韓国ではトラブル続きだ。このことについて朴クネ大統領を無責任だと非難するつもりではない。責任者不在の状態、つまり無・責任者であることが国全体に蔓延していることが問題の核心だ。
MERSの拡散についても責任者不在だ。皆が責任逃れに走るからどこに問題があるのかさっぱり分からなくなる。
セウォル号の沈没事故では船長が真っ先に逃げ出したし、集まった救助隊は何をすれば良いのか分からずウロウロするばかりだった。船体改造の疑惑も曖昧なまま放置されているようだ。船長を断罪すれば済む問題ではなかろう。
広島空港で起こったアシアナ航空機の事故もどこに問題があったのか解明されていない。
これは国民性が生んだ悲劇だろう。韓国人が無責任だからではない。個人責任を追及し過ぎることが問題だ。事故があればすぐに「犯人探し」が始まる。原因を追及することよりも犯人の責任追及が優先される。当事者は犯人にされないために必死になって誰かに責任転嫁をしようとする。
本当は多くの人に責任がある。複数の原因があるからこそ大事故が起こる。ところが誰もが他人に責任があると主張する。こんな状況で自分の責任を認めれば主犯として袋叩きに会いかねない。皆が保身に走るから原因は究明されない。
大きな災害があればその責任を問うことより原因究明が急がれるべきだ。今更責任を追及しても犠牲者が生き返る訳ではないのだから、その主たる目的は再発防止であるべきだ。司法はこの立場に立つべきなのだがそれを許さないのが国民感情である恨(ハン)だ。国民が恨を主張する限り、司法もそれに沿わざるを得なくなる。司法まで一緒になってのリンチが始まる。
「罪を悪(にく)んで人を悪まず」という立場が再発防止のためには最も有効だろう。そうであれば当事者全員が各自の軽微な過失を認めることによって再発防止へと繋がる。それを阻害しているのが国民感情である恨であり、この感情が強過ぎるから関係者は責任逃れに終始して、その結果として原因が究明されない、ということだ。
実際には多くの責任者がいるのに皆が揃いも揃って責任逃れをするから責任者がいなくなっている。
MERSの拡散についても責任者不在だ。皆が責任逃れに走るからどこに問題があるのかさっぱり分からなくなる。
セウォル号の沈没事故では船長が真っ先に逃げ出したし、集まった救助隊は何をすれば良いのか分からずウロウロするばかりだった。船体改造の疑惑も曖昧なまま放置されているようだ。船長を断罪すれば済む問題ではなかろう。
広島空港で起こったアシアナ航空機の事故もどこに問題があったのか解明されていない。
これは国民性が生んだ悲劇だろう。韓国人が無責任だからではない。個人責任を追及し過ぎることが問題だ。事故があればすぐに「犯人探し」が始まる。原因を追及することよりも犯人の責任追及が優先される。当事者は犯人にされないために必死になって誰かに責任転嫁をしようとする。
本当は多くの人に責任がある。複数の原因があるからこそ大事故が起こる。ところが誰もが他人に責任があると主張する。こんな状況で自分の責任を認めれば主犯として袋叩きに会いかねない。皆が保身に走るから原因は究明されない。
大きな災害があればその責任を問うことより原因究明が急がれるべきだ。今更責任を追及しても犠牲者が生き返る訳ではないのだから、その主たる目的は再発防止であるべきだ。司法はこの立場に立つべきなのだがそれを許さないのが国民感情である恨(ハン)だ。国民が恨を主張する限り、司法もそれに沿わざるを得なくなる。司法まで一緒になってのリンチが始まる。
「罪を悪(にく)んで人を悪まず」という立場が再発防止のためには最も有効だろう。そうであれば当事者全員が各自の軽微な過失を認めることによって再発防止へと繋がる。それを阻害しているのが国民感情である恨であり、この感情が強過ぎるから関係者は責任逃れに終始して、その結果として原因が究明されない、ということだ。
実際には多くの責任者がいるのに皆が揃いも揃って責任逃れをするから責任者がいなくなっている。