俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ストライク

2015-12-04 10:28:09 | Weblog
 かつての電話交換手のように、人間から機械へと移行され得る職業が49%もあるそうだ。店員や事務員や警備員などが挙げられている。しかしそんな仕事よりも是非とも移行して欲しい仕事がある。野球の球審(アンパイア)だ。これほど主観によって周囲を振り回す仕事は無い。是非とも機械化によって正確・公正を実現して欲しい。
 投手にとって最高の球はアウトロー(外角低目)のストライクゾーンを掠める球だ。最も打ちにくく打ってもヒットになりにくいコースだからだ。投手はこのコースに投げるために猛練習を積み重ねる。ところが悪い球審に出会うととんでもない悲劇になってしまう。
 先日のプレミア12の準決勝の韓国戦、則本投手も松井投手も制球に苦しみ逆転負けを喫した。私はテレビを見ていて大いに不満だった。アメリカ人の球審に憎悪に近い感情を覚えた。絶妙なアウトローの球を悉くボールと判定していたからだ。決め球をボールと判定されたら甘い球を投げざるを得なくなる。
 これが野球という競技の最大の欠点だ。投手にとって最高の球が審判の主観によって無価値あるいはマイナス価値にされてしまう。他の種目であれば「チャレンジ」という仕組みがあって映像によって確認できる。多分この仕組みを世界で最初に採り入れたのは日本の大相撲のビデオ判定だろう。野球でもフェアかファールかなら画像で確認できる。しかし悲しいかな、アウトローの絶妙な球がストライクだったかどうかは画像で再確認しても分からない。
 審判の質的向上に期待するしか無いと諦めていたら、やはり同じことを考える人はいるもので、アメリカの独立リーグでテクノロジーを使った判定が今年から実験的に導入されたそうだ。これは3台のカメラを使って軌道を推定するという仕組みであり必ずしも正確ではなかろうが、今後ホームベースから電磁波などを発信して測定すれば正確な判定が可能になる。
 プロ野球の人気が低迷している。しかし今尚高校野球の人気は健在だ。日本人はやはり野球が好きだ。機械化によって判定が正確になれば1球ごとにストレスが溜まるということも無くなる。

異常者(2)

2015-12-04 09:51:36 | Weblog
 「犬は怒るとうなり、嬉しいと尻尾を振る。しかし僕(チェシャ猫)は嬉しいとうなり、怒ると尻尾を振る。だから僕は気違いだ。」(「不思議の国のアリス」より)
 もし犬が正常者であれば猫は異常者だ。勿論これはジョークに過ぎずどちらも正常者だ。むしろワンワンと鳴く猫こそ異常者だろう。
 自分と異なる者を異常者と決め付けるべきではない。異常者とは狂った者のことだ。少数者を異常者と考えることは誤りだ。しかし少数者を異常者と考えることが差別に該当するだろうか。誤りではあるが差別とは思えない。最近妙な言葉狩りが横行しているように思える。「同性愛は異常」とツイートしただけで袋叩きに会うようでは憲法21条が認める言論・表現の自由に背く。
 昔から芸能人は同性愛者が多かった。芸能人との縁が深いマスコミがその価値観を押し付けることこそファッショだろう。マスコミとその同調者による言論弾圧を黙認すべきではない。
 ヘイトスピーチは言論の自由から逸脱する。誹謗中傷をする権利など認められていない。しかし「同性愛は異常」という言葉が差別に当たるなら日本人は「同性愛は正常」としか言えないことになる。これは言論統制だろう。韓国の検察が「帝国の慰安婦」の著者の朴裕河教授を「元慰安婦に対する名誉棄損」で訴えたのと同様、世論に逆らう発言を禁じる言論弾圧だ。あるいはガリレオ・ガリレイの地動説に対する宗教裁判のようにも思える。
 「同性愛者を追放せよ」という発言であれば差別に該当すると思う。しかし「同性愛は異常」というツイートが「(岐阜)県の信用を失墜させて」処分に値するとは思えない。マスコミが勝手に定めた放送禁止用語がいつの間にか日本人全員に対する発言禁止用語に摩り替えられている。マスコミが独自に差別語を指定するのは勝手だが、それによって国民が自由な発言を禁じられるべきではない。
 私は同性愛を異常とは考えないが悪趣味と考える。それは学生時代に不愉快な経験をしたことも一因になっている。
 事情があって雑魚寝をしていた。明け方に誰かが私のパンツの中に手を入れた。驚いて跳び起きたら見知らぬ男が逃げて行った。私は「忌々しいホモ野郎め!」と憤った。私のホモ体験はこの1回だけだが、これ以来、好意を示す男に対して妙な警戒心を持つようになった。
 私は同性愛を否定しない。趣味の多様性を認める。しかしそれはあくまで趣味を共有する仲間内でのみ通用する。異なった趣味の人に強要することはできない。それはお気に入りのゲテ物料理を無理に食べさせようとするようなものだ。趣味の押し付けはできない。
 性対象の倒錯として同性愛と双璧をなすのはロリコンだろう。では「ロリコンは異常」という発言は差別とされるのだろうか。日本において多分ロリコン傾向の人はホモ傾向の人よりもずっと多い。小学生や中学生のアイドルがそれなりの地位を得ていることがその証拠だ。しかしロリコンは市民権を得ていないし与えるべきでもなかろう。ではロリコンは異常者で同性愛者は正常者と誰が決めたのだろうか。フロイトは「生殖に結び付かない性」を倒錯と定義した。これには必ずしも同意できないが一理あると思う。それなのにマスコミは勝手に同性愛を正常と決め付けてそれに背く発言を差別として糾弾する。言論の自由を許さないマスコミ関係者こそ逆差別者だと思う。