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うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

元旦の風景.

2025-01-03 09:01:32 | 身辺
年始めの食事だけは、形に拘りたい気分である。
団塊世代の幼少期は、未だに食料難の色が濃かったような気がする
1個の卵を兄弟3人で分け合って食べた思い出がある。
良く撹拌しないと年の順で先に取った兄貴に多く入るからと、兄弟ゲンカの発端になったものである。
 そんな日常の食卓風景が、元日の朝だけは違っていた。
新調した四つ身の着物を着て、銘々の食器に盛られた煮豆やガメ煮、お雑煮、茶碗蒸し等のご馳走が並ぶ食卓に着くのである。
 他所行ききの羽織を着た父親が威儀を正して、おめでとうの言葉を発して一年の始まりを語りながら、1人一人にポチ袋を手渡してくれたものである。
 お袋さんの手作りのがめ煮や煮豆の美味しかったこと。

65年前の遠い昔の味覚が蘇る75回目の元旦の朝である。



今は、後期高齢、前期高齢夫婦の二人食卓である。
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鬼平犯科帳と兎屋どら焼きと年金終了

2024-12-10 13:45:28 | 身辺
兎屋にどら焼きを買いに行ったら、こんなポスターを発見


今まさに、脊柱管狭窄症の罹患で療養中を過ごすのに、一気読みしている池波正太郎作 鬼平犯科帳を講談で語るという。
しかも、その物語の舞台が上野御徒町周辺だと! !


早速、リハビリトレーニングを兼ねて、ウサギやcafeまで足を運びチケット購入した。年明けの楽しみに・・・・
cafeではどら焼きにバターを沁みさせた うさどらフレンチ焼き を食した。


いろいろ楽しんで帰還したら・・・・
企業年金支給最終通知が、来ていた!  !

年明けと同時に 楽しみと金欠苦が来る。
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脊柱管狭窄症

2024-11-26 08:55:34 | 身辺

やってしまった!

冬支度で必須の薪作りに精出した‼️

が、2日後、左足臀部から太股にかけての痛みが‼️😡

当初は腰のダルさと違和感だったが、常日頃の症状だと一晩経てば回復すると軽く診た。

夜鍋で干し柿作りやら、

マイブームとばかりに、大盃で晩酌

結果、翌晩からの痛みである。

回復どころか痛みの進行悪化は早く、左足に重心を置けなくなった。  山荘一人暮らしは不可能だと翌日帰京、休日応急診療所へ駆け込んだ。

運良く休日担当医院が、MRIを含む最新鋭医療機器装備で、状態を即断してくれた。

脊柱管狭窄症の診断である。何番目かの脊椎関節で神経の通る管路が極端に狭くなっており、神経を圧迫しているそうだ!

病因は潜在的に在った脊椎変形と老化だろうが、直接的発症は薪割り作業だと判断している。

これから、降雪で山が雪に覆われたら、本格的な樵作業を目論んで居たのだが!

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朝目覚めて思った。

2024-09-08 14:22:42 | 身辺
何も目覚めたから、今起きなくても良いんだ
想えば、生涯初めての自由を得られたのではないだろうかと
この自由は、何にもやらなくても良い自由だ

今まで、誰かの為に、何かの為に、自分の為に、将来の為に、もっと言えば社会の為に、人類の為に、
何かに取り組まなければいけない、努力しなければいけない、お金を稼がなきゃいけない、健康の為に身体を鍛えなきゃいけない、栄養のあるものを食べなきゃいけない、規則正しく生活しなきゃいけない、身綺麗にしなきゃいけない、礼儀正しくしなきゃいけない、数え上げればキリがない。

昨日、収入の一角を占めていた賃仕事の契約から引退した。
今日から経済的収入は僅かな所謂年金だけである。僅かながら蓄えもある
切り詰めれば数年は、そんなに苦労せずとも暮らせるだろうし、私が亡くなったら妻一人暮らせる道も考えてある。
何より、75歳にあと3か月弱という年齢からは、そう多くは生きてはいないだろうと思えることもある
その時まで、痛い思いや辛い思いが、そんなに多くなければ良し、そんなに長く生きていなくても良しと云った程度の希望なのだ
しかも、折よく手作り小屋での一人山暮らしである事も僥倖。

こうなったら、何もしなくても良いのだ !     しても良いのだが、しなくても良いのだ
なんと楽なのだろう。
これを自由と云わずして、何なのだ。

暑くなかったら、大根の種蒔き準備をやるかな・?  明日でもいいかな・?
飯は喰うかな??  今は要らないかな??
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観光果樹園会社からの引退

2024-09-07 22:21:14 | 身辺
目覚めるや 悟る引き時 残暑かな

山荘暮らし生活の一角 果樹園アルバイト職からの引退を決めた、

2014年前会社を定年退職後、山荘近隣の林檎園主の紹介で週3~4日のアルバイトで入社した。

ずぶの素人が下働きの”ぼや整理” “ひこばえ抜き”から始まり、花の受粉や摘花、摘果、袋掛けと主に林檎の木の作業を順次覚えたものである。
林檎だけでなく、桃や梨加えて大きな作業量としては、葡萄の世話が大きかった。
一枝に2房付ける摘果と房整理、小粒を20節、大粒を8節で落とす摘心、種なしと果実肥大の為の薬剤処理(ジベレリン)、最終工程の袋掛け
桃、梨、林檎、葡萄 果物はとにかく摘果摘心、要するに間引きの量が半端でなく多いのに驚いた。

後半の5年位は、人手不足が顕在化すると同時に町営公社から民営化されて組織と運営が変わった。
株式会社化最初の施策が、作業員の休憩時間削減だったのには驚いて、現場の同僚たちと抗議を重ねたものである。何時しか現場慣例として従来の休憩の形態に戻したのであるが・・・
何れにしろ、10時と3時の休憩時間に合わせて、社員により準備供された茶菓子も廃止される等、大きく職場の状況は変わったものである。

 休憩しながらベテランからの技術アドバイスや果樹ごとの特徴や性質など経験を交えて知識吸収していたのが、皆無の状態になってしまった。 作業内容は10年1日が如く変わっていないのに、技術継承の機会が無くなる等、農業生産現場の知識のない経営なのではと???
だったらと、一アルバイト老齢社員の身でスマート農業への提案も試みたのだが、一顧にされない様子に流石に諦めたものであった。
時給も群馬県最低賃金にから出ることなく、人手不足が加速し男手が無い事などから、ここ2、3年は草刈り作業が主な作業となり体力的にも、技能興味としても魅力的な現場ではなくなっていたものである。

齢75歳目前にして、帯状疱疹発症を機に体力気力限界を自覚して、本日アルバイト生活からの引退を決した。  さて、何しようか・・・
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