うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

立憲デモクラシーの会 声明(転載)

2016-07-17 12:05:51 | 社会・経済

参議院選挙結果は与党勝利の結果となった。

しかし、その争点を経済再生に設定したにも関わらず、その後の政府与党の動きは、憲法改定論議へまっしぐらである。 予想した通りとは言え、国民を愚弄、目くらましの政治手法に振り回されてはならないのだ!!

以下に、立憲デモクラシーの会が発表した声明を全面的支持の下に、全文転載します。

  

2016年参議院議員選挙を受けての声明

2016年7月15日
立憲デモクラシーの会

 このたびの参議院議員選挙を受けて、立憲主義の回復・強化を目指す立場から、所感を示したい。

1 憲法改正について

 安倍政権は、2012年と2014年の衆議院議員総選挙、ならびに2013年の参議院議員選挙において、集団的自衛権の行使容認を争点として明示しなかったにもかかわらず、2014年には従来の定着した閣議決定を覆し、2015年には一連の安保法制を立法化して、憲法の枠内で政治を行うという立憲主義の基本原則を根底からゆるがした。
 今回の参議院議員選挙の選挙運動においても、安倍首相と与党は、憲法改正にほとんど言及せず、憲法改正が有権者の信を問うような争点ではないとの主張に終始した。これに対し、野党側は、従来からの政権の政治姿勢に照らして、選挙では憲法を争点として明確化することを回避した上で、参議院でも憲法改正発議に十分な議席数を得れば、一転して憲法改正を推進するのではないかとの危惧から、もし憲法改正を志すのであれば、正面から論争を提起し、選挙戦で議論すべきだと訴えた。
 しかるに安倍首相は、そうした当然の要求をはねつけておきながら、選挙後には、憲法改正についても民意による承認が得られたかのごとき発言を行っている。さらに、憲法改正を行うこと自体はもはや既定方針であり、改正項目の選択の問題であるとか、改正内容を決めるのは国会の権限であり、国民ができるのは国民投票で賛否を示すことだけであるとの一方的な決めつけをしている。
 また、世論に多大な影響力を有するマス・メディアは、政権の意志を忖度してか、選挙前には政治報道を縮小し、今回の選挙結果が憲法改正に及ぼしうる効果についても事前に伝えなかったにもかかわらず、選挙後には一転して、参議院でも「三分の二」が確保されたと喧伝し、憲法改正が既定方針であるかの世論形成を助長している。
 立憲主義擁護の観点から、こうした一連の経緯について、以下の諸点を指摘する。
 第一に、憲法改正のような国政上の最重要事項について、それを選挙に際して最重要の争点として明示しなかった以上、選挙に勝利したからといって、民意による承認が得られたとすることは許されない。そのような「争点隠し」を憲法について行うことは、主権者である国民を欺瞞し、愚弄するものである。
 第二に、何らかの意味で改憲に積極的な議員数が衆参両院で「三分の二」を超えたという事実は、憲法改正手続に照らして無意味であり、これを喧伝して憲法改正の方針が固まったかのように主張することは虚偽である。現時点では、各政党間で、改正項目についての合意が得られておらず、特定の項目について、両院で三分の二の議員が賛成する見込みは全く立っていない。国会による憲法改正の発議は、「関連する事項ごとに区分して」行われることになっているため(国会法68条の3)、雑多な提案を抱き合わせにして、一括して国民投票にかけることもできない。安倍首相らは、自民党の改憲案が議論のベースになるとも主張しているが、この改憲案は立憲主義の基本原則をふまえず、憲法そのものの否定につながりうるものであり、与党内においてさえ、これをベースとする合意が得られるとは思われない。
 以上から、現状では、憲法改正の条件は全く整っていないことを確認したい。

2 安保法制について

 当会が繰り返し主張してきた通り、一連の安保法制は、実質的に憲法9条の改正に等しい規範内容の変更をもたらすものとして、違憲であり、廃止されるべきである。同法制をめぐる閣議決定と、強行採決を含む立法手続きは立憲主義をふみにじるものであり、容認できない。
 安保法制により、武力の行使には当たらない「国際社会の平和と安定への一層の貢献」として、他国軍の後方支援やPKO活動の任務が拡大された。しかし国会審議にあたっては、それら自衛隊の海外での活動に関する議論は不十分にとどまり、国民共通の理解が深まっているとは言いがたい。
 そうした中、自衛隊が派遣されている南スーダンの治安情勢が急速に悪化している。法制上は想定されていない事態が発生した結果として、隊員や在留邦人そして現地住民の命が無用な危機にさらされ、あるいは奪われるおそれが高まることが懸念される。この事態に際し、自衛隊の撤退を含む措置が緊急に必要である。
 それに加えて、この機会に、いわゆる集団的自衛権の行使容認がもたらす効果について、国会で再検討がなされ、安保法制の廃止と立憲主義の回復が実現されることを強く求めたい。

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西へのキャンプ旅 帰路(最終)

2016-07-11 07:52:38 | 旅行記

  帰路は一人旅である。 京都から米原市、伊吹山麓のグリーンパーク山東でキャンプ、2日目に伊吹山へ挑むも、予てよりの膝痛で敢え無く5合目で退却とした。

 この山は若者の登山客が意外に多く、彼らの飛び跳ねるような登下山の足取りと己の軋む膝関節を比して、一年毎の体力衰退を認識したものである。とぅとう1377mの山も登れなくなったのか・・・!!

登れぬ山に駐車料金1000円と登山協力金300円を支払った。登山口から1合目までの泥濘と悪路を放置して何が登山協力金なんだ!! 下りの滑る泥濘は余計な膝への負担と痛みで協力金300円を呪ったものである。

 3日目は関ケ原の合戦場を車で廻った後、途上名古屋圏でのモーニングで有名らしい小倉餡トーストを食し、昼食には、未だ食したことの無かったソースカツ定食を頂いた。名古屋食文化・・・・???

讃岐うどん程の感激は無いというより、比較すべきでは無いのだ!! もう一度は??無い!

 

帰路行程の最後の期待の目的地は、馬籠宿、妻籠宿である。

「木曽路は全て山の中である」で始まる、あの”夜明け前“で描かれる宿場町である。 町並み保存条例を含めて文化景観を、価値として観光資源として、積極的に取り上げた最初の地域である。

 しかし旅往路で辿った高山村、白川郷と同じく期待を裏切られた結果となった。

 それでも馬籠宿は、まだそれなりに近世の歴史や藤村文学への引き合いから、そぞろ歩きくらいはと費やしたものである。 石畳で整備された昔日の木曽街道は、物流や其れに基づく産業の為ではなく、往年の幕藩体制下での軍事、防衛目的のためであったのだろう。成る程、大部隊の軍隊移動は不可能だろう。

 馬籠の次の妻籠宿で急遽探した旅館が又、大外れであった。

午後4時頃投宿し、妻籠宿メイン通り辺りを散策でもと思ったのであるが、其処まで歩いて2~30分往復1時間は歩けない。車で行けば有料駐車場である。 宿側からの往復、あるいは片道でも送迎を期待したのだが????  仕方なく「行ってみても馬籠宿と大差は無いのだろう」と・・諦めた!!

旅館の食事が又、ガッカリである。殆どが土産物売り場に並ぶアレである。イワナの甘辛煮、山菜の佃煮、お漬物、蒟蒻田楽 等々、如何にも真空パックビニールから出しましたである。 これで食事つき1泊10000円。

 同宿していた白人系外国人3人組が、大きな体をして食事しながら話していた“ミステイク”の連発は、きっと期待した日本文化と旅館の選定を“間違えた”と・・・言っていたのだろう。

 

今回の旅で思ったのは、有名な観光地へは足を踏み入れないこと! 間違っても宿泊はしないこと!

観光立国、観光立県、観光立町、観光立村は、そのうち閑古鳥が鳴く場所になるだろう。

金、金、金 である。 売っている土産物「木曽の伝統豆」のはずが、佐賀の製造元である。外国人には判らないだろうとの魂胆が見え見えである。

ということで、妻籠の写真は無い!

後は、一路中山道を塩尻~和田峠~佐久~軽井沢~松井田妙義からは上信越道路~関越自動車道の有料道路利用となった。 到着時の我がプリウスの走行距離メーターである。 総走行距離3427kmの走破であった。

ガソリン経費総額15309円 1km当たり4.4円であった。1リッター当たり26kmの走行実績である。

 

往路、 郡上八幡、松坂牛、九度山手作りキャンプ場、うだつの街、讃岐うどん、道後温泉、臼杵大仏

帰路、 京都(本能寺、一の傳、鳩居堂) 印象に残ったのは、これくらいかなー??

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西へのキャンプ旅 帰路1

2016-07-03 21:34:21 | 旅行記

郷里、鹿児島での法事、係累との懇親、安否確認を終えて帰路に就いた。

帰路は四国の讃岐うどんまでは往路をそのまま辿る旅である。

現役世代の1人を加えているので、兎に角時間が無い。往路と違い夜行高速利用、深夜フェリーの旅である。

夜明けに八幡浜に着き、道後温泉開店と同時に朝風呂である。往路と違い最上等の個室2時間休憩コース一人1550円である。 浴衣に個室、坊ちゃん団子に番茶が付く。同じ3階に夏目漱石が滞留したという部屋が記念館として開放されている。ここも自由に出入りできる。  これで道後温泉訪問は6回目となるが中々良い。

 

そして、次は讃岐うどん

超人気店の山越えうどんである。第3駐車場から列をなすほどの観光客である。最近東京でも見かける所謂セルフうどんだ。定番のチクワ天をトッピングして頂いた。出色の味である。

しかし、しかしだ。もう一度谷川米穀店のうどんを!!“

 

うどんを食したら、後は用無しとばかりに、淡路島を経て一路、京都へ。

昨夜、鹿児島をPM8:00発で此処まで、18時間である。宇和島運輸フェリー乗船時間3時間の睡眠時間が有ったとは云え、睡魔は来る。早く今夜の宿泊地の京都に着いて一睡したいものである。

 

京都は3年前に家族で訪問した際の“おばんざい”店の板さんが、独立開業した小料理屋での食事である。

3年前に意気投合して再訪を約していたのであるが、やっと訪問が叶ったところである。

しかし、店主は覚えていたのだろうか?? まあ、良いか!! 変らず美味しい京料理と日本酒が頂けた。

 

翌日もホテル朝食を省いて、目当ての喫茶店イノダコーヒーでモーニング珈琲とビーフカツサンドとローストビーフサンドである。  ここは、あの高田渡の歌に出てくる京都で有名なコーヒー屋さんである。京都に来る祭は必ず訪れるお店になった。

次は、もう一つ昼食に予約してある西京漬けの老舗“一の傳”で京都のイベントは終わりである。

腹ごなしに本能寺を訪問して、京極通りの鳩居堂を冷やかし、錦小路の錦市場をそぞろ歩き、一の傳へ。

流石の接待と料理を堪能。コストパフォーマンスも昼食のみの提供で良い。車の運転が無かったら昼酒が欲しいところであったが??

 

で、京都までが家族旅行である。相方家族を京都駅へ送り、独り近江八幡のキャンプ場へ

今日からまた、独りキャンプである。明日は伊吹山登山を期する。

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