うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

物語7

2014-02-18 21:11:23 | インポート

隠れキリシタンとお納戸様Ⅱ

作:  界 稔

<o:p></o:p>

2011430_1161天草諸島

 

「 武吉殿 隠さず申し上げる。

 先ほど岬の寺から源次が持ち出した品を、私が密かに取り返しておいた。この品は、もしやご禁制に関わるものではあるまいか??

私には誓って他意はないし、他言もしておらん。 

武吉殿なら事の仔細をご存知であろう。話してはくれまいか?」<o:p></o:p>

 尋常でない八乃進の様子に、覚悟はしていた武吉であったが、目の前にお納戸様を出されて、狼狽しないわけは無かった。

「 こ、これは・・・

 如何なる次第でこのようなものが、八之進様の手に? 」

夕刻からの次第を、加奈と辰爺さんの身を危ぶむ気持ちから源次の後を付け、掛け軸を盗み出してきたこと、危惧することが当を得ているなら、力になりたいこと等を八之進が語ると、意を決したように武吉が語りだした。

「 そうでしたか、

 源次の様子に気をつけるように言い置いていたのですが、迂闊なことでした。  八之進様に取り戻して頂いたこと、本当に不幸中の幸いです。

お礼を申し上げます。

お察しのとおり、この品はご禁制の祈りの品です。

この村の者は天主様の信仰に帰依しています。もちろん私もそうです。加奈や平太の親もそうでした。

ご禁制になったとしても、私たちの信心は変わりようも無いのです。人の心を縛り付ける事が出来ようもありません。

私たちは人知れず、私たちの信仰を守っていこうとしていただけなのです。

手酷い御支配様の在り様に、主への信仰心だけが支えともなっているのです。

多久島の者供の厄災も、直訴への懲罰だけじゃなく、ご禁制に触れた者への見せしめでもあるのです。

 私たちの信仰と何より私たち村人全員の為に、今申し上げたことを、お支配様から守り抜かねばなりません。 今後どうするかは私たちで何とかいたします。八之進様にこれ以上ご迷惑をかける訳には参りません。ただ、これまでの事、私がお話した事などを他言なされぬようお約束頂ければと重々にお願い申し上げます。」

「わかりました。

 もちろん他言などご心配無用に存じます。

それと、私に出来ることがあれば、ご遠慮には及びません。加奈殿や平太と出会ったことも何かの導きかも知れません。

 今は、源次の動きが心配です。」

八之進は、加奈や平太の親を失った心細さと、武吉や村人の誠実な信仰へ思いに、自分の心を寄せられそうな気がしていた。<o:p></o:p>

 

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ネパール写真

2014-02-13 09:57:12 | インポート

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物語 その6

2014-02-12 23:27:40 | インポート

隠れキリシタンとお納戸様 

作:  界 稔

翌晩 八之進は日課にしている小太刀の型修練を一通り終わり、月明かりの中を村に向かい浜辺を一人あるいていた。 

浜茄子の砂丘の向こうから、提灯の明かりが近づいて来る、相手からは八之進は月明かりとは云え、見えないらしい。 

漁師の朝は早い、当然夜は早々と灯りが消えてしまうのが常である。 この時間に外に人影があるのも意外な気がした八之進は無意識に打ち寄せる浜辺の砂に身を隠すように腹ばいになった。 

人影は女一人である。 そのままやり過ごした八之進は、その人影が加奈のように見えたこともあり、夜分女一人で・・・・と、後を追うことにした。 

打ち寄せる波の音と砂浜が八之進の足音を消してくれた。 砂浜が切れて岩肌を波が洗う岬へ続く坂道を提灯の灯りが登っていく。

 

「 たしか、この上には小さなお寺とは名ばかりの祠が在るばかり・・・・。」

 

提灯の灯りが上りきって下から見えなくなった後、八之進は坂を上った。 祠の前の石灯籠の二基に灯りが点いており、祠の中からも灯りが漏れているのが見えた。上がり框には何人分かの履物があった。微かに声を合わせて謡っているような音が聞こえてくる。 

八之進がもっと近づこうとしたとき、祠の縁下に蹲る人影を見た。その人影は祠の中を窺うような様子で八之進には気がついて居ないようである。

 

「 源次だ! 」 八之進はとっさに身を隠し、

 

「 何で源次が・・・・、祠には誰が・・・、何をしているんだ・・・」 

 

詠っているような声が途絶えて、密やかにくぐもった語り口の話し声が時々聞こえてくる。 

源次の姿が縁の下から見えなくなった。 

祠の扉が開き、中から村の見知った人影が出てきた。武吉の屋敷で八之進の身の回りを手伝ってくれる辰じいさんと加奈の姿も在った。 

彼らは一人、二人と静かに帰って行く。 

最後の二人が灯りを消して立ち去るのを見送り、月明かりを木陰で避けながら、小半時も待った。 

祠の後ろから源次が這い出てくる。辺りを見回し、祠の中に入り灯りを点けた。 

 源次が祠の扉を開けて出てきたとき、手に何かを持っているのを見た八之進は、今度は源次の後を追った。

源次は来た道とは反対側へ行く。岬の方に出るらしい。辿っていくと昨日源次と出会った社に出た。 

源次はそのまま、社の中に入り込み、直ぐ出てきた。 祠から持ち出した物を社に隠し置いたものと思えた。 

八之進には加奈や辰爺さんの身に災いの降りかかる物のような気がした。 それは一幅の掛け軸であった。観音様が赤子を抱いた絵柄である。変わっているのは十字の首飾りを着けていることであった。

 

「 耶蘇教だ・・・」

 

加奈や辰爺さんの集まりが何であったか、八之進にも得心できた。そして、源次が何を探り回っているのかも・・・。<o:p></o:p>

 

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物語再掲

2014-02-11 16:22:28 | インポート

作: 界 稔

序章

徳川300年の幕藩体制下、米作中心の生産体制と現実の貨幣経済との矛盾あるいは、各藩への窮乏化政策である参勤交代や幕府特命の各種土木工事などにより、西国の雄藩 薩摩と言えどもその藩財政は困窮を極めていた。 これは、どの藩も似たり寄ったりであったが、薩摩というところは米作に不向きな火山灰生成によるシラス台地がほとんどの土地を占めていたため、表向きの石高に関わらず、実際は思ったほどの石高は取れなかったのが現実であった。    下層農民の逃散や散発的な一揆押しかけは、日常化しつつあったし、藩主の日常賄いもたびたび制限される事態となっていた。  また、藩主交代に当って、藩政改革を求めた近思録事件が起こり、切腹13名を含む100名余の処分者を出す騒ぎが起こった。  時の藩主斉興はこれに対し、財政に明るい調所笑佐衛門広卿を家老に抜擢し、藩財政の建て直しを命じていた。

後代の不評はあるが、この調所は本当のところ大変な名家老と言えよう。

幕末薩摩の勇躍を支えたのは、この時代の財政建て直しの功によるものであるといっ ても過言ではない。     貨幣経済の現実に合わせて、換金作物の栽培、生産と物流を含めた交易体制の整備は必須改革要項であった。   中でも奄美地方の砂糖キビ栽培とその搾取政策は、その販路の独占により、莫大な利益を生んでいった。   また、大阪や江戸の御用商人からの借金の棒引き、踏み倒しに近い契約を粘り強い交渉の末に結ばせたりしていた。

一方、西国辺境の地であり、近年盛んに出没する外国船の影響も見逃せないのだが、鎖国と厳しい隠密、目付けの監視政策にもかかわらず、外国との密貿易も大きな財政確立の柱となりつつあった。    元来、薩摩は300年前の関が原の合戦にあるように、徳川への反抗心は伝統的なものであった。   辺境にあることと、その剛猛な軍団を刺激したくない幕府の思惑から外様としては破格と言える石高と領地を保障されていたが、この反面厳しい監視の下に置かれていたのは当然であったろう。

 鹿児島は今でも特異な地方語健在な地域である。抑揚の違いや単語の特異性はは隣の熊本や宮崎、沖縄とも極端な違いを示している。 

 人為的変造の匂いがするくらいである。地元の古老によるとよそ者、特に幕府隠密との判別をし易くするために、言葉を変えたのだと聞いたことがあるほどである。 

このような、土地柄である幕府隠密も中々入り込めなかったものであろう。 

 よって、砂糖キビや蝋燭、養蚕、葉タバコなどの換金作物の生産の奨励政策も本来は幕藩体制の下ではままならないはずであったが、一躍殖産繁栄したものであった。 

このような交易材料を担保に御用商人の借金長期返済契約を勝ち取ったり、新たな借金を強奪的に契約したりの、豪腕家老であった。 

一方、密貿易は東シナ海に面し天然の良港を多数持つ薩摩である。 

北薩摩の川内川河口の寺泊や阿久根、甑島や薩摩半島の山川、枕崎、坊津など、主に朝鮮や清の海賊まがいの密輸船が出入りしていた。 

また、香港、マカオからのオランダ船や近年姿を現しだした英仏米艦隊の琉球出入りも鎖国崩壊を見るようであった。 

事実、島津重豪の時代には、航海物資の補給を名目に、度々外国船が訪れ西洋の文物が流入したもので、西国領主や京都公家衆の間で珍重物流したのであった。 

 ここに注目したのが調所であり、支那やマカオを経由して取引される付加価値の高い密貿易品に焼き物があることを知る。 

支那や朝鮮白磁に代表される白磁器は近世ヨーロッパで大変な人気を博していた。 

ボーンチャイナと称されるヨーロッパ磁器の一世紀以上前史には、景徳鎮を初め李朝白磁などが盛んに製作されたものであった。  

これはヨーロッパ貴族の愛好するものの代表的な焼き物であり、後世のヨーロッパの焼き物にも多大な影響を与えたのである。 

 薩摩には、秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮白磁に憧れた時の島津義弘が、朝鮮陶工を捕虜、連行して開窯させた薩摩焼があったものの、本場の白磁には及ばぬものであった。 

もともと、磁器は陶器と違いガラス質を多く含む陶土、正確に言えば陶石を砕いて粉末にしたものを原料にし高温釜で焼成する、より高度な技術を必要とする焼き物である。 

このガラス質の為に、硬度が高く薄い器の製作も可能であり、より透明感のある白焼き物が焼成できるのである。 

 この時代、磁器の生産が盛んに行われたものに、有田が在った。 

密貿易船からの情報に、この有田の磁器が珍重されていることを知った、調所は薩摩の各窯元の陶工陶首を手厚く保護して殖産興業を図ったのである。

 

 伊作家当主の佐衛門へ隠密な下命が在ったのも、このような状況下であった。 

伊作家は陶工窯元を束ねる名主職を代々、務める家柄で、士分とはいえ、多くの使用人を抱えて自らも陶窯を営んでいた。 

佐衛門には、嫡男の作衛門の他七人の子供が授かったのだが、二人の娘と末っ子の八之進の四人を残し、後は若くして病没していた。妻の徳江も末の八之進の産褥中に身まかっている。 

当主の座を跡取りに譲り、後はのんびり老後をと、思っていた佐衛門にとって、昨今の藩政改革の動きや藩上層部の陶器への関心の変化に、異変めいたものを感じていた矢先である。

 

「佐衛門さあ、息災そうでなによいじゃ。

 

窯場ん様子はどげんじゃろかい。 盛んじゃっとじゃろな! 顔をあげやぃ。」

 

鹿児島城下の勘定方役宅に突然呼び出され、緊張の面持ちで平身低頭している佐衛門に、声を掛けたのは勘定方家老の伊地知である。

 

「あいがとございもす。お陰さあで、職人達っも励んで呉れもんで、何とか御用もできもしと。」

 

「そげんな。それぁ良かした。 

佐衛門さあもヨカ年成いやしたなぁ、どしこ成いやしたな?」

 

「もう、58じゃいさぁ、後取いの作衛門に譲っせえ、ゆっくいしたかと思いもす。」

 

と、問答を交わしたところで、伊地知が真顔になり、「ところで 」と、話したのが、4男の八乃進を御用に取り立てるから了承せよとの事であった。

 

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ふくしまの甲状腺がん

2014-02-11 13:51:21 | ニュース

 

東京都知事選やオリンピックのから騒ぎの陰で、大変な情報が黙殺されたように見過ごされている。<o:p></o:p>

 

2月7日に発表されたニュースで、福島県の18歳以下の甲状腺癌の調査結果である。<o:p></o:p>

 

東京新聞記事 

東京電力福島第一原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会が七日、福島市で開かれ、甲状腺がんと診断が「確定」した子どもは前回(昨年十一月)の二十六人から七人増え三十三人になった。「がんの疑い」は四十一人(前回は三十二人)。甲状腺検査は、原発事故発生当時十八歳以下の全員、約三十七万人が対象。 

国立がん研究センターなどによると、十代の甲状腺がんは百万人に一~九人程度とされてきた。

 

37万人中33人の甲状腺がんと診断されているという。

一般的な発生率が100万人に1~9人というのにである。 

100万人に換算すると、89人という数字である。なんと90倍~10倍の発生率である。 

この厳然たる事実を前にしても、多くの人が黙したままである。

 

もはや、日本人は思考停止に陥ってしまったのだろう。目の前の事実にさえも特段の反応を示さないどころか、原発再稼働の政権支持を表明した。 

都知事選を慮って、NHKをはじめ多くのマスコミが原発問題を意図的に報道しなかったのは事実であろう。そしてまんまと、そのマスコミ操作に乗せられたのも、大馬鹿な都民である。

 

自らの残り少ない時間の介護の心配しかしない、団塊以上の年寄り達よ!! 

せめて、貴方達だけでも次世代への思いやり持てないものだろうか??

 

団塊以上の年代は全て、福島県へ移住、農業でもやりながら自立して、若い世代の負担を軽くするようなコミュニティを、誰か企画しないものか??<o:p></o:p>

 

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