俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

物語

2014-03-03 10:02:28 | Weblog
 フィクションのストーリーなら好きなように作れる。自分が納得し読者あるいは視聴者が満足するように物語を作れば良い。ところが歴史や科学などの事実は思い通りにはならない。全く不本意な結果になることも少なくない。前者は「かくあるべし」で貫けるが後者は「あるべきでない」ことが起こる。偏狭な人は前者を好み、思慮深い人は後者に従う。不都合な事実は必ずあるのだがそれを認めようとしない人は決して少なくない。
 坂本龍馬は志半ばで暗殺され、織田信長は本能寺の変で殺された。これらはあるべきでないことだった。しかし史実だから変えようが無い。フィクションであれば絶対にこんな結末にはしない。坂本龍馬は総理大臣か大経営者になるだろうし、織田信長なら明を倒しさらに世界制覇をしても構わない。勿論これは歴史ではない。歴史上の人物を使ったフィクションだ。
 iPS細胞は人類救済に役立たず応用の利かない科学に終わるかも知れない。しかしそれが事実であれば受け入れるしか無い。徒労に終わる科学は無数にある。
 浅田真央選手や高梨沙羅選手がメダルを逃すなんて考えられないことだった。しかしそれは実際に起こった。この事実を受け入れるしか無い。
 受け入れ難い事実に直面すれば人は自ら喜んで嘘を受け入れる。例えば大切な人の死を認めたくない人は天国へ行ったのだと信じ込む。不快な事実よりも快適な嘘を人は好む。
 不遇の人は虚構に憧れる。虚言癖の人は惨めな境遇を忘れるために自らの意思でファンタジーへと逃避しようとしている。精神の安定のためにファンタジーを捏造することは許容されても良かろう。しかしそれを外部に発信して信じることを強要するなら狂人だ。オウム真理教徒のようなものだ。
 事実は重い。ハッピーエンドに捻じ曲げようとしても徒労に終わる。そんな妄想に逃避することなく、事実に対して忠実であり続けたいものだ。主観世界だけではなく歴史や科学まで捏造することは人類の叡智に対する冒涜だ。

オスとメス

2014-03-03 09:29:49 | Weblog
 殆んどの動物と同様、人類のオスは競争的でメスは協調的だ。これはオスとメスの優劣という意味ではない。異なった戦略を同時に採用することによって種としての繁栄が可能になっているということだ。またこれは絶対評価ではなく相対評価でありあくまで平均値としての差異だ。協調的なオスも競争的なメスもいる。あるいは文化によっても異なる。日本人は協調的であり、中国人・韓国人・アメリカ人などは競争的だ。
 オスは競争するために存在する実験体だ。オスは個体レベルでのバラ付きが大きい。オスの授精力は殆んど無限なのだから適応できれば多くの子孫を残すしデキが悪ければ淘汰される。最も多くの子孫を残したのは史上最大の帝国を築いたチンギスハーン(ジンギスカン)だと言われている。どこまで本当なのかよく分からないが彼のY遺伝子を受け継ぐ男性はアジアからヨーロッパにかけて約1600万人いるそうだ。X遺伝子も含めれば約3200万人になる。
 哺乳類のメスには授乳という大切な役割がある。オスには不可能な業務だ。人類のメスにとって絶対に欠かせないのは乳児の欲求を理解する能力だ。言葉を持たず泣くだけの乳児を正しく育てるためには高度な共感力が必要だ。これが協調性に繋がる。
 競争的や協調的という性質は先天的でありかつ後天的でもある。先天的に備わった特性は後天的に更に強化される。遺伝的に優れた身体能力を持った人がその才能を生かすために鍛錬に励んで超人的な力を発揮するのと同様に、先天性の違いは後天的に増強される。
 平均的男性よりも競争的な女性もいる。そんな人は競争社会に参入すれば良い。それは個人の自由だ。私はむしろ協調的なオスでありたいと思う。中韓米のような競争社会など真っ平ご免蒙りたい。古来「和を以って貴しとなす」日本人である私にとっては協調的社会のほうが居心地が良い。競争に参加する権利があるように、協調という戦略を選んで競争から離脱する権利も当然認められるだろう。