気象庁は3日に「近畿地方で梅雨入りしたと見られる」と発表したが、なぜこの時点で梅雨入りと見なしたのだろうか。4日の近畿地区の予報は殆んどが晴であり、実際に大阪の4日の天気はこの1か月でも最高と思えるほどの晴天だった。梅雨入りは5日以降としても良かっただろう。一方では梅雨入りとしてもう一方では翌日の天気を晴と予報する。これでは自己矛盾だ。
自己矛盾のパラドクスは沢山ある。古くは「クレタ島の人はいつも嘘をつく」とクレタ島の人が語ったとするエピメニデスのパラドクスだ。「いつも嘘をつく」が正しければこの言葉は正しいが、それでは嘘をつかなかったということになってしまう。あるいは「私は嘘を言っている」も同様の矛盾に繋がる。かつて当時の首相の池田勇人氏が「私は嘘を申しません」と語ってマスコミを賑わせたが、このパラドクスを踏まえての言葉だろう。
類例として「例外の無いルール(規則・法則)は無い」が挙げられる。仮に総てのルールに例外があるなら、このルールだけが例外の無いルールになってしまう。
気象庁が一方で梅雨入りを発表し、その一方で翌日の天気予報で晴と発表したのは、長期と短期で担当者が異なるからだろう。しかしこんなセクショナリズムは迷惑だ。これは決して克服できない矛盾ではない。簡単に克服できる。翌日が晴と予想されるなら梅雨入りを翌々日以降に発表すれば済むことだ。たかが天気だから笑い話で済むが、これが安全宣言と危険告知であれば大変なことだ。自らの評価を下げることを平気で行えるのが今も続くお役所の体質だろう。他の省庁ならともかく、予報が本来業務である気象庁がこんなことを仕出かすとは全く恥ずかしいことだ。
自己矛盾のパラドクスは沢山ある。古くは「クレタ島の人はいつも嘘をつく」とクレタ島の人が語ったとするエピメニデスのパラドクスだ。「いつも嘘をつく」が正しければこの言葉は正しいが、それでは嘘をつかなかったということになってしまう。あるいは「私は嘘を言っている」も同様の矛盾に繋がる。かつて当時の首相の池田勇人氏が「私は嘘を申しません」と語ってマスコミを賑わせたが、このパラドクスを踏まえての言葉だろう。
類例として「例外の無いルール(規則・法則)は無い」が挙げられる。仮に総てのルールに例外があるなら、このルールだけが例外の無いルールになってしまう。
気象庁が一方で梅雨入りを発表し、その一方で翌日の天気予報で晴と発表したのは、長期と短期で担当者が異なるからだろう。しかしこんなセクショナリズムは迷惑だ。これは決して克服できない矛盾ではない。簡単に克服できる。翌日が晴と予想されるなら梅雨入りを翌々日以降に発表すれば済むことだ。たかが天気だから笑い話で済むが、これが安全宣言と危険告知であれば大変なことだ。自らの評価を下げることを平気で行えるのが今も続くお役所の体質だろう。他の省庁ならともかく、予報が本来業務である気象庁がこんなことを仕出かすとは全く恥ずかしいことだ。