哲学は生全体を問う。生とは老・病・死を伴う。それにも拘わらず哲学は余りにも病に無関心だった。
最も身近な病は風邪と怪我だろう。実は人間はこれらにさえ正しく対処できていない。この事実だけでも人間がいかに愚かなのかが分かる。
風邪症候群を起こすウィルスは200種類以上確認されている。原因が多数でありながら症状がワンパターンである理由が問われねばならない。症状と考えられていたことは自然治癒力の発動と捕え直されるべきだろう。体温の上昇によってウィルスの活動は抑えられ免疫力は活性化される。解熱剤のような有害物が治療薬と詐称している現状は許し難い。
自然治癒力は不快感を伴う。「良薬は口に苦し」と言うが、体を不快にすることによって安静を促している。その不快感だけを取り除くことは安静の妨害になる。痛み止めを打って連投する投手と同じ悲劇に見舞われる。
怪我をすれば痛む。痛むからこそ極力そこを動かさないから治癒が促進される。痛みを取り除くことは治療ではない。いつからか分からないが、傷を消毒しないことが正しい治療法とされた。それまで長い間、傷を消毒するという誤った治療法によって却って傷を悪化させていたということだ。
根本的な誤りは不快感を病気そのものと勘違いすることだ。熱や下痢や腫れや痛みなどは、自然治癒力の発動であり安静を促すための警鐘でもあるだろう。自然治癒力を症状と誤解するから敵ではなく味方を攻撃している。
痛みや苦しみを取り除くことは治療ではない。投手の肩や肘の痛みを鎮痛剤で抑えることは治療ではない。胃痛を抑える薬は治療薬ではなく不快感を感じにくくしているだけだ。
苦痛の軽減によって命を失うことさえある。睡眠薬、抗精神病薬、鎮痛剤などは特に危険であり、市販の総合感冒薬の副作用で死んだ人も少なくない。不快の除去のために命を懸けるべきではなかろう。抗癌剤に至っては殆んど毒物に等しくロシアンルーレットに賭けるようなものだ。
尿管結石という病気がある。腎臓と膀胱を繋ぐ尿管にカルシウムの結晶が詰まる病気なのだが、不思議なことにこれを患うと脇腹が痛む。脇腹を幾ら治療しても痛みは治まらない。このように本当に病んでいる場所と人が感じる不快感が全然異なることは決して珍しくない。心身症やノーシーボ効果による不快感の原因は不快な箇所ではなく精神にその原因がある。これらは対症療法では治療できない。
最も身近な病は風邪と怪我だろう。実は人間はこれらにさえ正しく対処できていない。この事実だけでも人間がいかに愚かなのかが分かる。
風邪症候群を起こすウィルスは200種類以上確認されている。原因が多数でありながら症状がワンパターンである理由が問われねばならない。症状と考えられていたことは自然治癒力の発動と捕え直されるべきだろう。体温の上昇によってウィルスの活動は抑えられ免疫力は活性化される。解熱剤のような有害物が治療薬と詐称している現状は許し難い。
自然治癒力は不快感を伴う。「良薬は口に苦し」と言うが、体を不快にすることによって安静を促している。その不快感だけを取り除くことは安静の妨害になる。痛み止めを打って連投する投手と同じ悲劇に見舞われる。
怪我をすれば痛む。痛むからこそ極力そこを動かさないから治癒が促進される。痛みを取り除くことは治療ではない。いつからか分からないが、傷を消毒しないことが正しい治療法とされた。それまで長い間、傷を消毒するという誤った治療法によって却って傷を悪化させていたということだ。
根本的な誤りは不快感を病気そのものと勘違いすることだ。熱や下痢や腫れや痛みなどは、自然治癒力の発動であり安静を促すための警鐘でもあるだろう。自然治癒力を症状と誤解するから敵ではなく味方を攻撃している。
痛みや苦しみを取り除くことは治療ではない。投手の肩や肘の痛みを鎮痛剤で抑えることは治療ではない。胃痛を抑える薬は治療薬ではなく不快感を感じにくくしているだけだ。
苦痛の軽減によって命を失うことさえある。睡眠薬、抗精神病薬、鎮痛剤などは特に危険であり、市販の総合感冒薬の副作用で死んだ人も少なくない。不快の除去のために命を懸けるべきではなかろう。抗癌剤に至っては殆んど毒物に等しくロシアンルーレットに賭けるようなものだ。
尿管結石という病気がある。腎臓と膀胱を繋ぐ尿管にカルシウムの結晶が詰まる病気なのだが、不思議なことにこれを患うと脇腹が痛む。脇腹を幾ら治療しても痛みは治まらない。このように本当に病んでいる場所と人が感じる不快感が全然異なることは決して珍しくない。心身症やノーシーボ効果による不快感の原因は不快な箇所ではなく精神にその原因がある。これらは対症療法では治療できない。