北海道砂川市での一家5人死傷事故は稀に見る不条理な事故だ。無謀運転をした側は全員が助かり、通常の運転をしていた一家4人が死に一人が意識不明の重態とのことだ。これは交通事故ではなく交通犯罪だろう。
自動車は正面からぶつかると想定して設計されている。つまり前からの衝撃に強い構造になっている。しかし横からの衝撃には殆んど無防備だ。鉄板1枚で守られているだけだ。
運動する物体は正面や後方と比べて横からの衝撃に弱い。だから50mも跳ね飛ばされた。ラグビーで正面からのタックルよりも横からのタックルのほうが有効なのと同じことだろう。
私は「悪人」の存在には懐疑的だ。悪とは相対的な概念だからだ。例えば楠木正成は「河内の悪党」と呼ばれていた。これは鎌倉幕府に服従しない土豪だったからだろう。反権力者はしばしば「悪」と位置付けられるから楠木正成のような「正義の悪党」もあり得る。
昔から「泥棒にも三分の道理」と言われるように、悪とされる行為にも同情の余地があるものだ。私は多くの犯罪の加害者にしばしば同情する。マスコミは「被害者無謬」を原則とするが、多くの犯罪ではどっちもどっちであり、あくどい被害者は決して珍しくない。
その一方で「劣人」は確実に存在する。彼らは知能も道徳性も協調性も乏しい。彼らの多くは徒党を組んで迷惑行為を繰り返す。仲間内だけでしか通用しない奇妙なルールを設けてそれに背けば集団リンチだ。中学や高校の不良グループがそのまま大人になったような連中であり、昔なら暴走族を経て暴力団員になっていただろう。こんな輩が集団で行動して加害者になる。最近、妙にこんな事件が目立つ。
この事故の加害者は飲酒運転・スピード違反・信号無視などをしながら反省もせず嘘によって言い逃れようとしている。それが白々しい嘘であって却って立場を悪くするということさえ理解できないほど知能も品性も低い。マスコミを賑わす凶悪犯罪の多くは、悪人ではなく劣人の仕業だ。善悪の判定は難しいが優劣の差は明白だ。認知症患者に自動車を運転させてはならないように、劣人には自動車・バイクや武器の所持を許すべきではなかろう。
自動車は正面からぶつかると想定して設計されている。つまり前からの衝撃に強い構造になっている。しかし横からの衝撃には殆んど無防備だ。鉄板1枚で守られているだけだ。
運動する物体は正面や後方と比べて横からの衝撃に弱い。だから50mも跳ね飛ばされた。ラグビーで正面からのタックルよりも横からのタックルのほうが有効なのと同じことだろう。
私は「悪人」の存在には懐疑的だ。悪とは相対的な概念だからだ。例えば楠木正成は「河内の悪党」と呼ばれていた。これは鎌倉幕府に服従しない土豪だったからだろう。反権力者はしばしば「悪」と位置付けられるから楠木正成のような「正義の悪党」もあり得る。
昔から「泥棒にも三分の道理」と言われるように、悪とされる行為にも同情の余地があるものだ。私は多くの犯罪の加害者にしばしば同情する。マスコミは「被害者無謬」を原則とするが、多くの犯罪ではどっちもどっちであり、あくどい被害者は決して珍しくない。
その一方で「劣人」は確実に存在する。彼らは知能も道徳性も協調性も乏しい。彼らの多くは徒党を組んで迷惑行為を繰り返す。仲間内だけでしか通用しない奇妙なルールを設けてそれに背けば集団リンチだ。中学や高校の不良グループがそのまま大人になったような連中であり、昔なら暴走族を経て暴力団員になっていただろう。こんな輩が集団で行動して加害者になる。最近、妙にこんな事件が目立つ。
この事故の加害者は飲酒運転・スピード違反・信号無視などをしながら反省もせず嘘によって言い逃れようとしている。それが白々しい嘘であって却って立場を悪くするということさえ理解できないほど知能も品性も低い。マスコミを賑わす凶悪犯罪の多くは、悪人ではなく劣人の仕業だ。善悪の判定は難しいが優劣の差は明白だ。認知症患者に自動車を運転させてはならないように、劣人には自動車・バイクや武器の所持を許すべきではなかろう。