人類の嗅覚は犬よりも遥かに劣るだけではなく多分、哺乳類の中では最低レベルだろう。これは奇妙なことだ。必要でない知覚などある筈が無い。実際に人は貧弱な嗅覚を補うために犬の嗅覚を利用している始末だ。動物の頂点に立つと自称する人類の嗅覚はなぜ退化したのだろうか。
嗅覚の個人差は大きい。ある人には芳香であっても他の人にはきつい匂いであり鼻が曲がるような悪臭かも知れない。人類が臭い場所に住んでいたから嗅覚が鈍い人のほうが適者だったとも考えられる。しかしこんな単純な理由ではあるまい。むしろ人類が群居動物でありコミュニケーションに依存しているからだと考えられる。嗅覚は伝達不可能だから優れた嗅覚という特性が継承されなかったのではないだろうか。
匂いは移ろい易い。ここからここにある、と示すことはできない。同じ場所にいる人の間でしか共有できない情報だ。音もその場限りのものだが、人類には声があるので似た音を再現することができる。しかし発香力は持ち合わせていない。
視覚で捕えた事実は伝達できる。絵に描いたり名付けたりすることによって他者に伝えられる。ところが嗅覚は伝達できない。クサヤの干物であれニンニクであれ「臭い」としか表現できない。誰がこれらをきちんと伝達できるだろうか。化学者であれば化学物質名を使って表現できるかも知れないが部外者には通じない。芳香でも同じだ。せいぜい「○○のような香り」としか表現できない。群居動物にとって共有できない情報の価値は低い。
伝達・共有できない能力が淘汰されるなら困ったことだ。個人には他者に伝達・共有できない長所もある。これらも嗅覚と同様に退化するということになる。つまり集団にとって価値の少ない個性は失われるということだ。私自身、子供の頃にはなぜか方位を知覚できた。狩猟採集時代には人類が共有していた能力だと思うのだが、私の方位感覚もそのうち失われた。多元価値の社会でなければ人類は多様性を失って同じような個体へと「標準化」してしまうのではないだろうか。
嗅覚の個人差は大きい。ある人には芳香であっても他の人にはきつい匂いであり鼻が曲がるような悪臭かも知れない。人類が臭い場所に住んでいたから嗅覚が鈍い人のほうが適者だったとも考えられる。しかしこんな単純な理由ではあるまい。むしろ人類が群居動物でありコミュニケーションに依存しているからだと考えられる。嗅覚は伝達不可能だから優れた嗅覚という特性が継承されなかったのではないだろうか。
匂いは移ろい易い。ここからここにある、と示すことはできない。同じ場所にいる人の間でしか共有できない情報だ。音もその場限りのものだが、人類には声があるので似た音を再現することができる。しかし発香力は持ち合わせていない。
視覚で捕えた事実は伝達できる。絵に描いたり名付けたりすることによって他者に伝えられる。ところが嗅覚は伝達できない。クサヤの干物であれニンニクであれ「臭い」としか表現できない。誰がこれらをきちんと伝達できるだろうか。化学者であれば化学物質名を使って表現できるかも知れないが部外者には通じない。芳香でも同じだ。せいぜい「○○のような香り」としか表現できない。群居動物にとって共有できない情報の価値は低い。
伝達・共有できない能力が淘汰されるなら困ったことだ。個人には他者に伝達・共有できない長所もある。これらも嗅覚と同様に退化するということになる。つまり集団にとって価値の少ない個性は失われるということだ。私自身、子供の頃にはなぜか方位を知覚できた。狩猟採集時代には人類が共有していた能力だと思うのだが、私の方位感覚もそのうち失われた。多元価値の社会でなければ人類は多様性を失って同じような個体へと「標準化」してしまうのではないだろうか。