うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

武田泰純 司馬遷を読むⅡ

2024-08-02 13:51:34 | ブログ

司馬遷を読み出し一応の読後で、これは原典の史記への取り組みが必須であることに、思いは至った。
この読書はどうやら、久し振りの難事業の気がしている。  読書を難事業とは??!
すなおか氏の述懐に今さら納得の感である。

武田泰純の司馬遷を道案内に、史記本紀から並列読書を始めている今夏である。 
  が、何やら世事、体調に追われて、遅々として読み進めない。
史記本紀12編、世家30編、列伝70編
やっと始皇本紀6編に辿り着いたところで、齢相当に帯状疱疹に罹患、また遅延である。


果樹園アルバイトの合間に、一年分のブルーベリージャムやトマトソース作りに加えて、苫屋の補修工事4箇所、菜園の玉葱、ジャガイモ収穫やらインゲン、小豆の種蒔き、キャベツや大根の植付け準備と田舎暮らしは、本当に多忙である。


 この多忙さに少し参ってしまった結果だろうか免疫力低下、帯状疱疹の発症は????


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みんな何故怒らないの??

2023-05-07 10:47:44 | ブログ

香山リカさん関連ツイッターの記事に出ていたデータです

出典、事実確認はしておりませんが、かく有りなんと思った。

私の40半ばの時代はそうだった

 

みんな日本の現状を知ってた??  って表題です

みんな何故怒らないの??

特に、中堅現役世代の人たち!

また、困難が確実に訪れるこれからの時代を生きる若者たち

いつまで、年寄り達に引きずり回されるの

馬鹿じゃないの!!

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老齢自覚

2023-01-13 18:03:44 | ブログ

もう、いい加減に自覚し、慣れないと!!

 

信号の無い横断歩道での出来事。

集団下校中の小学生の一団に出会った。

当然のことながら、お先にどうぞと手で合図!

礼儀正しい上級生、有難うございますって・・!!帽子を脱いで一礼。

 

次に出た言葉 「みんな早く渡れ!・・・!  お爺さんが待っててくれるから・・」

 

 えっ !  ホンの一瞬なのだが、自分の事だと判らない自分が居た。

小学生達を見送り、横断歩道を通過しながら、独り車内で、ほろ苦く大笑いしたものだ。

 私には孫が居ない、兄妹にも子は居るが未だ孫が居ない。

要するにお爺さんと呼ばれる環境が私の周りに無い。

半年くらい前に、ボランティア子ども食堂の手伝いに出向いた際、小学生の男の子に、「お爺さんはどこの人??」って、声を掛けられ、同様に自分の事だと判断できなかったことが有った。

僕のうろたえた様子に違和感を覚えたのだろう、大学生ボランティアメンバーが話を聞いてくれた。

笑い話だって自虐ネタとして話したのだが、彼女が気を回してくれたのだろう。

 その後は名前でしか呼ばれたことは無いのだが。

 

 確かに、70過ぎればお爺さんである。見た目も我ながらお爺さんの風体をすっかり纏っている。

今回で2回目である。 今回まではご勘弁を !! 

3回目からは、しっかり覚悟してお爺さんと呼ばれましょう・・・・・

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2月に掲載したボランティア参加の続編

2021-07-04 08:01:08 | ブログ

経済的家庭環境によって生じる教育機会の偏差是正を目指したLFAに参加している

僅かばかりの月額カンパと子ども食堂の手伝いである。

小学生の子供たちや大学生中心のボランティアメンバーとの交流が生じている

老人にとって若い人との交流は、有難い事に活力を頂ける気がする

 

今般、中高生中心の居場所作りボランティア “暖家” からの依頼で、菜園づくりの手伝いに参画することになった。

居場所づくり拠点の庭の一角に、2m×3m程度の畑を作って野菜を育てようとの計画である。 子ども食堂への自家栽培野菜を時々提供していた縁で依頼を得た。

定年後の野菜作りから得た野菜作りの基本的ノウハウを纏めて提示した

早速、現地を診て具体化へ動き出したところである。

 

COVID-19禍による在宅勤務で、一躍注目の遠隔会議アプリ “zoom” の利用も余儀なくされて、まさかの遠隔会議体験となりそうである。

アプリのダウンロード、インストールやPCやタブレット、スマホの設定などと本来の畠づくりとは違う作業に忙殺されている。

斯様に、人との交わりは様々な刺激と新しい体験の機会を得られるものである。

有難い事である

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ボランティアについて

2021-02-28 22:40:15 | ブログ

LFAというNPO法人事業へ寄付と作業ボランティアに、先月から参加している。

 若い人たちが始めた事業で、主に経済的家庭環境によって教育機会に偏差が生じている現実があり、この不平等さは教育という基本的人権において許されるべきではないことから、これの解消と、問題提起を実践する事業だと認識している。

 参加の契機は、社会福祉法人主催の高齢者生活ボランティアへの登録活動している中で後世代での困難が具体化している現実を知ったからである。

 

 昨年末、同年の親友が逝った。 私たちは所謂、団塊世代である。

この団塊世代の20才代 1965年~1975年は、全共闘に代表される政治の季節であった。

 東京オリンピック以降の高度成長により、それまで一様に貧しかった社会が一挙に階層分化が進み、格差が生まれ競争が当たり前になった。

 その結果、生じた価値観の大きな変化が、若者の反抗という形で社会現象化していったのだと思う。

 このような時代状況の中で私達が意識したのは、格差や差別や貧困は社会の矛盾が引き起こしたもので、社会全体として制度的にその矛盾を解消是正することなしには根本的な解決は得られないものであるということだった。

 だから、それの現実的解消とは社会的制度的改革なんだということだったし、それに向けての政治運動こそが優先されると認識していた。

 このような認識の下でのボランティアと云う方策は、金持ちの自己満足に依拠する社会矛盾の弥縫策に過ぎない唾棄すべきものとしていた。

 

 基本的にこの社会的矛盾の構造は同じだと思うし、それの根本的解消や是正は社会全体として政治が担うべきものであることに変わりはないと今も思う。

 しかしながら同じ思いを希求し語った友も逝ってしまったし、社会参画してから具体的に何事も成し得なかった50年を経た今、残された時間はあまりに少ないということに行き当たったのである。

 そして、何より具体的現実として困難に直面している子供達に手を差し伸べることこそ、今の自分にできる事、否それしか出来ないと認識すべきだと思うからである。

 若い人たちが立ち上がり自主的に動き出した事への賛同と微力を寄せることで、希望の光を見られる事が去り行く老兵の幸である。

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