俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

No!

2015-12-19 10:31:22 | Weblog
 No!と言うことは易しい。気に入らないことに対してとりあえず感情的にNo!と言っておけば、理屈は幾らでも後付けできる。
 志摩市の非公認キャラクターになった碧志摩メグが気に入らなければ「若い女性の体を強調して」「女性蔑視」と因縁を付ける。しかし「体を強調しない」絵などそもそも可能なのだろうか。磯着を来た女性を描こうとすれば絶対に「体を強調した」絵になる。それを避けようとすれば10歳未満か70歳以上を選ばねばならなくなる。これでは絵にならない。
 私は同性愛を否定しない。それは趣味の問題であり他人がとやかく言うべき問題ではない。獣姦であれスカトロジーであれ趣味の問題だからそれが好きであることは個人の勝手だ。しかし圧倒的多数の人がそれを嫌うという事実も認められねばならない。
 小学生の時、先生から「他人の嫌がることを進んでしなさい」と教えられて、素直な少年の私は同級生の女の子に青虫を見せるという「他人の嫌がること」をして泣かせてしまったことがある。やはり「他人の嫌がること」をすべきではなかろう。
 同性愛を許容することと同性婚を認めるかどうかは別問題だ。同性婚を認めないことは人権の侵害ではない。なぜなら日本国憲法は第24条で「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」と明記されているからだ。同性婚の是非は人権問題ではなく憲法問題だ。同性婚を認めさせたければ憲法改正を訴えるべきであり、憲法の摘み食いこそ最も悪質な憲法曲解だろう。
 多くの人は論理を積み上げて理性的に考えることなく感情的に判断する。感情的な判断は大半が偏見に基づいている。人がどれほど偏見に凝り固まっているかは、太陽の色を尋ねるだけで分かる。「赤い」とか「真っ赤」とか形容され勝ちだが実際の色はかなり黄色っぽいオレンジ色だ。太陽が赤いなど真っ赤な嘘だ。嘘や偏見を正当化しようとしてもどこかに無理が生じる。
 日本人は寛容だ。もしかしたら世界で最も寛容な民族かも知れない。少なくとも最も身近な3民族(アメリカ人、中国人、韓国人)と比べて寛容であることは確実だろう。我儘な人はこの寛容性に付け込んで我儘を通そうとする。最近は余り使われなくなった言葉だが、モンスターペアレントやモンスターペイシェントが蔓延ったのは、異物を許容し過ぎたことが原因かも知れない。
 香川県では「色白」が差別語扱いされているらしい。「強いコシ 色白太目 まるで妻」という句にクレームが付いたために「うどんかるた」の販売が中断しているとのことだ。過剰反応だろう。
 ジャポニカ学習帳の表紙から昆虫が追放されたのは3年前のことだった。一部の消費者が「気持ちが悪い」と抗議したからだ。ところが今年アンケートをしてみれば圧倒的に昆虫の人気が高いことが分かって昆虫の表紙が復活した。クレイマーをこれ以上のさばらせるべきではなかろう。

男女格差

2015-12-19 09:44:23 | Weblog
 公的年金についての世代間格差はしばしば問題にされるが、男女格差について触れられることは殆んど無い。しかし世代間格差は現状からの推定で将来実際にそうなるかどうかは不確実だが、男女格差は今、実際に生じている格差だ。これが問題視されていないことこそ大問題だろう。最大の原因は寿命の違いだ。
 生命保険であれば男性のほうが掛け金が高くなる。これは同じ保険金を得るためには死に易い男性のほうが多くの掛け金を払わねばならないということであり、確率論で考えても妥当だ。
 しかし公的年金はとんでもない仕組みになっている。毎年の受給額は納付期間や納付額によって決まる。だから受給期間が長いほど得をする仕組みだ。
 ところが平均寿命の男女差は明白だ。2014年のデータでは男性が80.50歳、女性が86.83歳とのことだ。女性のほうが6年以上長寿なのだから受給期間も6年以上長くなる。65歳から受給するとすれば男性は15.5年、女性は21.8年受給することになり、女性の受給期間は男性の1.4倍、つまり受給額も1.4倍になる。
 世代によって異なるが、将来の公的年金の損益分岐点は80歳以上まで生きるかどうかだろう。80歳まで生きればほぼ確実に納付額以上の受給額になり、80歳までに死ねば損をする可能性が高い。ところが2014年のデータに基づく80歳生存率は男性が53.5%、女性が75.3%とのことだ。つまり男性は半分の人しか得をしないが女性は3/4が得をするということだ。これは酷い!
 こんな不公平を解消するために男女の年間受給額に差を付けるべきだろう。受給期間が短い男性の受給額を増やさなければ余りにも不公平だ。
 マスコミはこんな問題提起をしない。女性が差別されているという話には飛び付くが男性に対する差別は無視される。日本の男性は寛大過ぎるようだ。男性は余りにも明確に不公平な制度に対して怒るべきだろう。
 素人でもすぐに気付く矛盾に専門家が気付かない筈が無い。わざと温存されているのだろう。もし制度の見直しをするなら、男性を増額、女性を減額するということになるが、多数派を占める女性の大半が反対するだろう。多数派が得ている特権には手を付けられないことが民主主義の最大の欠点だ。極度に高齢者を優遇する大阪市の「敬老パス」に対して橋下前市長以外は誰も火中の栗を拾おうとはしなかった。正義よりも票集めを重視する政治家ばかりだ。