日暮里から浅草辺りを自転車で探訪した。
西日暮里駅近くの道灌山にある公園で見た看板である。
江戸期から明治初期にかけて、江戸市井で流行した“虫聴”についての説明である。
一旦は一読して通り過ぎたのであるが、気になって写真を撮り直しに引き返した。
当時、道灌山は小高い丘陵地帯で筑波山や墨田大川が見渡せる景勝地で人気の場所だったそうだ。江戸開闢以前、太田道灌が此処に城砦を築いていたところである。
気になったのは、江戸市井の人々が“虫聴”などという風流な悠長な高尚な非実利的なだから優雅な遊びに耽ったということである。
夏の終わりから初秋の夜長に、老若男女が集まり、松虫や鈴虫などの虫の音を聞き自然の美しさやすばらしさを楽しんでいたそうだ。 それも、江戸市中に虫聴の名所が複数有って、その最も有名なのが此処道灌山であったと記してある。
現代でも花見があり錦秋の名所が賑わいを見せてはいるが、虫聴はこれに比べて喧しさもなく実に風雅なもののように思える。
これに限らず夕焼けの色を、満点星を、名月を愛でて季節の移ろいを感じ、物事の消滅再生や自然の奥深さに思いを馳せる。そんな日常を持っていた江戸人は、現代人が明日に思い悩み今日の生活に追い回されているのに比して、何という高度の文化人だったのだろうと思えるのである。
明日の明後日の将来への不安の中の生活は、決して虫聴などという遊びに誘わ無いのではないだろうか?
江戸人は果たして大金持ちだったのであろうか?否!
江戸人の啖呵に、“宵越しの金は持たねぇ!”というのが有る。やせ我慢の言い回しであり貧乏人の開き直りである。 なのに何故、こんな余裕の態様が日常に有ったのであろう?
明日への不安、将来への不安とは、果たして経済的な貯えや社会保障制度の未整備だけの問題だけなのだろうか?
どうやら、人と人の繋がり、社会の在り様、自然や生死への関わり方等に関連がありそうである。明治期急速な西洋化が進んだ。西洋化とは個人主義と市民社会と国家制度と資本主義のことではないのか・?
江戸人は地域共同体の中で生きていたので個人が個々に孤立していなかったのである。
だから、単純に言えば“宵越しの金は”必要なかったのである!!