俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

3f

2014-03-17 10:21:12 | Weblog
 歴史物語はfact、fiction、fantasyの3段階に分けられると思う。
 まともな歴史書はfactだ。しかし何がfactであるかは難しい。例えば「民主党政権と東日本大震災」というテーマで100人が書けば100種類の歴史書が書かれるだろう。事実を把握する時点で既に価値判断が加わる。現代史でさえ難しいのだから情報が乏しい古代にfactを記録することは至難だ。ここでは「三国志」のレベルであればfactとしよう。
 伝承はしばしば相矛盾する。全然違った話が伝わっていることも少なくなくどれが本当なのか判定し難い。この点「日本書紀」は素晴らしい。「一書に曰く」という形で様々な伝承を併記している。どれが事実か分からない場合には最も事実らしいものを本文に採用した上で註釈によって補完することが最善の選択だ。
 factに記されていないことについては想像が許される。司馬遼太郎氏などによる歴史小説はあくまでfictionだがfactに基づく。誰がいつ死んだかなどを歪めることは許されないからそのプロセスを想像力で補ってドラマを演出することになる。「三国志演義」はこのレベルだろう。
 factを無視すればfantasyになる。「三国志」で言えば月刊少年マガジンで連載中の「龍狼伝」などがそれに当たる。この漫画は現代人が三国時代にタイムスリップしたという設定で、登場人物のキャラクターはある程度「三国志演義」を踏まえているが、物語は歴史的事実を殆んど無視している。fictionはfactに基づくがfantasyではfactさえ無視して物語を作る。当然のことだがこれは最早歴史ではない。
 「日本書紀」は天智・天武の時代についてはかなりの歪曲が見られるがそれ以外については正直であろうと努めているようで、都合の悪い話も堂々と記録として残されている。曖昧な記述もあるがこれは嘘を後世に残さないための精一杯の努力だと思える。この正直さは日本人の国民性だろう。その一方で王朝が代わる度に歴史を抹殺した国がある。恥ずかしい事実を記録に残したくないと考えたのだろう。factが無くなればfantasyが歴史の代用品になる。しかしこれは歴史の捏造だ。文字が無かったために歴史が残らないという例は多いが、文字があったのに歴史が残っていないのは異常なことだ。
 「である」と「であるべし」はしばしば対立する。しかし少なくとも歴史と科学においては絶対に「である」に忠実でなければならない。どれほど醜くかろうともfactが優先されるべきであり、factよりもfantasyを好む人には正しい歴史認識は不可能だ。

傷の治療

2014-03-17 09:37:50 | Weblog
 切り傷は縫合すれば治る。しかしこれが可能であるのは自然治癒力が働くからだ。もし自然治癒力が働かなければ縫い糸を抜くことはできず、細胞と同化する接着剤によって傷を塞ぐような方法が必要になるだろう。
 傷の治療は自然治癒力を前提としている。言い換えれば自然治癒力に頼っている。医療の主役は自然治癒力と免疫力であって脇役の医師にできることはその支援やそれが働くまでの時間稼ぎに過ぎない。
 壊れた金槌なら物理的手順だけで直せる。それは元々有機的には繋がっていないただの連結物だからだ。生物の体は違う。外れた部分を単にくっ付けるだけでは治らない。一体化されなければ腐ってしまう。
 動物の自然治癒力と免疫力は素晴らしいシステムだ。病原体に冒された時に発熱するのは熱に弱い大半の病原体の働きを抑えると同時に免疫力を高める効果も持つ。だから解熱剤を使えば病気は悪化する。
 捻挫などをした時に患部が腫れて熱を持つ。これも自然治癒力が働くために必要な反応なのだろう。
 スポーツではアイシングやコールドスプレイがしばしば使われているがこれが有効かどうかは疑わしい。EBM(Evidence-Based Medicine)に基づいているのだろうとは思うが、腫れるという生体反応を抑え込むことは危険なことと思える。冷やせば腫れることを防げるがそれが自然治癒力を阻害しているのなら逆効果だ。腫れないということと障害が起こらないということとは同じ意味ではない。
 変な比喩を使うが、火事になれば消防車が来る。火災も消防車も非日常なものであり異常な事態だ。この「異常」事態を治めようとして我々がすべきことは消防士に対する支援だ。異常なこととして消防士の妨害をしてはならない。異常時に起こる障害と防御反応は両方が症状と捉えられ勝ちだがこれらは明確に区別されるべきだ。火災と消防を同一視してはならない。数十億年掛けて進化した自然治癒力と免疫力を軽視することは小賢しい人類の傲岸不遜であるとさえ思える。