俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

冤罪?

2014-03-09 10:18:51 | Weblog
 平成20年に難波で起こった個室ビデオ店放火殺人事件の上告が6日に棄却され、小川被告の死刑が確定した。16人の殺害であれば重大犯罪だが、そもそもこれは殺人事件なのだろうか。警察による事情聴取で「生きているのが嫌になり衝動的に火を付けた」と自供したとされているが、被告はその後、一貫して否認している。これでは被告が本当に火を付けたかどうかさえ疑わしい。
 警察は自供させるために容疑者を徹底的に追い詰めて錯乱させようとする。これまでに何度もこの手口で冤罪事件を生んでいる。精神的に追い詰められた容疑者は半分錯乱しているので最後には諦めて何と言われても頷いてしまう。「皆殺しにしたかったのか」「誰でも良かったのか」「社会に復讐したかったのか」こんな警察が思い描いた物語に沿った誘導尋問に頷かせて調書をでっち上げるのが彼らの常套手段だ。時には「後で取り消すチャンスは何度でもある」と騙してサインさせることまであるらしい。勿論、調書にサインをしてしまえば一巻の終わりだ。冷静になってから取り消そうとしても取り消せない。
 16人死亡という事実は重い。しかしこれは通り魔事件のような無差別殺人ではないし、殺害のために放火した訳でもない。被告がやったとされているのは火を付けたということだけであり、火が燃え広がったのは建造物の欠陥や従業員の怠慢に負う所が大きい。それにも拘わらず店もビル管理会社も過失致死罪にさえ問われていない。著しく公正性を欠いている。
 殺意の欠片も見られない被告が死刑にされるのは現住建造物等放火罪が殺意の有無を問わない特殊な法律だからだ。放火という行為だけで殺意があったと見なす特異な法律だ。確かに放火は不特定多数に危害を及ぼし得る危険な犯罪だが「殺意の無い殺人」という概念は形容矛盾ではないだろうか。この法律は見直す必要があるように思える。
 裁判長は「被告は全面的に否認し続けており真摯な反省の態度は窺えない」から「死刑はやむを得ないと判断した」そうだ。冗談じゃない!冤罪であれば否認するのは当然だ。それを反省していないからと極刑にするなんて余りにも理不尽だ。放火と認めたら死刑、認めなければ死刑、これではまるで中世の魔女裁判だ。
 こんなデタラメな死刑判決を許すべきではなかろう。16人の犠牲者を弔うために死刑にするのなら古代の生贄の儀式のようなものだ。こんな酷い裁判をマスコミが問題にしないのも不可解だ。概してマスコミは犯人探しは大好きだが冤罪の恐怖に対しては無頓着だ。

鎮痛剤(3)

2014-03-09 09:33:07 | Weblog
 風邪薬ほどではないが鎮痛剤も有害な薬だ。風邪薬は病気を悪化させるが鎮痛剤は病気による痛みだけを誤魔化す。
 骨を折った時に鎮痛剤で誤魔化して何も治療をしなければどうなるだろうか。通常通りに使い続けるから骨がすっかり変形してしまうだろう。
 肩に炎症のある投手が鎮痛剤で痛みを消したらどうなるだろうか。実際には炎症があるのに炎症が治ったものと錯覚して酷使するから更に悪化する。昔、鎮痛剤で痛みを消して甲子園で連投した投手がいたが確実に選手生命を縮めていた。
 鎮痛剤を飲んで頭痛が治まった時に人は頭痛が治ったと勘違いする。とんでもない話だ。頭痛を感じなくなっただけであり病気はそのまま放置されている。対症療法の致命的な欠陥だ。痛み止めは治療ではない。単に神経を狂わせて一時的に痛みを感じなくさせているだけだ。
 鎮痛剤を使って良いのは次の4つのケースぐらいだろう。
 まず二日酔いや生理痛のように原因が分かっており放っておいても治る痛みなら、とりあえず今の不快感さえ抑えれば良かろう。
 次には手術などの非常時だ。切ったり継いだりするのだから必ず痛みを伴う。原因が明白な痛みを我慢する必要は無い。
 3つ目は治療までの一時凌ぎだ。
 最後に末期症状の時だ。癌などの末期症状の痛みに耐えるか多少余命が縮んでも痛みを緩和するかは当事者が選んで良かろう。
 痛みは警鐘だ。何らかの原因があるからその結果として痛みが生じる。原因を放置して結果だけに対応しても問題は解決されない。それは危険を知らせる警報器や火災報知機が鳴った時に、うるさいからと切ってしまうような愚行だ。テレビCMが頻繁に放映されているが鎮痛剤は危険な薬だ。市販されている医薬品で重篤な副作用が多いのは①風邪薬②解熱鎮痛剤③漢方薬とのことだ。鎮痛剤はその機能が危険を招くだけではなく副作用も多い。