俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ツガイ

2015-01-09 10:07:43 | Weblog
 鳥の多くはツガイで子育てをする。これは倫理的な理由ではなくそうしなければ子孫を残せないからだ。生存のために最低限必要な能力を100とするなら個々の鳥は150ぐらいを備えているだろう。しかしこの程度の能力では単独で子育てをできない。親子共倒れにもなりかねない。ツガイであればこそ両者の余力を合わせることによって親も子も死なずに済む。
 人類の子育てはもっと大変だ。人類の発育は全動物中で最も遅い。それにも拘わらず人類の生存余力は鳥よりも少ない。個体差が大きいが120ぐらいと想定して良かろう。自分一人が生き延びるだけで精一杯であれば日々の糧を稼ぎつつ育児をすることなど不可能だ。だから鳥と同様ツガイで育てて更に学校のような共同保育所も必要になる。夫が稼いで妻が子育てをするという役割分担は理に適っている。
 もし夫婦共に働こうとすればアウトソーシングが必要になる。現代では託児所ばかりに関心が向けられているが祖父母の活用こそ最も望ましい。私は人類の寿命がこんなに長くなったのは孫を育てるためだとさえ考えている。その意味でかつての大家族制は合理的だった。家制度の崩壊と共に大家族も否定されて核家族化されたが、なぜ日本人がこんな方向に一直線に向かったのか理解できない。もしかしたら日本人の絶滅を狙うアメリカの陰謀なのかも知れない。
 核家族制は多くの不幸の原因になっている。最近問題化されている貧困児童や老人の孤独死、あるいは生活保護の激増、これらは大家族制であれば激減する。
 人類には奇妙な特性がある。孫を特別可愛く感じるという特性だ。孫は子の半分しか遺伝子を引き継いでいないのだから血縁性は薄い。他の動物であれば近縁者を大切にするのに人類だけが孫を溺愛する。これは個体の生存余力が極めて乏しい人類に特有の異常な進化だろう。個々の力が乏しいから集団で生きざるを得ない人類は繁殖においても近縁者の協力を得るという特殊な特性を獲得したのだろう。

医療費

2015-01-09 09:36:12 | Weblog
 国民は高額の医療保険費を徴収されそれにも拘わらず健康保険は多額の赤字を垂れ流し続けている。本来であればこんな妙なことになる筈が無い。これが国民の健康増進のために役立っているなら必要な負担だがどうやらそうではなさそうだ。無駄な医療のために多くが使われている。
 3種類の無駄があると思う。①不治の病の治療②勝手に治る病に対する偽医療③不必要な医療。
 ①不治の病・・・・私は癌と認知症は不治の病だと思っている。治せない病の治療に幾らお金を注ぎ込んでも死に金にしかならない。苦痛の緩和だけが有効だろう。近藤誠医師は、癌は放置することが最善と主張する。癌が発見された時点で既に転移しているから助からない。早期治療で助かったとされている症例は実は良性腫瘍の「がんもどき」だった場合に限られる。良性腫瘍であれば手術する必要さえ無い。つまり助からないことが分かっている手術か放っておいても助かる人に対する手術の2種類しか無い。要するに癌の手術は無駄だということだ。
 本当の認知症であれば治らない。認知症もどきであれば治る。例えば降圧剤で血圧を下げれば脳に充分な血液が届かず知的障害が起こる。これは簡単に治る。降圧剤をやめれば良い。ところが無駄で有害な医療をやめずに更に薬漬けにするという愚行が医療の名の元で行われている。
 ②勝手に治る病・・・・通院者の多くを占める風邪は勝手に治る。実は風邪を治す薬は無く、対症療法で症状を誤魔化している内に自然治癒力が働いて勝手に治る。
 ③不必要な医療・・・・生活習慣病とされている患者の大半は治療する必要が無い。医師の学会が不当に厳しい基準値を勝手に設定して健常者を病人扱いしているだけだ。36.9℃を病人と定めるようなデタラメな基準値だ。それだけではなく降圧剤のように健常者を病人にする薬もあれば、新型糖尿病治療薬のように患者を死に至らしめる劇薬もある。
 このように医療費の半分以上が無駄遣いだ。癌と戦いたい人の権利を否定しようとは思わないが無駄な戦いであれば健康保険の対象外として自己負担で足掻くべきだろう。個人の道楽まで国民が負担すべきとは思えない。
 無駄な医療をやめれば必要な医療が充実する。偽患者が通院しなくなれば病院の待ち時間も減る。これらは庶民の無知に付け込んだ大規模な詐欺のようなものだ。