俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

現状維持

2014-03-07 10:03:06 | Weblog
 現状を維持することは大変なことだ。金メダリストであれ世界チャンピオンであれ流行作家であれ、その地位を保つためには大変な努力が必要だ。ダルビッシュ投手や田中投手などは全力で努力を続けなければ現状を維持できない。
 ではなぜ現状維持という言葉が消極的なイメージを与えるのだろうか。殆んどの人が努力を怠って低レベルに安住しているからだ。頑張っていなかった人は少し努力しただけで向上できる。例えば成績がビリの人なら少し努力すればビリから2番目に上がれるだろう。こういう人が現状維持を馬鹿にする。レベルの高い人ほど現状維持は難しく、低レベルの人ほど簡単に向上できる。低レベルの人が現状維持を馬鹿にして向上しなければならないと主張する。
 老人にとっても現状維持は至難の業だ。精一杯努力しても衰えを免れることはできない。認知症にならないために我々はどれほど努力せねばならないだろうか。体力を衰えさせないためにも血の滲むような努力が必要だ。それでも老化を免れることはできない。
 老化が現れるのは徐々にでも突然にでもないだろう。周期的に現れて進行するものと思われる。調子の良い日と悪い日が周期的に現れて徐々に悪いほうへと全体がシフトする。私自身、頭が良く働く日と働かない日があり、徐々に働かない日が増えている。
 「鏡の国のアリス」の赤の女王の言葉「全力で走らなければ今の場所に留まることはできない」はジョークではなく事実だ。動物は必死になってようやく生き延びられる。大した苦労もせずに生きられるのは人類の一部だけだ。微温湯に浸っている者だけが現状維持を蔑視する。大馬鹿者は現状を破壊するだけでより良い世界が生まれると妄想する。現状を維持することは実は至難の業だ。

食品添加物

2014-03-07 09:38:35 | Weblog
 加工食品には様々な化学物質が含まれており、主に3種類に分類できる。素材に元々含まれているもの、添加されるもの、混入されたもの、だ。誤解され勝ちなことだが、食品添加物による被害は日本では殆んど起こっていない。森永砒素ミルク事件もカネミ米糠油事件も添加物ではなく混入物による事故だ。怖いのは添加物ではなく混入物だ。
 添加する理由は2つに分類できる。品質を高めるためか偽装をするためだ。保存性を高めたり味を良くしたりするための添加は品質向上と言えるが着色料は偽装に該当すると思う。中国ではメラニン混入牛乳というとんでもない偽装事件があった。牛乳を水で薄めた上で蛋白質含有量を増やすために有害物質のメラニンを添加していたという事件だ。
 メラニンは論外だが、添加物の殆んどが品質向上に役立っている。防腐剤を毛嫌いする人がいるが、もしこれを使わなければ食中毒の危険性は数百倍になるだろう。防腐剤が無ければ消費期限は半分以下になり、常温流通ができない食品の価格は高騰して廃棄ロスも増える。ロスが増えれば元々低い食品自給率は更に低下する。
 勿論、防腐剤の危険性はゼロではない。しかしゼロでなければならないという発想は余りにも幼稚だ。有るか無いかではなく有害になり得る量かどうかを科学的に判定する必要がある。かつてコゲに発癌性があると騒がれたことがあった。あとで分かったことだが、それは毎日コゲばかりをバケツ1杯分数十年食べ続けて初めて有害になり得る程度の発癌性だった。飛行機にせよ自動車にせよ危険性はゼロではない。それでもこれらを利用するのはこれらによるメリットと比べればデメリットの起こる可能性が小さいからだ。防腐剤についてもこれと同様にメリットとデメリットを秤に掛けるべきだ。簡単に言えば、防腐剤の危険性よりも食中毒の危険性のほうが遥かに高いということだ。食品添加物による事故は殆んど無いが、新鮮な筈の食材による食中毒は頻繁に起こっている。無添加食品は世間の常識とは逆であって、実は危険な食品だ。
 食品添加物の危険性に脅えるよりも薬の危険性を心配すべきだろう。食品添加物の量は人体に悪影響を与えない範囲に抑えられているが、薬は体に異常反応を起こさせることを目的としているのだから食品添加物の数百倍・数千倍危険と認識すべきだろう。