俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

時間給

2015-06-24 10:11:22 | Weblog
 〔寓話〕2人の男がそれぞれ自家用車で旅行をしていた。偶然、同じ箇所が故障して動けなくなりレッカー車で修理屋に運ばれた。一方は有能な修理屋だったので1時間で修理を終え旅行を続けた。もう一方は悲惨だった。修理屋はどこをどうすれば良いのか分からず完了まで丸一日掛かり、旅行者は予定外の宿泊を強いられた。その上、手間賃も含めてかなり高額の修理代を請求された。
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 時間外手当とはこんな不合理なものだと思っている。仕事が遅くて時間が掛かる者に支給される手当だと思う。熟練した者なら短時間で終える仕事を何時間も掛けたほうが報酬が増えるという制度は不合理だ。賃金とは仕事の質と量に対する報酬であるべきだろう。それを時間によって支給することは不合理極まりない。
 「神の手」を持つ天才外科医による1時間の手術とヤブ医者による5時間掛かりの手術とどちらのほうが価値が高いだろうか。時間よりも仕事の質が問われるべきだ。長時間に亘る歯の治療を喜ぶ人はいない。短時間で手際良く治療されることこそ望ましい。
 基本的には現場の担当者以外には時間外手当は不必要だと考えている。具体的には単純作業に従事する人と不特定多数を相手にする店員やスタッフだ。創意工夫をして働く人を時間で評価するのは全く失礼な話だ。創造的な仕事は量ではなく質で評価されるべきだろう。
 日本の労働者の生産性は高いと言われているが、現場では高くオフィスでは低い。だらだら働く人が少なくないからだろう。
 「高度プロフェッショナル制度」が導入されても殆んどの人は「残業代ゼロ」になどならない。年収1,075万円以上の人だけが対象にされるからだ。こんな高収入を得る店員や単純労働者はいない。対象者は中堅以上であり何等かの裁量権を持っているだろう。例外はシステムエンジニアや為替ディーラーなどだが、こんな特殊な例は個々に対応すれば済むことだ。一般論からは外すべきだろう。

服薬

2015-06-24 09:39:52 | Weblog
 自分の無知に気付いた人は勉強をする。様々な本を読みネットなどで情報を検索する。理論武装をしようとする人は偏屈になるだけだが、それ以外の人は多少賢くなるだろう。
 健康に不安を持つ人も勉強する。病気や栄養や運動の効果などについて色々と調べる。ところが病気については誤った知識が蔓延している。啓蒙すべき立場の専門家(医師)が間違った知識をバラ撒いているのだから、下手をすれば勉強することによって却って阿呆になる。
 割と頻繁にニセ医師が摘発される。これはニセ医師でもバレないほど権威に頼ったいい加減な職業だということだろう。実力本位のスポーツ選手や職人あるいは技術者などであれば贋物はすぐに化けの皮が剥がれる。贋物でも通用するのは医師と宗教家ぐらいだろう。
 医療は宗教に似ている。宗教に興味を持つことは悪いことではないが、のめり込むと阿呆になる。私は現代の医療は邪教にそっくりだと思っている。
 学ぶことによって却って阿呆になる人には「なぜ」という視点が欠けているのではないだろうか。批判的な思考を欠いて何かを信じ込むから誤った方向に邁進する。
 薬の信者達はどこで誤ったのだろうか。自分の体の不具合に気付いてそれを改善しようとする姿勢に誤りは無い。誤りは、薬によって治療が可能になるという信仰だ。薬とは体に異常反応を起こさせる劇物であることを理解する必要がある。
 私は、薬は効かないと主張したい訳ではない。薬は症状の緩和にはよく効く、しかし病を治す力は全く持っていない。例外は抗生物質であり、強力な殺菌力を持っている。しかし病原菌だけではなく善玉菌まで一網打尽にしてしまう。
 病が治るのは自然治癒力が働くからであり、たとえ本当によく効く薬であっても、ゆっくりとしか働かない自然治癒力の補佐か時間稼ぎをしているに過ぎない。
 切り傷に対する縫合は有効な治療だ。しかし縫合は、自然治癒力によって接合されるまでの時間稼ぎをしているに過ぎない。接合によって治癒されるまでの一時凌ぎだ。
 体に不安を持つ人は薬に頼りたがる。しかし薬には必ず副作用があり、その副作用を治めるために新たな薬が投与される。こういう副作用の連鎖によって病弱な人はますます病弱になる。軽度の神経症の人は薬によって狂人にされている。