うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

脊柱管狭窄症

2024-11-26 08:55:34 | 身辺

やってしまった!

冬支度で必須の薪作りに精出した‼️

が、2日後、左足臀部から太股にかけての痛みが‼️😡

当初は腰のダルさと違和感だったが、常日頃の症状だと一晩経てば回復すると軽く診た。

夜鍋で干し柿作りやら、

マイブームとばかりに、大盃で晩酌

結果、翌晩からの痛みである。

回復どころか痛みの進行悪化は早く、左足に重心を置けなくなった。  山荘一人暮らしは不可能だと翌日帰京、休日応急診療所へ駆け込んだ。

運良く休日担当医院が、MRIを含む最新鋭医療機器装備で、状態を即断してくれた。

脊柱管狭窄症の診断である。何番目かの脊椎関節で神経の通る管路が極端に狭くなっており、神経を圧迫しているそうだ!

病因は潜在的に在った脊椎変形と老化だろうが、直接的発症は薪割り作業だと判断している。

これから、降雪で山が雪に覆われたら、本格的な樵作業を目論んで居たのだが!

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朝目覚めて思った。

2024-09-08 14:22:42 | 身辺
何も目覚めたから、今起きなくても良いんだ
想えば、生涯初めての自由を得られたのではないだろうかと
この自由は、何にもやらなくても良い自由だ

今まで、誰かの為に、何かの為に、自分の為に、将来の為に、もっと言えば社会の為に、人類の為に、
何かに取り組まなければいけない、努力しなければいけない、お金を稼がなきゃいけない、健康の為に身体を鍛えなきゃいけない、栄養のあるものを食べなきゃいけない、規則正しく生活しなきゃいけない、身綺麗にしなきゃいけない、礼儀正しくしなきゃいけない、数え上げればキリがない。

昨日、収入の一角を占めていた賃仕事の契約から引退した。
今日から経済的収入は僅かな所謂年金だけである。僅かながら蓄えもある
切り詰めれば数年は、そんなに苦労せずとも暮らせるだろうし、私が亡くなったら妻一人暮らせる道も考えてある。
何より、75歳にあと3か月弱という年齢からは、そう多くは生きてはいないだろうと思えることもある
その時まで、痛い思いや辛い思いが、そんなに多くなければ良し、そんなに長く生きていなくても良しと云った程度の希望なのだ
しかも、折よく手作り小屋での一人山暮らしである事も僥倖。

こうなったら、何もしなくても良いのだ !     しても良いのだが、しなくても良いのだ
なんと楽なのだろう。
これを自由と云わずして、何なのだ。

暑くなかったら、大根の種蒔き準備をやるかな・?  明日でもいいかな・?
飯は喰うかな??  今は要らないかな??
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観光果樹園会社からの引退

2024-09-07 22:21:14 | 身辺
目覚めるや 悟る引き時 残暑かな

山荘暮らし生活の一角 果樹園アルバイト職からの引退を決めた、

2014年前会社を定年退職後、山荘近隣の林檎園主の紹介で週3~4日のアルバイトで入社した。

ずぶの素人が下働きの”ぼや整理” “ひこばえ抜き”から始まり、花の受粉や摘花、摘果、袋掛けと主に林檎の木の作業を順次覚えたものである。
林檎だけでなく、桃や梨加えて大きな作業量としては、葡萄の世話が大きかった。
一枝に2房付ける摘果と房整理、小粒を20節、大粒を8節で落とす摘心、種なしと果実肥大の為の薬剤処理(ジベレリン)、最終工程の袋掛け
桃、梨、林檎、葡萄 果物はとにかく摘果摘心、要するに間引きの量が半端でなく多いのに驚いた。

後半の5年位は、人手不足が顕在化すると同時に町営公社から民営化されて組織と運営が変わった。
株式会社化最初の施策が、作業員の休憩時間削減だったのには驚いて、現場の同僚たちと抗議を重ねたものである。何時しか現場慣例として従来の休憩の形態に戻したのであるが・・・
何れにしろ、10時と3時の休憩時間に合わせて、社員により準備供された茶菓子も廃止される等、大きく職場の状況は変わったものである。

 休憩しながらベテランからの技術アドバイスや果樹ごとの特徴や性質など経験を交えて知識吸収していたのが、皆無の状態になってしまった。 作業内容は10年1日が如く変わっていないのに、技術継承の機会が無くなる等、農業生産現場の知識のない経営なのではと???
だったらと、一アルバイト老齢社員の身でスマート農業への提案も試みたのだが、一顧にされない様子に流石に諦めたものであった。
時給も群馬県最低賃金にから出ることなく、人手不足が加速し男手が無い事などから、ここ2、3年は草刈り作業が主な作業となり体力的にも、技能興味としても魅力的な現場ではなくなっていたものである。

齢75歳目前にして、帯状疱疹発症を機に体力気力限界を自覚して、本日アルバイト生活からの引退を決した。  さて、何しようか・・・
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暮らしのダウンサイジング

2023-09-30 22:27:52 | 身辺

今日で、27年使った共同住宅の駐車場を解約した。

75才で年金の一つが無くなり、減収となるのを機に、生活規模のダウンサイジング、終活の一環だ。

主要な生活拠点を山荘に移したので、東京拠点の駐車場が月に三分の一程度の利用頻度になっていた。

減収年額がマイカー保有経費とほぼ同額になることで、拠点間往復利用が主要のマイカー保有、そのものの停止の選択も考えたが、そこまでは踏み込めなかった。

結果、賃貸駐車場解約で月額費用の圧縮策となった。

 時間貸し駐車場を渡り歩く、何とも情けない事態となった。

東京往復回数を減らし、電車利用の往復が主用手段となるのである。

 

朝、出がけに家人の見送りを受けながら、何とも物寂しい思いがした。

東京の自宅が、遠くなり還る場所ではなくなったような気分がした。

 18才の時に故郷を後にした時のような・・・

そのような感傷と共に、駐車場の解約なら未だしも、あと数年後には運転免許返納、廃車に続いて、我が庵 睡夢山荘を廃する事にも現実感が増してきた・・

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マイカー保有歴45年の停止検討経緯と結果

2023-08-10 11:22:11 | 身辺

齢75歳で年金の一つが終了する。

これが年額手取り70万円弱であり、奇しくも、これがほぼ愛車プリウスの運用年額とほぼ同額なのである。

マイカー保有の利点がこの出費以上の魅力として有った事と、この運用費用を年金収入内で賄えたから、維持してきたものだ。

筆者には現役引退後の主な拠点として、群馬みなかみに手作り山荘が有る。

此処への往復交通手段がプリウスの主要な用途である。

 

マイカー保有停止しようかどうか??

行きつ戻りつ気分は千々に乱れて、結果的にはあと2年の再リースに落ち着いた。

 

1案 廃車と駐車場賃貸契約停止

2案 残価支払い車両保有と駐車場賃貸停止

3案 リース月額低減、車両保有と駐車場賃貸停止

 

これで月額27,000円 年額324,000円のコストダウンを!!

運用利便性は6割がたは低減するが・・・・

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