俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

挺身隊

2014-05-22 10:26:40 | Weblog
 「従軍慰安婦」をsex slaveと誤訳させることに成功した韓国の反日勢力は、それに味を占めて「挺身隊」までsex slaveとして定着させようとしている。「慰安婦」で失敗した日本は断固この暴挙を阻止しなければならない。
 当たり前の話だが挺身隊と慰安婦は全然違う。言わば学徒動員の女性版であり約300万人が動員されたそうだ。読者の母や祖母が挺身隊にいたかも知れないが、当然、慰安婦になった訳ではない。勤労奉仕だ。日本の歴史教育の不備が韓国による嘘を許してしまった。
 一旦、嘘が定着するとそれを覆すことは難しい。「慰安婦も挺身隊も性奴隷ではない」という文章を翻訳した時に「sex slaveもsex slaveもsex slaveではない」という訳の分からない文章になってしまえば説得は不可能だ。sex slaveという誤った言葉が辞書に載るほど定着する前に正しい意味を広めなかった外務省の職務怠慢が咎められるべきだろう。
 橋下市長が外国人記者によって叩かれたのも翻訳に問題があったからだ。「色々な国の軍隊が慰安婦制度を採用していた」という発言がsex slaveと翻訳されていたから「性奴隷制度が世界中にあった」というとんでもない発言に変えられてしまった。市長が「大誤報だ」と憤っても後の祭りだ。sex slaveと翻訳された時点で負けが決まっていた。
 名付けることの効果は大きい。古代ギリシャ人は周囲の異民族をバルバロイと呼び、中華帝国は東夷・西戎・南蛮・北テキと呼んで軽蔑した。日本人は狩人などを・と呼んで差別した。実質の違いが無くても呼称を設けるだけで差別が可能になる。私の大学時代はプチブルが差別用語として使われていた。プチブルジョワジー=小富裕層=中産階級であることを考えればプチブルのどこが悪いのかさっぱり分からない。それでも名付けるだけで差別用語として使えるのだから言葉の魔力は恐ろしい。

日本の農業

2014-05-22 09:45:55 | Weblog
 日本は農業好適地だ、と書けば直ちに反論されるだろう。狭い日本ではアメリカやオーストラリアの大規模農業に太刀打ちできない、と言うだろう。しかしそれは必ずしも正しくない。ある程度までは大規模なほうが有利だがそれを超えればスケールメリットは無くなる。工場であれ小売店であれ学校であれ適正規模がありそれ以上に大きくなれば却って効率が低下する。管理可能な限界を超えるからだ。大規模農家の多い北海道によって他の地域の農業が駆逐されている訳ではないことを見てもそのことは明らかだ。農業の適正規模は農作物の種類によっても異なるだろう。
 日本の農家は戦後のGHQによる農地改革によって生まれた小規模農家が大半であって適正規模を大きく下回る。農地改革はGHQの政策の中でも憲法と並んで最悪のものだと私は確信している。これは小作農の解放ではなく日本の農業を衰退させてアメリカからの輸入に依存せざるを得なくすることを目論んだ亡国策だ。もしこれが少しでも正当性のある政策であるなら今すぐにでもアメリカ本国でも実施すべきだろう。極悪である政策を有難がって批判さえしない日本人は阿呆だ。
 日本の最大の長所は降水量の多さだ。日本全土、殆んどどこでも年間降水量は2,000㎜ほどある。温帯であれば降水量1,000㎜にも満たない場所が殆んどなだけにこれは決定的な強みだ。降水量の多い土地は大半が熱帯であり、日本は温帯でありながら降水量が多いという稀有な土地であり農業好適地だ。
 弱点は台風と地震そして放射能汚染だ。折角の恵まれた自然を福島第一原発の事故が破壊してしまった。
 それを補うのが人の質の高さだ。日本人は勤勉であり研究熱心だ。先進農家であれば技術力も優れている。
 日本は多分百か国以上から食料品を輸入している。これは同時に百か国以上との食料品貿易ルートを持っているということだ、食料品こそ最もグローバルな商材であり、農林水産省が悪政を改めさえすれば世界に飛躍できるだけの底力を持っているだろう。
 江戸時代になぜ鎖国が可能であったかが問われるべきだろう。日本が農業好適地だったからだ。日本という土地は自給自足が可能なほど恵まれている。帝国主義による植民地支配に頼らざるを得なかったヨーロッパとは根本的に違う。

種と実

2014-05-20 10:26:11 | Weblog
 虫に花粉を運ばせるために花が蜜を持っているように、種ごと食べさせるために果実は実る。実を食べた動物が糞をして種を拡散させるからだ。だから果実は文字通り「餌」に当たる。しかし種が消化されてしまったら元も子も無い。消化されないために堅い外皮を持っている。種は動物の卵と同様、生命の源だから栄養価が高い。それだけに、堅い外皮を破ってでも食べようとする動物が現れたら一大事だ。それを防ぐために多くの種が毒素を持っている。種は堅い外皮と毒素という二重の防衛機構によって守られている。
 豆類は穀物と共に人類が最も好んで食べる種だが当然毒素を持っている。多くの豆は生で食べれば有害なので人間は加熱して毒素を分解してから食べる。2006年に「ぴーかんバディ!」という番組が生に近い白インゲン豆によるダイエット法を紹介したところそれを食べた多くの人が健康を損なった。加熱が不十分だったために毒素が分解されなかったからだ。野生種のアーモンドには青酸カリに類似したとんでもない毒素が含まれておりこれは加熱しても食べられない。
 穀物が無害なのはその栄養価の低さが原因だろう。米を食べる動物は小鳥と鼠と虫ぐらいだ。多くの草食動物からは見向きもされない。稲を狙うのは雀と虫だけだ。だから私が子供の頃は雀は「害鳥」だと教えられた。
 麦の原産種は小粒でありしかも堅い殻に覆われている。だから人間以外はこんな物を食べようとしない。
 穀物が農耕に適していたのは、他の動物が食べないということが最大の要因だろう。人類が農耕を始めた時点では周囲には多くの野生動物がおり、彼らと競合する作物であれば忽ち食い荒らされていただろう。だから人類は穀物と、生では毒がある豆類に頼らざるを得なかった。
 こう考えればいつまでも穀物と豆類に頼る必要が無いことに気付く。野生動物は激減したので食物競合を心配する必要性は乏しい。本来の食物であった果物に回帰しても良かろう。穀物はその保存性の高さもあって長らく人類の主要な食物だったが、決して栄養価の高い食物とは言えない。穀物偏重の食事では健康を損なう。

利権

2014-05-20 09:45:38 | Weblog
 民主主義は変な制度だ。博識な人も無知な人も、賢い人も愚かな人も、皆一人1票だ。こんな制度が成り立っているのは人が平等を支持するからだとは思えない。全く違った理由から民主主義が許容されているのだと思う。
 それは、利権を持つ賢者よりも利権の無い凡人のほうが公正な判断を期待できる、ということだ。利権の絡む大人よりも無関係な小学生のほうがまだマシだ、ということでもある。2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏は、かつて天安門事件の直前に「6.2ハンスト宣言」でこう語った。「我々が求めるのは絶対的権力を持った一人の天使より、むしろ相互にチェックする10人の悪魔だ。」絶対的権力者の存在は当事者である選手や監督が審判を兼ねる馬鹿げたゲームだ。
 三権分立は、人が偏るということを前提にしたシステムだ。無駄は少ないが危険の多い独裁を否定して、たとえ無駄が多くても一部の者の利権に基づく最低の社会を防ごうとする仕組みだ。
 利権が絡むと公正な判断は難しい。自分自身の利権だけではなく親類・縁者の利権もあるし、利権を握る人の周囲には有象無象の連中が集まってお零れに与かろうとする。
 中国と韓国の歴史では王妃の一族がしばしば問題を起こす。玉の輿に乗った美女の親や兄弟が利権を漁って社会を混乱させる。これは中国と韓国に特有な現象だろう。ヨーロッパでは他国の王族や自国の貴族から王妃を迎えることが多く、日本では近親婚が多い。元々王族や貴族だった人が王妃になっても逸脱することは少ないが、庶民が突然王妃の親族になれば社会を狂わせる。
 誰の小説か思い出せないが、貧しい娘を妻にした大金持ちが、妻の金遣いの荒さに驚いた。慎ましい生活をしていた妻がなぜ急変したのかを尋ねたところ「これまで知らなかった素晴らしい生活に目覚めただけ」と答えた。成り上がり者こそ恐ろしい。
 境遇が変われば人は豹変する。利権を持った人はそれを手放そうとはしない。利権とは無縁の圧倒的多数を占める庶民のほうが客観的な判断ができる。だから庶民の意向こそ望ましい。利権とは無縁の庶民の意思が尊重されるということだけが民主主義の長所だ。だからこそ私は衆愚政治に陥り易い民主主義を否定して、権利を剥奪された賢者による統治、つまりプラトンが説いた哲人政治を理想の政治制度だと考える。

不作為

2014-05-18 10:12:14 | Weblog
 韓国のセウォル号の船長ら4人が15日に「不作為の殺人罪」で起訴された。彼らの行為は恥ずべきものだが日本では殺人罪にはできないだろう。法体系が違うとは言え違和感を覚える。日本でなら「未必の故意」か「重過失致死」だろう。結果は最悪だったが船長らに殺意は無い。自らの危機に動転して命辛々逃げ出しただけだろう。
 カルネアデスの板という寓話がある。船が沈没して小さな板に捕まっていると他の被害者もその板に捕まろうとした。二人が捕まれば板が沈んで二人とも溺れてしまうから彼は後から来た男を追い払って水死させた。こんな場合、緊急避難が認められる。セウォル号の船員も自らの危機に瀕していた。許されない行為ではあるが情状酌量の余地はあるだろう。感情的に許せないということと厳罰とは区別されるべきだろう。
 もし「不作為の殺人罪」が広く認められるなら妙なことになるだろう。料理人が油火災を起こして真っ先に逃げてそれが延焼して死者が出れば「不作為の殺人」と韓国ではされるのだろうか。これは過失致死ではないだろうか。
 私は犯罪における結果主義を不当なものと考える。日本の刑法の殺人罪が「故意」を条件としているのは妥当だと思う。殺意のある行為と殺意の無い行為は明確に識別されるべきだろう。殺意の無い殺害は過失致死に当たる。突き飛ばしたら相手が頭をぶつけて死んでしまった場合と、ナイフで滅多刺しにした場合とでは、相手が死んだという結果が同じであっても罪が違って当然だ。
 その観点から現住建造物等放火罪は不適切な法律だと思う。放火致死が殺人よりも重い罪と位置付けられているからだ。放火は不特定多数に危害を及ぼす恐れのある危険な犯罪ではあるが傷害と同程度の罪だと私は考える。大半の放火で死者は出ない。たまたま住人が死んだ場合のみ極端に重い罰が科される。意図も行為も同じであっても結果次第で重罪になる。放火においても「殺意」を考慮すべきだと思う。

白と黒

2014-05-18 09:36:36 | Weblog
 福島は今も危ないのか、これが今回「美味しんぼ」が提起した問題だ。福島に住めるのか、福島産の食材は本当に大丈夫なのか、ということについて政府は「直ちに健康に影響を与えることは無い」に近い、かつて毎日のように聞かされた言葉を使ったり、「住民のいる所が安全な場所だ」「流通している食材は安全だ」といったまるでかつての小泉首相の「自衛隊がいる場所が非戦闘地域だ」との答弁のような詭弁に終始している。本当に安全なのだろうか。
 まず動かぬ証拠を挙げておこう。何のことはない、農林水産省ではなく厚生労働省が公表しているからだ。直近の検査で福島産のゼンマイなど5品目が基準値を超えたと今月12日に公表した。これで水掛け論は不要だろう。たとえ新聞・テレビが報じなくてもネットで調べればすぐに分かる。
 安全と危険が混在しているのが現状だ。空気中の放射線量は風や天気によって刻一刻変動するし、農産物の汚染度も個々に異なる。放射線耐性の個人差も大きい。実際のところ、どの程度危険なのか分からないから「とりあえず安全」として曖昧なままで放置されている。
 体温とは違って血糖値や血圧などは幾つ以上なら危険かという線引きが難しい。白と黒の間のグレーゾーンが余りにも広い。放射線も何ミリシーベルト以下とか何ベクレル以下なら安全という線引きは実際にはできない。基準は作ったものの守る気も守らせる気も無いようだ。極力、寝た子を起こさないようにすることが政府の方針のようだ。昨日(17日)安倍首相は福島市で「全力を挙げて対応する」と語ったが「全力で抑え込む」という意味ではないだろうか。
 「美味しんぼ」は有害の程度が分からなくても事実を公表せよと主張する。基準値を超えるなら売ってはならないし買ってもいけない筈だ。ごくごく真っ当な主張だろう。これを「風評被害を助長する」と非難するのは全くお門違いだ。風評被害は事実誤認に基づくが、基準値超過は事実であって風評ではない。
 風評被害を恐れて事実を隠蔽することこそ本末転倒だ。事実を隠すから安全な物まで危険な物と混同される。国民には事実を知る権利がある。事実に基づいて各個人が判断すべきであって、事実を知らされなければ風評に頼らざるを得なくなる。私は基準値を多少超えたぐらいなら殆んど気にしないが、そうでない人も少なからずいる。いずれにせよ事実が共有されることが重要だ。知る権利を奪われてはならない。

因果応報

2014-05-16 10:01:44 | Weblog
 ベトナムの反中国デモが暴徒化して、中国だけではなく漢字を使う台湾や日本などの企業を襲って死者まで出る危険な状況だ。しかし日本人にとってこれはデジャビュー(既視感覚)だろう。これまでに何度も中国で繰り返されたことの再現だ。
 社会主義国であるベトナムでは中国と同様、デモは厳しく規制されている。そんなベトナムでなぜこんな暴挙が起こるのか。パフォーマンス・モデルがあるからだ。これまで中国が対日・対仏などで行った官製デモという実例があるからベトナムもそれを真似ただけだ。
 愛国無罪や造反有理の理念がどの程度ベトナムで伝わっているのか私は知らない。しかしベトナム政府も暴徒も、中国生まれのこの理念に従っていると言って良かろう。
 「天に向かって唾を吐くな」は古くから伝わる名言だ。出典は「四十二章経」と言われているが、英語の諺にもなっているから、多分、普遍的な知恵だろう。
 世界第二位の経済大国となった中国はますます傲慢になり「中華主義」も蘇りつつある。俄か成金の中国人には理解し難い理念かも知れないが、ノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)を自覚できるレベルの文明国になって欲しいと思う。権力者であれ指導者であれ高い地位の者は多くの義務を負う。偉そうにするよりも国際倫理に恥じないように心掛けて貰いたいものだ。それを怠れば他国によって悪事が模倣される。これは因果応報であり自業自得だ。
 中国の報道官はベトナムの犯罪者を「厳罰に処せよ」と言うが、その前に自国の犯罪者およびそれを企図した者を処罰すべきだろう。実際の話、ベトナムの国営放送では中国製の術語である「愛国無罪」という言葉を使っていたようだ。悪貨は良貨を駆逐すると言うが、悪い病気も伝染するものだ。

天然農薬

2014-05-16 09:30:10 | Weblog
 動物に免疫力が備わっているように植物にも病虫害に対抗するシステムが備わっている。そういう防御システムによって植物は自分の身を守る。例えば虫などによって攻撃された場合、毒物を産生する。体内に毒素を拡散することによって食い荒らされることを防ぐ。これが天然農薬と呼ばれている毒物だ。
 人工の農薬を毛嫌いする人は植物のこんなメカニズムを理解していない。虫によって攻撃された植物は毒素を作るが攻撃されなければわざわざこんな物を作る必要は無い。農薬(殺虫剤)によって守られた野菜は天然農薬を作らない。
 要するにこういうことだ。農薬によって守られた野菜は天然農薬を作らず、農薬によって守られていない野菜が虫によって攻撃されれば天然農薬を作る。人工的な農薬が散布された野菜は表面に農薬が付着し、防衛のために天然農薬を産生した野菜は全体に天然農薬を拡散する。表面に付着した農薬なら洗って落とすことができるが、野菜本体に拡散した天然農薬を取り除くことはできない。
 天然農薬の成分は様々であり、人間にとってかなり有害な物から殆んど無害の物まである。植物のこんな特性を知らずに無農薬農業を無闇に有難がるのは危険なことだ。
 特に無農薬が悪いのは芋類だろう。人工的な農薬は食用に使わない葉と茎に付着する。その一方、天然農薬は全体に拡散するので食用に使われる根や地下茎まで汚染される。無農薬野菜が「無農薬」であるのはただ単に人工的な農薬についてであって、実は隅から隅まで天然農薬に汚染された物もある。無農薬野菜は遺伝子組み換え野菜よりも危険なのではないだろうか。

迎え酒

2014-05-14 10:11:28 | Weblog
 迎え酒が有害だということは常識だが、実は私は迎え酒の常習者だ。二日酔の不快感を解消するためにこれほど有効な手段は無い。新しい酒を注入すれば不快感が爽快感に変わる。この効果は、不快感を感じる中枢神経の働きが鈍化するからだろう。食欲不振や憂鬱にも効くのは脳の機能が低下するからだろう。
 しかし迎え酒は肝臓にとっては最も悪いらしい。それを防ぐために私の迎え酒は135mlのビール1缶だ。これで不快感を鎮めて夜までは飲まない。
 喫煙の効果も迎え酒と似ている。長期的には多分有害だろうが、煙草を喫えば気分が落ち着くし意識もスッキリする。
 薬に依る対症療法もこれらと同じようなものではないだろうか。とりあえず今の不快感を緩和することしか考えていない。治療とは全く逆であろうとも今が良ければそれで良い。
 医師は飲酒・喫煙を、健康を損なう有害な生活習慣と咎めるが、医師のやっていることもそれと大差無かろう。現在の不快な症状を誤魔化しているだけだ。SSRIなどの抗鬱剤は酒や麻薬と同じような効果しか持っていないのではないだろうか。
 迎え酒を慎むことが肝障害を防ぐように、薬を極力飲まないことこそ重要とさえ思える。飲んでも構わないのは緊急時と、治療効果がある薬に限定すべきだろう。
 東日本大震災以降PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患う人が増えているそうだ。フロイトはトラウマを抑圧するから神経症に罹ると考えたがそんな単純なものではない。特に顕著なのは事故や戦争によるPTSDであり、彼らが最も恐れるのがフラッシュバックだ。最も思い出したくない瞬間が、まるでたった今起こっているかのように再現されてその度に恐怖が蘇る。これを薬で誤魔化すのではなく、脳内秩序を再構築するという方向で気長に治療に励まなければ治癒はあり得ない。PTSDの治療に最も必要なのは心のリハビリであり、迎え酒にも等しい対症療法に頼っていては治癒できない。

二枚舌

2014-05-14 09:41:31 | Weblog
 福島県産の農産物は安全か、と問えば殆んどの人が「安全だ」と答える。危険な地域からは収穫されていない筈だからだ。政府もマスコミも安全と言い、危険だと言おうものなら「風評被害を助長する差別主義者」と非難されかねない。しかし実際の行動はどうだろうか。福島県産品は差別されている。「小さな子供には少しでも安全な物を食べさせたい」と言う。どちらが本音であるかは言うまでも無かろう。彼らは口先では安全と言いながら実際の行動では差別をする。彼らがこんな対応をするのは、安全という大本営発表を信じていないからだ。政治家が寄ってたかって「美味しんぼ」を非難するのはこの大本営発表を否定させないためだ。
 「美味しんぼ」による風評被害について考えるために第110巻「福島の真実①」を読み直してみた。原作者の雁屋哲氏の真意が非常に明確に、海原雄山の言葉として伝えられていた。「安全なものは安全、危険なものは危険、きちんと見極めをつけることが福島の食材には必要なのです。消費者に真実を伝えなければいけない。(P126)」私はこの言葉を100%支持する。市場に出回っている福島県の食材を総て安全と言う人も、総て危険と言う人もどちらも誤っている。実際には基準値を超える物が市場に出回っている。特に問題なのは魚だ。東北で獲れた魚をわざわざ関東で水揚げして産地偽装をしている業者がいるという噂が跡を絶たない。産地偽装魚でなくても、魚は自力で泳ぐのだから福島第一原発の近海にいた汚染魚が関東で捕獲される可能性はかなり高い。
 BSE(狂牛病)騒動では全く無意味な全頭検査を十数年間続けることによって数百億円が無駄遣いされた。これと比べれば放射能検査は手間も費用も掛からない。それを怠っているのは、基準値を超えた食材が見つかって嘘が露呈することを避けたいからだろう。安全な物と危険な物を分別できないようにすることが国の施策だ。
 風評被害が発生するのは事実が隠蔽されているからだ。危ない物も危なくない物も一緒にして販売されているからだ。非難されるべきなのは「美味しんぼ」ではなく、事実を調査しようとせず、公然の秘密でさえ隠蔽しようとする農林水産省であり、放射線による健康被害を皆無と主張する厚生労働省だろう。