俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

世論

2015-01-25 10:07:54 | Weblog
 極東国際軍事裁判(東京裁判)を受諾することはサンフランシスコ平和条約で定められている。だから日本の政府はこれを否定できない。そのことに付け込んでいるのが中国の習近平国家主席だ。ことあるごとに南京大虐殺を持ち出して日本の謝罪が不充分だと咎める。彼らは強欲だ。
 こんな嘘が定着したのは日本の学者とマスコミの怠慢が原因だ。事実に迫ろうという気概があればこんな嘘をのさばらせることは無かっただろう。当時20~30万人の住民がいたと言われている南京でどうやって30万人を虐殺したと言うのだろうか。白髪三千丈にも等しい誇張した表現がまるで史実のように定着させられてしまった。
 日本のマスコミは政府批判が許されている。政府が国民から隠蔽しようとしていることを暴いても構わない。同様に、政府が言いたくても言えないことを国民に知らせることもマスコミの重要な役割だろう。彼らはこの責任を怠った。
 歴史は事実に基づかねばならない。自虐も美化も歴史を歪める。歴史は科学と同様、事実を積み上げてこそ意味がある。事実に基づかなければ反省して将来のために資することはできない。
 日中戦争にせよ日米戦争にせよ、事実より先にイデオロギーがある。先に結論があるから我田引水ばかりが目立つ。
 日本史の最大の謎は卑弥呼の邪馬台国ではない。なぜアメリカと戦ったのかということこそ解明されねばならない。10倍の国力を持つアメリカとの無謀としか思えない戦争をなぜ始めたのか?このことについて、東京裁判の受諾を義務付けられている政府は何も言えないが、学者やマスコミも本気で解明しようとはしない。私は当時のマスコミの責任こそ重大だと考える。言論統制もあっただろうが、日清戦争と日露戦争で奇跡的に勝った日本軍を神の軍隊と祭り上げ、国民に3度目の奇跡を期待させたのは新聞とラジオだろう。国際連盟を脱退した松岡洋右は帰国時には熱烈に歓迎されたそうだ。マスコミがそんな世論操作をしたからだろう。
 戦勝に酔う国民とそれを煽るマスコミ、これが日米戦争へと繋がったと私は考える。事実に基づいて謙虚に反省しなければ歴史から教訓を得ることはできない。恐ろしいのはマスコミによる世論操作とそれに乗せられる思慮の足りない民衆だ。

骸骨の夢(2)

2015-01-25 09:32:32 | Weblog
 ずっと前に書いたことがあるが、大学生の時にこんな夢を見た。
 大学の教壇には骸骨が立っていた。彼は骨をカチャカチャ鳴らしながらこう言った。「肉を捨てよ。肉はお前の足枷だ。お前を閉じ込める牢獄だ。肉を捨てて骨になればもっと賢く道徳的になれる。」
 これは当時受講していた古代ギリシャの哲学者エピクテトスの倫理学に対する印象がとんでもない形で映像化されたものと思われる。エピクテトスの倫理学はキリスト教道徳の基礎になったとも言われているのでキリスト教批判でもある。
 大半の宗教は欲を捨てることを要求する。欲に引き摺られることによって人は悪事を行う。しかし欲は諸悪の根源なのだろうか。欲を失った人間は腑抜けのようなものだろう。欲を失うとはエネルギーを失うようなものだ。欲に引き摺られることは愚かだが欲を制御することこそ望ましい生き方ではないだろうか。欲があるからこそ食事も音楽も学問も楽しめる。欲に仕えるのではなく欲に奉仕させるべきだろう。人が去勢されれば煩悩から解放されるのではなく悦びを失うことになるだろう。
 フロイトは心的エネルギーをリビドーと名付けその本質を性欲としたが、エネルギーをわざわざ性欲に置き換える必要は無かろう。私は欲こそ心的エネルギーそのものだと考える。
 この夢での説教者は骸骨だ。骸骨とは死のシンボルだろう。つまり少なからぬ道徳家は「生」ではなく「死」の側に立っているのではないだろうか。思索者の多くは陰鬱な人だ。陰鬱な人が陰鬱な人のための理想を説く。彼らの理想は諦念であり解脱だ。しかし生とは欲でありエネルギーに他ならない。生を否定し「あの世」を賛美する者が欲を否定し従順であることを求める。
 従順な家畜であるよりは野生の獣でありたいと思う。I want(したい)ということを行動原理に据えなければ自由は無い。周囲の影響によって求めさせられていることと真に自分が欲することとを峻別することがその第一歩であり、「汝自身を知れ」を「汝の欲を知れ」と言い換えても良かろう。