知症の兆候か、と身構えてしまうが、何のことはない、ただの週刊誌情報の受け売りだ。
 都会に住む人には分からないかも知れないが、田舎の老人は今でも活字信仰を持っている。活字でしか知らない都会の情報をまるで外国での出来事のように真に受けてしまう。週刊誌の記事が嘘だらけであることは都会に住む人にとっては常識でも田舎者は本気にしてしまう。
 私は未だ読んだことが無いが、東京には東京スポーツという物凄い新聞があるそうだ。何でも事実よりも嘘のほうが多いらしい。東京に住む人は多分ジョークとして受け流しているのだろうが、田舎者がこれを読んだら驚嘆するだろう。
 テレビの歴史ドラマも脚色が多過ぎるように思う。明らかに史実と違っていることがしばしばある。史実に基く新解釈なら構わないのだが、史実を歪めて話を面白くするのは歴史に対する冒涜だ。偽史の捏造だ。
 老人や子供は活字と同様テレビを信じ勝ちだ。テレビの歴史ドラマを見たせいで誤った歴史を刷り込まれているのでは教育効果ゼロどころかマイナス効果だ。娯楽のために歴史を改竄すべきではない。日本では言論・出版の自由が保証されている。しかしその自由を悪用してデタラメが横行するのなら困ったことだ。
 プラトンは「国家」で詩人を有害な者として否定した。事実よりも虚構を、思索よりも娯楽を優先するからだ。私はこれを極論として軽く考えていたが、マスコミに騙されっ放しの母を見ていると大真面目に考えざるを得なくなる。

ハトとタカ

2013-03-04 10:08:19 | Weblog
 漫画の「ライアーゲーム」にも使えそうなこんなゲームがある。
 対戦者2人と胴元がいる。対戦者は会話を禁じられてハトのカードかタカのカードのどちらかを選んで同時に提示する。①両者がハトのカードを出せば胴元から両者に1,000円ずつ支払われる。②両者がタカのカードを出せば2,000円ずつを胴元に収めねばならない。③ハトのカードとタカのカードが出た場合、ハトは胴元に1,000円を納め、タカは胴元から2,000円を受け取る。この場合、ハトのカードなら勝てばプラス1,000円で負ければマイナス1,000円、タカは勝てばプラス2,000円で負ければマイナス2,000円なのでランダムの場合の期待値は等しい。
 このゲームでの最善の戦略はお互いにハトのカードを出し続けることだ。そうすれば対戦者は毎回1,000円ずつ得をして、胴元は2,000円ずつ損をする。
 ところが一方がタカのカードを出すと状況は一変する。ハトのカードで損をした人は次のゲームでは必ずタカのカードを使う。そうするとタカ対タカが延々と続き、双方が毎回2,000円ずつ損をするということになる。タカ同士で2,000円ずつ損をするよりもハトを出して1,000円損をしたほうがマシなのだが、タカを出すことによって相手に対する敵意を見せるようになる。これでは損をするばかりでありゲームは続けられない。お互いにハトを出せば互恵関係になれるのに、お互いがタカを出し続けて首を絞め会うような状況に陥る。
 国家間の関係もこれと似ている。お互いがハト派であればwin-winの関係を築けるのに、一方がタカ派になればもう一方もタカ派戦略を選ばざるを得なくなる。
 中国や韓国が反日教育をしていても、つまり「タカ系」であっても日本はハト派であり続けられた。しかし両国が強硬なタカ派になれば日本もタカ派にならざるを得ない。
 これはどの国にとってもメリットは無い。冒頭に挙げたゲームとは違って話し合いが禁じられている訳ではないのだから冷静に協議すべきだろう。それを怠るのは馬鹿げたチキンレースだ。