俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

2014年

2015-01-03 20:45:00 | Weblog
 大韓航空によるナッツリターンは決して重大な犯罪ではない。厳重な注意プラス罰金程度で済むことだろう。問題なのは会社と国土交通省がグルになって揉み消しを図ったことだ。これで個人犯罪ではなく国家権力を含めた組織的問題になった。
 賞味期限切れの菓子を売ってもそれが過失であれば大した問題ではない。期限を会社ぐるみで偽装をすれば重大な犯罪になる。
 朝日新聞が誤報をしても許される。間違いと分かった時点で誤報を認めれば済むことだ。しかし32年も経ってから過ちを認めるのは余りにも不自然だ。これは社として事実よりも主張を優先したからだと考えざるを得ない。報道機関としてあるまじきことだ。朝日新聞のホームページには「事実に迫る。ジャーナリズムこそが原点です。」というスローガンが今でも恥ずかしげも無く掲げられている。ちゃんと事実に迫ってほしかった。
 昨年の漢字は「税」が選ばれたが私の印象は「偽」だ。「偽」は既に2007年の漢字に選ばれているから「捏」でも構わない。STAP細胞事件、号泣記者会見、ゴーストライター問題など総てが意図的な捏造だ。特にSTAP細胞の小保方晴子氏には期待していたし、騒動の中で、日本を代表する学者とも思われる笹井芳樹氏まで失ったのだから残念でならない。
 ゴーストライター問題ではなぜ佐村河内氏だけが非難されてNHKの責任が問われないのか不思議でならない。佐村河内氏はNHKが「現代のベートーベン」と散々持て囃したからこそ名声を得た。朝日新聞と同様、重大な誤報だろう。虚言壁のある吉田某の主張を鵜呑みにして報じた朝日新聞が非難されるなら、全聾ではないと多分知りながら番組を作ったNHKの責任が問われるべきだろう。NHKは詐欺の片棒を担いでいたと言えるのではないだろうか。
 海外に目を転じれば、紛争が激化した年だった。アラブの春は「春の嵐」になり「イスラム国」のような史上最大のテロリスト集団まで出現した。ウクライナ問題は民間機撃墜事件へと飛び火した。中国の内外の問題は相変わらず治まりそうにない。ロシアは大変な状況だから、個人的にはこの弱みに付け込んで日本に有利な条件で北方領土問題を解決してほしいと思うが、欧米がそれを許さないだろう。
 エボラ出血熱やデング熱に限らず感染症の危険性は高まる一方だ。日本の医療は有害な対症療法を改めて、感染症対策などの有益な医療に軸足を移してほしいと心から思う。

鼓腹撃壌

2015-01-03 20:05:47 | Weblog
 古代中国の堯の治世でのことだ。帝である堯は粗末な身なりをしてお忍びで町に出掛けた。人民の本音を知るためだ。ある男が腹を叩きながら「帝力何有於我哉(帝なんて関係無い)」と歌うのを聞いて堯はすっかり満足したそうだ。(「十八史略」より)
 生活に不満があれば人は権力者を罵る。権力者の悪政のせいでこんな酷い生活を強いられていると責任転嫁をする。幸福だからこそ権力者が無視される。空気のような存在であることこそ良き治世だ。
 人は空気に感謝しない。空気が無ければ生きられないのに人は空気の存在さえ自覚しない。魚は水の存在を知らない。間違って水から出てしまった時に初めて水の有難味を理解する。
 食物が足りなければ不満を感じる。量が満たされれば質を求める。質も量も満たされればそれが当たり前のことになってしまう。
 経済が順調で良い政治が行われていれば人は権力者を意識しない。日々の生活を考えて幸福に暮らす。不景気になって初めて景気対策を要請する。経済が順調であれば国の介入は邪魔なだけだ。自由放任が求められる。
 平和な社会や不満の無い社会では人は幸福と感じない。痛みを覚えて初めて痛みの無い生活を求める。民主党政権が余りにも酷い政治をしたから改めて自民党のほうがマシだったことに気付く。
 幸福であれば不満を感じない。まともな空気を吸える我々は空気の有難味を知らない。空気に不満を感じるのはかつての四日市住民と中国・インドの住民だ。良い社会とは良い空気のようなものだ。
 快楽主義者(エピキュリアン)とされるエピクロスの理想はアタラクシア(欲望から解放された平静で自由な心境)だ。不平を感じない状態こそ望ましい。ところが多くの宗教は、人間には克服できない老・病・死の恐ろしさを煽り立ててこんな幸福を否定しようとする。彼らは不平分子と結託してこの世を貶めようとする。不平を煽る宗教は総て邪教だ。あの世を賛美する連中は自らの主張に従ってさっさとこの世を去ってくれれば良いと思う。