フィクションのストーリーなら好きなように作れる。自分が納得し読者あるいは視聴者が満足するように物語を作れば良い。ところが歴史や科学などの事実は思い通りにはならない。全く不本意な結果になることも少なくない。前者は「かくあるべし」で貫けるが後者は「あるべきでない」ことが起こる。偏狭な人は前者を好み、思慮深い人は後者に従う。不都合な事実は必ずあるのだがそれを認めようとしない人は決して少なくない。
坂本龍馬は志半ばで暗殺され、織田信長は本能寺の変で殺された。これらはあるべきでないことだった。しかし史実だから変えようが無い。フィクションであれば絶対にこんな結末にはしない。坂本龍馬は総理大臣か大経営者になるだろうし、織田信長なら明を倒しさらに世界制覇をしても構わない。勿論これは歴史ではない。歴史上の人物を使ったフィクションだ。
iPS細胞は人類救済に役立たず応用の利かない科学に終わるかも知れない。しかしそれが事実であれば受け入れるしか無い。徒労に終わる科学は無数にある。
浅田真央選手や高梨沙羅選手がメダルを逃すなんて考えられないことだった。しかしそれは実際に起こった。この事実を受け入れるしか無い。
受け入れ難い事実に直面すれば人は自ら喜んで嘘を受け入れる。例えば大切な人の死を認めたくない人は天国へ行ったのだと信じ込む。不快な事実よりも快適な嘘を人は好む。
不遇の人は虚構に憧れる。虚言癖の人は惨めな境遇を忘れるために自らの意思でファンタジーへと逃避しようとしている。精神の安定のためにファンタジーを捏造することは許容されても良かろう。しかしそれを外部に発信して信じることを強要するなら狂人だ。オウム真理教徒のようなものだ。
事実は重い。ハッピーエンドに捻じ曲げようとしても徒労に終わる。そんな妄想に逃避することなく、事実に対して忠実であり続けたいものだ。主観世界だけではなく歴史や科学まで捏造することは人類の叡智に対する冒涜だ。
坂本龍馬は志半ばで暗殺され、織田信長は本能寺の変で殺された。これらはあるべきでないことだった。しかし史実だから変えようが無い。フィクションであれば絶対にこんな結末にはしない。坂本龍馬は総理大臣か大経営者になるだろうし、織田信長なら明を倒しさらに世界制覇をしても構わない。勿論これは歴史ではない。歴史上の人物を使ったフィクションだ。
iPS細胞は人類救済に役立たず応用の利かない科学に終わるかも知れない。しかしそれが事実であれば受け入れるしか無い。徒労に終わる科学は無数にある。
浅田真央選手や高梨沙羅選手がメダルを逃すなんて考えられないことだった。しかしそれは実際に起こった。この事実を受け入れるしか無い。
受け入れ難い事実に直面すれば人は自ら喜んで嘘を受け入れる。例えば大切な人の死を認めたくない人は天国へ行ったのだと信じ込む。不快な事実よりも快適な嘘を人は好む。
不遇の人は虚構に憧れる。虚言癖の人は惨めな境遇を忘れるために自らの意思でファンタジーへと逃避しようとしている。精神の安定のためにファンタジーを捏造することは許容されても良かろう。しかしそれを外部に発信して信じることを強要するなら狂人だ。オウム真理教徒のようなものだ。
事実は重い。ハッピーエンドに捻じ曲げようとしても徒労に終わる。そんな妄想に逃避することなく、事実に対して忠実であり続けたいものだ。主観世界だけではなく歴史や科学まで捏造することは人類の叡智に対する冒涜だ。