俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

加害者

2015-04-12 09:34:36 | Weblog
 小学生が蹴ったボールが起こした交通事故について、親に賠償責任は無いとする最高裁判決が9日に下された。私は親の監督責任どころか子供の過失責任さえ無いと考える。校庭でゴールに向かってボールを蹴ることのどこが悪いと言うのだろうか。
 昔からこんな疑問を持っている。自動車が車道にあった小石を跳ね飛ばしてそれがたまたま歩行者に当たった場合、傷害罪になるのだろうか、という疑問だ。被害者がいるのだから加害者もいなければならないという理屈には納得しかねる。自動車の運転者には何の過失も無いのだから加害行為には当たらないと私は考える。
 被害者がいれば加害者もいなければならないと考えるから過剰な規制になる。管理責任が問われそうなことは何でも禁じられるし、公園からは遊具が撤去される。大阪には深いプールが無くなった。水遊びを目的とする人が来ないから深いプールのほうが快適に泳げるのだが、監督責任を免れるために廃止されたのだろう。
 私が小学生の時、目の前で事故が起こった。同級生がジャングルジムから鉄棒に飛び移ろうとして落下した。ゆっくりと落ちて行く姿を私は今でも鮮明に記憶している。自業自得として問題化されなかったが、昨今の風潮であれば学校の管理責任が問われるところだろう。
 認知症の老人が電車にはねられた事件で介護をしていた妻の監督責任が問われ、鉄道会社から告訴されているが、狂人が免責されるように重度の認知症患者とその保護者も免責されるべきだろう。こんなことで加害者扱いされては堪らない。
 アメリカのグランドキャニオンでは毎年10人ほどの人が亡くなっているそうだ。日本の価値基準であれば危険な場所を放置した責任が問われそうだ。
 マスコミはエスカレータの事故を大騒ぎするが、実は階段での事故のほうが圧倒的に多い。エスカレータ上の歩行を規制するよりも階段の走行を禁止したほうがずっと有効だ。しかし小学校の校則ではあるまいし、階段の走行を禁止する必要などあるまい。自己責任だ。
 対歩行者の事故が絶えないという理由で自転車を禁止する必要は無い。道路交通法を守らせるだけで事故は90%以上減るだろう。それだけ無法自転車が多いということであり、法令順守を徹底すれば済むことだ。

不寛容

2015-04-10 10:20:52 | Weblog
 自分にとって不愉快なものを「禁止しろ」と声高に主張する人が少なくない。同性愛や喫煙やエスカレータ上での歩行、あるいは一部のワクチンの接種についてまでこんな主張がしばしば見受けられる。しかし禁止とはそれをしたい人の権利を奪うことであって、安易な禁止論は慎むべきだと私は常々考えている。基本的に、多数者による少数者の権利剥奪は認め難い。有害無益であれば禁止しても良いが、多数者が嫌うという理由での禁止は数による暴挙だ。こんな多数決など認められない。もし中国で多数決をすればチベット族やウィグル族の権利など消し飛んでしまう。多数決は非常に不合理な仕組みだ。
 アメリカでは1920年から1933年まで禁酒法が実施された。これが招いたのは密造酒の急増であり、最も大儲けしたのはマフィアだった。倫理的に誤っていないものを禁止すればこんなことになる。
 売春は最も歴史のある職業だと言われているが、実は歴史よりも遥かに古いようだ。一部の哺乳類や鳥類や昆虫にまで広く存在することが知られている。当然のことだが彼らが金銭を支払う訳ではない。交尾の対価は餌だ。オスにとって交尾欲は食欲にも勝るようだ。
 売春をオスの本能だから公認せよなどと言う気は無いが頭から否定すべきでもなかろう。何らかの折衷策が必要だ。日本の対応は世界的にもユニークだ。ソープランドでは黙認され、ファッションヘルスでは公認されている。公認されているのは「本番行為」をしないからだ。本番さえ無ければ売春ではないとは物凄い理屈ではあるが一応筋は通っている。違法と合法の区別はどこかに線引きが必要であり、それは誰にでも理解できる基準であるべきだろう。挿入することのみを違法とすることは分かり易いし女性の健康を守るためにも有効だ。ヘルス嬢も、合法的職業に就いているのだから余り負い目を感じずに済むし、多くの人はちゃんと納税もしているらしい。もしこれが非合法とされれば、納税したくてもできないという不合理なことになってしまう。
 喫煙者にとって昨今の禁煙ブームは辛い。私は喫煙席の無い特急列車には乗らないのでしばしば数十分無駄な電車待ちをさせられる。飛行機も全席禁煙になったから海外旅行にも行かなくなった。
 並立が可能なら極力共存を目指すべきだろう。不寛容はしばしば争いの原因になる。キリスト教対イスラム教、イスラム教対ユダヤ教、あるいはイスラム教内でのスンニ派対シーア派、これらの一神教は他の宗教を邪教と決め付けるから戦争の原因になる。宗教問題の解決は難しいが、日常生活における不寛容は極力慎むべきだと思う。多数決による少数者の権利剥奪など以ての外だ。多数者による横暴こそ最も反民主的な行為だ。

育孫

2015-04-10 09:39:10 | Weblog
 昔であれば20歳代の父母と50歳代の祖父母が普通だった。しかし結婚年齢の上昇によって30歳代の父母と60歳代の祖父母が標準になりつつある。こんな時代にこそ孫と祖父母の新しい関係が作られるべきだろう。
 50歳代の祖父母であればまだ働き盛りだ。自分自身が忙しいので孫の世話をすることは難しかった。しかし60歳代であれば全然違う。今後定年延長はあろうが、多くの人は嘱託という立場であり仕事上での責任は余り重くない。自由に使える時間も多い。
 キャリアウーマンが可能になるキーマンは祖父母だと思っている。昔であれば20歳代の父母よりも50歳代の祖父母のほうが収入が多かったが、最近のような状況であれば母の収入のほうが祖父の収入を上回ることも珍しくなかろう。収入が多くしかも今後の働き次第で更に増額が見込める父母ではなく、収入が少なくなった祖父母が育児を担当すれば経済的には最も有利だ。父母から祖父母に養育費を支払っても良かろう。その時の一番の問題はどちらの祖父母に預けるかだろう。私は母方が良いと考える。母方であれば母の意向が充分に伝わるが父方であればお互いに遠慮があるから上手く機能しないのではないだろうか。
 こんなことを考えていたら素晴らしい企業が現れた。福島市に本店を構える東邦銀行では120日間の「イクまご(育孫)休暇」を新設したそうだ。これは母親に3年間の育児休暇を与えるよりもずっと良い。厚生労働省は非現実的で結局本人と企業に皺寄せが行く能天気な制度を提唱するよりもこういう有効な策を検討すべきだ。
 この制度の画期的なところは、未取得分の有給休暇が使えることだ。殆んどの企業では有給休暇の権利は2年で消滅する。これは不当であり企業が買い取るべきだと私は考えているが、この銀行にはずっと持ち越せる「積立特別休暇」という制度が以前からあったそうだ。厚労省による有給休暇の5日間強制取得制と比べてずっと優れた仕組みだ。厚労省はこの銀行から労務管理の仕組みについて教わるべきだろう。
 こんな労務環境の素晴らしい企業で働ける社員は幸せだ。労務環境の悪い企業を中途退職せざるを得なかった私から見れば羨ましい限りだ。

税金泥棒

2015-04-09 10:19:24 | Weblog
 昨年最大の科学スキャンダルとして多くの人がSTAP細胞問題を挙げるだろう。しかしこれは本当に重大な不正だったのだろうか。STAP細胞問題による犠牲者は笹井博士と、無駄な研究に時間を割いた科学者ぐらいだろう。一方、薬のデータ捏造による犠牲者はとんでもない数だ。降圧剤や認知症治療薬などのデータが捏造されていたことが昨年も多数発覚した。
 STAP細胞のような基礎研究で捏造があっても殆んどの人は被害を受けないが、臨床医療に使われる薬のデータの捏造は死を招きかねない。死に至らないまでも治る筈だった人が治らなかったり医原病の患者にされる。昨日(8日)には市販薬による死亡者がこの5年間で15人だったと消費者庁が発表したが、本当の被害者の数はこんなものではない。桁が違う。こんな大問題がなぜ軽く扱われているのだろうか。
 これは鼻薬が効いているからとしか思えない。製薬会社は最大の鼻薬のメーカーでもある。私の知る限りでは、製薬会社は商品原価率が最も低い企業だ。逆の言い方をすれば粗利益率が最も高い企業だ。製薬会社よりも利益率の高い商売は麻薬などの違法取引以外には無いだろう。こんなボロ儲けできる商品を売るための販促費は膨大だ。有名人を使ってテレビCMをバンバン流す。新聞や雑誌への広告料も巨額だ。こうやってマスコミを手懐ける。
 その一方で平成25年の1年間だけで医師に対して約300億円も支払ったそうだ。この中には正規の研究費も含まれるだろうが多くは賄賂だ。こんなやり方で薬をどんどん使わせる。
 70歳以上の人の55%が高血圧症と診断されて降圧剤を飲まされているそうだ。このことを異常と思わない医師こそ異常だ。70歳以上の半数以上が異常値であるなら、逆にこれこそ正常値なのではないだろうか。動物の生体機能は合理的だ。支障が生じればそれを補う方向に変動する。高齢になると血圧が上がるのは固く細くなった血管でも充分に全身に血液を循環させるための適応だろう。健康な高齢者の血圧が基準値にされるべきであり、高血圧症とされている人の大半に対する治療は不必要どころか有害でさえあるだろう。
 あるいは薬の過剰投与も問題だ。飲み切れないほどの薬を処方するから年間の「残薬」は「年400億円を超えるとの推計もあり}(朝日新聞デジタル4月8日)、明らかに医療費を無駄遣いしている。
 医療費の多くは保険料と税金だ。こんな不正な手段によって国民の財産を収奪する彼らこそ、生活保護費の不正受給者や不良議員以上に悪質な税金泥棒(tax eater)なのではないだろうか。

寿命

2015-04-09 09:37:11 | Weblog
 もしかしたら日本の女性は世界で最も幸せなのかも知れない。その根拠は、世界一長寿だからだ。
 勿論単純に、長生きできるから幸せだなどと言うつもりではない。不幸な長寿もあり得る。私が主張したいのは、最も幸せな暮らしをしているからこそ長生きできるのではないか、ということだ。
 毎日酷使され、競争に晒されてストレスは溜まる一方、自由や寛げる時間は殆んど無く、差別され続けている・・・こんな人が長生きできるだろうか。日本の女性が世界一長寿であるのは世界一恵まれた境遇で生活しているからではないだろうか。その一方で、日本の男性の寿命が女性より7年も短いのは、男性こそ前述の悪条件を満たす酷い生活を強いられているからだろう。
 国民総てが奴隷のように働けば国力は高まる。もしその奴隷が、自分が奴隷であることに気付かず、企業のため・お国のためにと無理に無理を重ねて自主的に猛烈に働けば国力は更に高まる。企業も国もこんな自主的に働く奴隷が欲しいからそんな生活を奨励する。
 充実した家庭生活を楽しんでいる主婦に権力者が囁く。「貴女の能力が活かされていない。社会に出て自己実現を図るべきだ。」これは真っ赤な嘘だ。
 主婦には2つの役割がある。妻と母だ。これに更に正社員という役割を加えることなど果たして可能だろうか?そんなスーパーウーマンがいれば是非会ってみたいものだ。優雅な専業主婦が稀になりつつある昨今、優雅なワーキングマザーなどあり得ない。忙し過ぎてヒステリーを起こすのではないだろうか。子育てが一段落するまでは短時間労働での小遣い稼ぎが現実的であり、母という役割から解放された時点で再就職できる仕組みがあって欲しいと思う。
 公式の職業別寿命のデータは見つからない。ネットで探せば幾つか見つかるがどれも間違っている。例えばあるデータでは①宗教家(80歳)②政治家(75歳)③教授(74歳)となっており他のデータでは①宗教家(75.6歳)②実業家(73.2歳)③政治家(72.8歳)とされているが、最長寿の職業でさえ平成25年の男性の平均寿命80.21歳を下回っている!仮にこのデータが間違っていないのであれば、この統計の対象外の人々の寿命が最も長いということになる。つまり退職者や無職者だ。
 データに不備があるから断言できないが、無職者や専業主婦こそ長寿なのではないだろうか。幸せな人を奴隷の地位に落として扱き使い早死にさせてコヤシにすることを国や企業が企んでいるとは思えないだろうか?

靴磨き

2015-04-07 10:25:20 | Weblog
 4月1日の入社式についてコロンブスという靴クリームメーカーのイベントが多くのテレビ番組で報じられた。まず先輩が新入社員の靴を磨き、新入社員が磨き返すという儀式だった。こうやって入社早々に靴磨きの技術が継承されるのだろう。
 マスコミが報じた訳ではないが、これはエイプリルフールのジョークから生まれた儀式ではないだろうか。駄洒落だからだ。靴磨き(shoe shine)と新入社員(sin-nyu syain)や新社員(new syain)は語呂合わせになっている。new syainにshoe shineをさせたら面白いというジョークから生まれた儀式だろう。
 ところで洋菓子のシュークリームは和製外来語だ。英米人にとってshoe creamとは靴クリームのことであり、こんな物を食べたいとは思わないだろう。正しくはフランス語のchou à la crème(「クリーム入りのキャベツ」という意味)だ。
 コロンブス社にとってのライバル商品にキウイという油性靴クリームがある。これはオーストラリアで開発され今ではアメリカのジョンソン社が世界中で販売している。この靴クリームで磨くと靴がピカピカになる。別にコロンブス社の肩を持つつもりではないが、この光沢が実は曲者だ。表面に油性の皮膜を作るから光るだけなのだから、これは女性の厚化粧と同じようなものであり上塗りを重ねていれば有害になる。プラスチックや金属であれば表面にコーティングを施しても問題は起こらないが、皮革は元々動物の皮だから空気に触れていなければ急激に劣化する。靴を長持ちさせたければキウイではなくコロンブスの靴クリームを使ったほうが良かろう。キウイでピカピカに光らせてもそのまま放置せず一旦クリーナーなどで拭い取り、再度使う時に塗り直す必要がある。これは女性が就寝前に化粧を落とさねばならないのと同じことだ。
 綺麗に見せることと質の維持が対立する典型例だろう。キウイを使ってピカピカに磨けば傷み易くなるように、スリムに見せるために必要以下の食事しか摂らなければ健康を損なって結局醜くなる。永続きする健康美こそ本当の美しさであり、その場凌ぎの美しさはまやかしに過ぎない。健康を損なってまで美しく見せようとすることは本末転倒だ。


女性議員

2015-04-07 09:38:00 | Weblog
 女性の社会進出に反対しようとは思わないが、こと政治に関しては「やめてくれ」と言いたくなるほど酷い議員が続出している。衆院本会議を欠席しながら遊び呆けて除名された上西議員や遅刻を繰り返す片山議員など政治家どころか社会人失格だ。
 前の内閣にも、不明朗会計で辞任した小渕経済産業大臣や名前入りの団扇をバラ撒いた松島法務大臣がいた。彼女らは愚行そのもの以上に釈明のための答弁が恐ろしく低レベルだったために国民を呆れさせた。
 民主党内閣でも、大学新設を阻止しようとして訳の分からない理屈を振り回した田中文部科学大臣や煙草に関して事実を無視した発言を繰り返した小宮山厚生労働大臣などがいた。
 こういった不良議員の大半が二世議員か芸能人崩れだ。彼女らは特権階級の出身者であり世間を甘く見ている。何様のつもりなのだろうか。女性に機会を与えるのは良いことだがパイオニアにはそれに相応しい人材を厳選すべきだろう。クズ議員に下駄を履かせて大臣にすれば女性議員全体の質が疑われることになる。
 所謂学力において、平均すれば女性のほうが高いと思う。但しそれは平均での話であり、特別優秀な人は男性のほうが多い。それは男性のほうがバラ付きが大きいからだ。小中学校のクラスであれば、一番優秀な生徒も一番駄目な生徒も男性だろう。これは生物として必要な仕組みがあるからだ。種馬や種牛のように優れたオスであれば非常に多くの子孫を残せるが個々のメスが産める子供の数は限られる。だからオスが適度にバラ付いて、駄目な個体は淘汰され優れた個体が多く繁殖する。そんな自然淘汰を経て種の質が高まる。種の存続・繁栄のためには非常によくできた仕組みだろう。
 但しこれは一般論であり時にはとんでもない女性もいる。実は私が生涯で出会った中で最も賢いと思える人は女性だ。自分よりも賢いと思える人には大勢出会ったが、歯が立たないと思うほどにレベルの違いを感じたのは未だかつて彼女だけだ。
 女性議員の名誉挽回のためにも二世議員やタレント崩れでない優れた女性議員が現れて脚光を浴びて欲しいものだ。

切磋琢磨

2015-04-05 09:57:18 | Weblog
 弱い者に勝つよりも強い者に負けたほうがずっと得るものは大きい。自分の弱点を痛感するからだ。錦織圭選手が国内だけで試合をしていればあれほどの名選手にはなれなかっただろう。世界の強豪にコテンパンにやられたからこそ技術を磨き体力を強化したのだろう。
 人は頑張れば届く目標がある時に最も努力する。到達不可能なレベルは目標にならない。このことを最も端的に示しているのは、長距離走には双子のランナーが異常なほどに多いということだろう。自分の能力の限界は分からないものだ。だから他人に負けてもそれを素質の差と考えることが少なくない。ところが一卵性双生児であれば遺伝子は同じだ。先天性が同じであればその差は100%後天的なものだ。つまり練習の質と量および精神力が優劣の決め手になる。兄弟(姉妹)にできて自分にできない筈が無いという思いが双方にあるから切磋琢磨してお互いに能力を高める。双子の兄弟は正に理想的なライバルになる。
 この同じ遺伝子を持つライバル関係は必ずしも常に有効とは限らない。例えば同じチームでエースを争っていれば、この二人による継投は最悪だ。似たタイプどころか殆んど同じ投手による継投策は通用しない。むしろ類似性を生かせるシンクロナイズド・スイミングや新体操などを選んだほうが良かろう。
 瞬発力とは違って持久力を把握することは難しい。100m走の能力であれば走ってみれば分かる。しかし長距離走の能力は走ってみても分からない。どんなペースがベストなのか分からないし、どの程度まで耐えられるのかも分からない。あの名ランナーの君原健二選手でさえ「あの電柱まで頑張ろう」と思って走ったそうだ。持久力を競うレースのタイムは、精神力の強さだけでかなり向上する。
 最も精神力がモノを言う種目だからこそ長距離走には双子の好選手が多いのだろう。切磋琢磨できる環境であれば殆んどの人が実際の結果以上の能力を発揮していただろう。逆に言えば、殆んどの人が切磋琢磨できない環境のために充分に能力を発揮できなかったということだ。

約束

2015-04-05 09:24:24 | Weblog
 約束に当たる英語はpromiseだがpromiseにはそれ以外に「契約」という訳語も当てられている。約束と契約は似て非なるものだ。
 欧米の契約書と比べて日本の契約書は簡潔だ。契約書として書面にしなくてもお互いに約束を守ることが期待されているからだろう。しかし契約と約束には根本的な違いがある。契約すればそれがルールになるが、約束はマナーに過ぎない。契約不履行であれば罰則があるが、約束を破ったことを理由にして相手を罰することはできない。罰則の無い約束が成立するのは相互に信頼関係がありお互いに契約書以上のことを果たすことが暗黙の了解になっているからだ。
 約束を守らない人は信頼されない。しかし様々な事情があってどうしても約束を破らざるを得ないことは起こり得る。これは避けられないことだ。
 昔ベストセラーになった俵万智さんの「サラダ記念日」にこんな句があった。「今我を待たせてしまっている君の 胸の痛みを思って待とう」。待たされる側は辛いが、待たせている側も辛い。好き好んで待たせている訳ではあるまい。待たされる側は被害者意識を持つものだが、待たせる側にも事情がある。
 太宰治の「走れメロス」に描かれたように、約束を果たそうとする姿は美しい。しかし約束が無限責任になり命懸けで守らねばならないようなら重過ぎる。むしろ予め契約として義務を制限したほうが気楽だ。ドライな関係になる。
 その意味で一神教の神は理解し易い。新約聖書や旧約聖書の「約」は契約でありその指示は明快だからすべきこととすべきでないことが簡単に識別できる。むしろ聖典を持たない日本人のほうがずっと大変だ。個々人が相手の心を推し測って、相手が喜ぶことをして、嫌がることを避けねばならない。しかし人は千差万別であり、良かれと思ってしたことがとんだ迷惑になることもあり得る。
 そうなると最も確実なのは約束を守ることだ。約束においては相手の意思が明確に表示されている。外国人と比べて日本人が特に約束を大切にするのは、他の価値が曖昧で相対的であるのに対して、約束は明確で絶対的だからだろう。

分散投資

2015-04-03 10:23:36 | Weblog
 投資は分散するのが常識とされており、いつも非常識なことばかり書いている私もこの鉄則には従っている。国内預金、外貨預金、株、金地金などに分散して投資している。退職金の一部を投資信託に当てたがこれは失敗したので今は持っていない。
 最も多いのは外貨預金だ。これは米ドル、ユーロ、豪ドル、ニュージーランドドルに分散していたが、米ドルとユーロはレートが良い時に解約したので、今は高金利の豪ドルとニュージーランドドルだけだ。
 株については無節操なほどバラバラに投資している。これはそれなりに理由があってのことだ。株の将来価値など誰にも分からない。超優良企業と思われた日本航空が倒産したことを考えればどの企業がどうなるかなど分かったものではない。だから比較的有望と思える企業に、業態を問わず分散して投資している。分散するメリットは安全性だけではない。大化けする企業もたまにはある。私が持つ株で一番値上がりしているのは王将フードサービスで取得価格の3倍以上になっている。最悪はNTTだがそれでも3割程度の含み損に過ぎない。株は10勝10敗であれば大抵儲かる。たとえ100万円の株が半額になっても、別の100万円の株が倍額になれば差引50万円の儲けになるからだ。
 究極の分散投資は、国を二分する内乱での分散だろう。どちらかに付いて負ければ一族が滅ぶ恐れがある。保元の乱では源氏も平氏も、後白河天皇側と崇徳上皇側の双方に分かれて戦った。関ヶ原の戦いで真田家は、長男の信之は東軍、次男の幸村は西軍で戦った。たとえ一族同士で戦うことになっても全滅よりはマシだ。
 農業でも同じ品種に偏ることは危険だ。19世紀のフランスではブドウメアブラムシによってブドウがほぼ全滅したし、アイルランドでは胴枯れ病によって主食のジャガイモが大凶作になり100万人以上が餓死した。日本でも平成16年には鳥インフルエンザによって滅んだ養鶏場があり、平成22年には宮崎県の牛が口蹄疫によって大打撃を受けた。
 恐竜が絶滅したのは、当時の環境に過度に適応していたために気候変動に耐えられなかったからだろう。これは人類にとって大きな教訓だ。同質化は絶滅を招きかねない。「選択と集中」ではなく「分散と多様化」こそ生き延びるための鉄則だ。