俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

イスラム国

2015-01-27 10:15:02 | Weblog
 日本のマスコミは平気で「イスラム国」と呼んでいるがこの呼称が適切とは思えない。イスラム教に対する偏見を助長するからだ。
 エジプト政府は世界中のメディアに「イスラム国」という名称を使わないように要請している。イラクやシリアでは「ダーシュ」と呼ばれている。欧米ではISISあるいはISILと呼んでいるようだ。日本でも当初はISISと呼んでいたがいつからこんな宗教差別的な呼称を平気で使うようになったのだろうか。日本のマスコミはエジプト政府の意向を無視している。
 「固有名詞だから仕方が無い」と言い訳するかも知れない。しかし誤解を招きかねない固有名詞は通常使われない。絶対承認されることは無いだろうがもし「風邪薬」という薬が発売されたらそのとおりに呼ぶだろうか。あるいはどこかの国のテロリストが「中国」と名乗ったらそう呼ぶだろうか。オウム真理教は仏教の一派だったが彼らが「真仏教」と名乗っていたらそう呼んでいただろうか。キリスト教原理主義者がテロを起こしても日本のマスコミは「キリスト教テロリスト」とは呼ばない。単に「テロリスト」あるいは「原理主義者」と呼ぶ。このギャップは一体何なのだろうか。
 フランスのシャルリー・エブド社に対するテロの時も日本のマスコミはイスラム教に対する偏見を隠そうとしなかった。と言うよりもそれが偏見であることにさえ気付いていなかった。偏見の根は深い。
 日本人はキリスト教的偏見には寛大だがイスラム教的慣習には不寛容だ。アジア人でありながら欧米は正しくアジア・アフリカは誤っているという偏見に凝り固まっている。それは欧米的価値観を普遍的なグローバリズムだと思っているからだ。私は日本的慣習も欧米的慣習もイスラム圏での慣習も同等に尊重されるべきだと考える。日本のマスコミによるイスラム教差別の姿勢は改められるべきだ。
 私はかなり頑固な無神論者だが個々人の宗教的慣習を否定しない。それは生活の根本でもあるからだ。他人の生活様式にまで干渉することは余りにも傲慢だ。これは異教徒を人間と認めないかつての欧米による帝国主義の原理だ。彼らはキリスト教徒以外を人間とは認めなかった。だから平気で侵略をして虐殺を繰り返した。
 マスコミが「イスラム国」を非難する度に日本に住むムスリム(イスラム教徒)は不快な思いをする。テロリストを「イスラム国」と呼ぶことによってイスラム教に対する偏見を植え付けていることをマスコミは反省してこの呼称を自重すべきだろう。イスラム文化に対する冒涜であり国内の少数者に対する侮辱だ。
 昨日(26日)自民党は「イスラム国」と呼ばないと申し合わせたそうだ。これが守られるなら、自民党のほうがマスコミよりも差別の害毒について敏感だということにもなろう。偉そうに他者を批判しているマスコミの国際感覚は自民党以下だ。

治療法

2015-01-27 09:37:21 | Weblog
 治療が有効であるのは原因に正しく対処した時だ。原因を明かさないままでの対症療法は殆んどが無効か有害だ。感染症であれば感染の予防、栄養障害であれば食生活の改善、毒物であれば解毒剤が有効だろう。対策は原因に対応せねばならない。原因を無視して対症療法で対応すれば放置するよりも悪い結果を招くことがある。
 陸軍医でもあった森鴎外は脚気を感染症と信じ込んでいた。当時としては最高レベルの感染症対策を行ったが25万人の兵士を脚気に罹らせて27,000人を病死させた。脚気はビタミンB1欠乏症だから白米食の陸軍とは違って麦飯を採用していた海軍では脚気は広まらなかった。
 和歌山砒素カレー事件では当初食中毒と思われたために下痢止めや嘔吐止めが処方され被害者67人中4人が死亡した。毒物が原因なのだから胃洗浄などが有効な治療法だっただろう。
 平成23年の「焼肉酒家えびす」での腸管出血性大腸菌O-111による集団食中毒ではユッケなどを食べた181人が発症し5人が死亡した。この事件でも下痢止めを処方された患者の死亡率・重篤化率が有意に高かったと言われている。
 これらのよく知られている事例においては誤った治療によって被害が拡大した。よく知られていない話を含めればこんな事例は無数にあるだろう。日本の医療の現場には誤診と誤治療が蔓延している。治療が有効なのは原因に正しく対処した時であり、訳の分からないままでの「とりあえず薬」は危険極まりない。
 精神病や認知症の原因は解明されていない。症状は様々であり原因も様々だろう。抗精神病薬は当り外れが大きいそうだ。効く人もいれば全く効かない人もいる。これは当然のことだろう。原因が異なるからだ。
 懐中電灯が点かない場合、幾つかの原因が考えられる。電池が切れているか電球が壊れているか接触が悪いかなどが原因だろう。馬鹿の1つ覚えのように電池交換しかしなければ懐中電灯さえ直せない。人体は懐中電灯よりも遥かに複雑で多様だ。原因を無視した対症療法とはこんな馬鹿げた治療法だ。