俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

腫瘍

2015-06-28 10:25:24 | Weblog
 癌と良性腫瘍の間にはグレーゾーンがある。専門医の間でも評価は一致せず、癌として切除した細胞が本当に癌だったかどうかでさえ意見が分かれると言う。 
 内臓で起こっていることは素人にはさっぱりわからないが皮膚で起こっていることならある程度分かる。歳を取るにつれて皮膚には奇形が増える。シミや瘤やイボなどが現れる。これらは細胞が複製に失敗したから生まれる。白髪も複製し損なった細胞だろう。私の場合、妙な癖毛は大半が白髪だ。色素を失っただけではなく形態まで変質している。体内でも徐々に奇形が増えているだろう。コピーミスの極端なものが癌であり、本来の機能から外れて増殖し続ける。
 内臓に腫瘍が見つかると癌の早期発見として早期治療が勧められる。しかしこれは本当に「癌の芽」なのだろうか。ただの良性腫瘍である可能性はかなり高い。良性腫瘍を幾ら切り取っても癌患者は減らない。私の皮膚の瘤やイボを幾ら切り取っても皮膚癌治療に役立たないのと同じことだ。あるいは白髪を幾ら抜いても黒髪は増えない。白髪が減ったことで黒髪のシェアが高まるだけだ。幾ら白髪を抜いても黒髪が増えないように癌でない細胞を幾ら退治しても癌の防止には繋がらない。
 やや血圧が高いだけであれば高血圧症とは言えない。それどころか高齢者では基準値よりも少し高いほうが長寿であることは多く実証されている。健康な人まで病人に仕立て上げる現代医療は誤っている。
 早期発見・早期治療が有効であるのはその治療法が正しい場合だけだ。もし癌の正しい治療法が無いのなら早期発見をしても何の意味も無い。早期治療で成功したとされる手術の大半が実は良性腫瘍を切り取っただけであり、放置したほうが手術による損傷が無いから安全だろう。
 海外では子供に対して精神病薬を処方することは殆んど無いそうだ。もし精神病に対しても早期治療が有効なら子供の内に治療したほうが良かろう。しかし子供の場合却って悪化することが多いから薬物療法は極力避けられているらしい。成長過程にある子供の脳に酒や煙草が有害であるように精神病薬が脳の発達を阻害するということだろう。日本の精神科医だけが子供にまで安易に処方して医原病患者を大量生産しているのだろう。精神科医によって狂わされた子供が犯罪者になった事例は決して少なくなかろう。

ルール

2015-06-28 09:46:17 | Weblog
 ルールは守るべきものだろうか?私は決してルール違反を奨励したい訳ではない。特に日本人スポーツ選手のフェアプレイは世界に誇れるものだと思っている。しかしルールは与えられるものではなく自ら定めるべきものではないだろうか。
 日本人にとってルールは常に上から与えられたものだった。17条の憲法は聖徳太子が定めたし、御成敗式目であれ武家諸法度であれ大日本帝国憲法であれ権力者が勝手に定めたルールだ。日本国憲法に至ってはマッカーサー憲法とまで呼ばれている。なぜ日本人はルールに従順なのだろうか?
 日本人にはruleとlawの混同がある。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教などの一神教にとってlawはモーゼの十戒のように神が決めたものだ。だからそれに背くことも批判することも許されない。
 日本人は、lawが法律という意味以外に法則という意味を持つ理由を理解していない。これは神が人間に課したlawが法律であり自然に課したlawが法則だという意味だ。万有引力の法則に背けないようにlawに逆らうことはできない。
 当たり前のことだがruleはlawではない。ruleは人間が定めた約束事だ。秩序を保つための社会契約に過ぎない。だから状況が変われば当事者同士で協議をして変更すれば良い。ruleは人間間での規則だから国王が定めたruleを否定して市民が定めたruleに改めるという革命もあり得る。日本人はruleとlawを区別しないからスピード違反と殺人が同列で論じられる。
 日本文化は少なからず中国から影響を受けている。法に関しては儒家と法家の影響が濃厚だ。儒教の影響があるから「祖法」を重んじる。祖法を守ることが前提にされるから「令外の官」のような妙な職制になる。法家の思想とは、法による支配そのものだ。法とは権力者が一方的に定めるものであり庶民は問答無用で服従させられる。市民革命を知らない日本人はruleとlawの違いが分からない。だからruleに過ぎない日本国憲法を不磨の大典と位置付けてしまう。
 モーゼの十戒はlawだから否定することは難しいがruleに過ぎない日本国憲法の「てにをは」を改めても神罰に触れることは無い。一字一句変えさせまいとする人はこれを神授憲法と勘違いしているのではないだろうか。
 神から与えられたlawならともかくruleは人が定めたものなのだから訓詁学に堕して空理空論を弄ぶべきではない。どうあるべきかを議論してそれをruleとして明確化することが立法府の仕事だ。訓詁に終始するなら政治家は要らない。解釈は司法と学者の仕事だ。