俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

予言

2015-01-19 10:12:21 | Weblog
 人が関わる予言はしばしば矛盾に直面する。不都合な予言に対して人はそれを覆そうとするからだ。あらゆる手段を尽くしても運命に飲み込まれる人の物語はギリシャ神話にも聖書にも沢山ある。
 実際には予言は覆せるものだ。ある企業の社長人事を日経新聞がスッパ抜いたことがある。広報部には他紙からの問い合わせが相次ぎ、広報部は「事実無根」と否定した。その企業は社長交代を1年延期することによって日経の記事を誤報にしてしまった。これはその企業の広報担当者から直接聞いた裏話だ。
 私の元勤務先はもっと酷いやり方で「新聞人事」を否定した。ある夕刊紙が次期社長について報じたところ、社長は激怒して次期社長と名指された役員を子会社に追放してしまった。その社長と比べて「次期社長」のほうが有能と思えただけに、これが会社の凋落の原因になったのではないかと思う。
 役に立つ予言もある。天変地異に関する予言だ。予め分かっていれば災害に備えることができる。しかし一番有効な筈のこの予言は今のところ外れっ放しだ。地震予知にせよ特別警報にせよ当たったことが無い。
 「石油はあと50年で枯渇する」といつも言われている。今も、30年前も、50年前も同じことを言っている。なぜこの予言は延々と外れ続けているのだろうか?人為が介入するからだ。埋蔵量とはあくまで利用可能な石油の量だ。だから仮に月に石油があっても埋蔵量には含まれない。シェールオイルもシェールガスもかつては採掘コストが高過ぎて役に立たない資源だったが、石油の価格が上がればそれまで利用対象外だった資源も採掘される。こうして予言は覆され続けた。
 南太平洋の島ツバルが地球温暖化による海面上昇によって水没すると騒がれたことがある。その後も米中印および2011年以降の日本などによるCO2排出量は増え続けているが一向に沈む気配は無い。これは予言そのものが間違っていたのだろう。もしツバルの海面が1m上昇するなら日本近海の海面も同程度上昇する筈だが今のところ日本の国土が狭くなったという話を私は知らない。身近な予言であれば検証できるが遠く離れたツバルについて検証することは簡単ではない。騒ぎ立てた張本人のNHKさえ検証しないのは予言どおりに推移していないからだろう。もし予言が実現していればツバルの悲劇を大喜びして報じているだろう。

習慣

2015-01-19 09:37:09 | Weblog
 イモ虫を食べさせられたら日本人は怒るだろう。しかしこれをオーストラリアのアボリジニは常食している。多くの西洋人はタコを食べようとしない。悪魔の魚(devil fish)と忌み嫌っているからだ。
 日本人は土足で室内に入ることを許さない。しかし西洋人にとって靴を脱ぐことは恥ずかしいことだ。いきなりズボンを脱げと言われるようなものだ。
 日本では風呂で小便をしてはならない。しかし西洋人はシャワー室で平気で小便をする。バスとトイレは類似施設だからだ。
 銭湯も日本独自のものだ。西洋人であれば同性愛者だけが大喜びする。日本には今でも混浴が残っていると知れば腰を抜かすかも知れない。
 これらは習慣の違いに過ぎない。民族はそれぞれ異なった習慣を持つ。宗教的裏付けを持つ習慣が冒された時には凄まじい怒りを招く。
 日本人は宗教的意識が低いから冒涜を感じるlことは少ない。それでも鳥居や寺社仏閣や墓石に小便を掛けられたら激怒するだろう。あるいは人肉を食べさせられたと知ったら嘔吐するだろう。これは宗教レベルに近い禁忌になっている。
 日本人は西洋的習慣をグローバルスタンダードだと思っている。これはとんでもない間違いだ。キリスト教圏だけのローカルスタンダードに過ぎない。明治以降、西洋文化を積極的に取り入れたから余り違和感が無いだけだ。
 西洋人も西洋文化をグローバルだと信じている。西洋人と違えば野蛮人だと考える。何と傲慢な姿勢だろうか。イスラム教や仏教やヒンズー教の教えに従った生活を迷信や偏見と決め付けて蔑視する。自らの生き方がキリスト教的偏見に基づいているとは夢にも思わない。西洋人が他文化を蔑視する限り文明の対立は続く。
 タイでは子供の頭をなでてはいけない。頭には精霊が宿っていると信じられているからだ。比較的馴染み深い筈の仏教にも日本人の知らないタブーがある。
 イスラム教やヒンズー教についての知識は余りにも少ない。だからシャルリー・エブド紙による風刺画がムスリム(イスラム教徒)にとってどれほど不愉快であるかを理解できない。これは十字架のイエスのパンツを脱がして不格好なペニスを露出させるのと同じくらい悪趣味で悪意に満ちた表現だ。国内では少数派であるムスリムに対する侮辱であり差別的ないじめだ。
 そもそもイスラム原理主義者によるテロに対する報復をイスラム教に向けることが根本的に間違っている。これはオウム真理教によるテロを根拠にして仏教を侮辱するような愚行だ。