● ● ● ● くん
ストーブの薪に火が付きました。
ここは秋と初冬が綯い交ぜに訪れます。
一昨冬から燃焼効率の低下に悩まされて、とうとう15年経たストーブを更改しました。
君が何度か足を運んで釘打ちを手伝ってくれた我が山荘も、15年を経たということです。
今日は、しきりに君の事が僕の脳裏に去来します。
君があの頃、好んだブラックニッカウイスキーではなく、当時より少しは高級なシングルモルト余市12年を傾けています。
君がしきりに現れるからウイスキーにしたのかも・・・
先日、記録した昔日の交遊録からして、僕の一生の最も鮮烈で且つ、何度でも立ち返るべき時があの十年だったと思えます。
それ以前でもなく、それ以後でもない。
未熟だったし、何も知らなかった。
読んだことも無かったマルクスを齧っただけで、大言壮語に至り・・・・
それより何より女も知らず・・・・人生を語った。
それだとしても、あの十年が在ったからこそ、僕は七十年の時空をなんとか、それなりに過ごして来られたのだと今だからこそ思うのです。
君の病を聞いたのが、初夏だった。
痛恨の思いというのが、これなのかも知れない。
本当に幼い頃、「人は死ぬのが必定なのに、何故に生の時を営々と重ねるのだろう?」と、問い続けた事があった。
堂々巡りの解のないまま何時しか、そのような問いを忘れて巷間の凡事に己を埋めていたような気がします。
あれから、五十五年経った今でも、解は無い。
アフリカやアラブの難民や民族紛争に追われた少年少女の命と、僕らの命の重さの非対称性を現実、目の前にしたとしても尚、甘っちょろい生きる意味の問いに執着する七十歳なのである。
魔病に苦しむ君を前にして「 何を?! 」と、また昔のような痛撃を喰らいそうです。
もう、僕には意味のない事に執着している時間は残されていなかったと!!!
と、云いつつ、取り返しのつかない地球環境破壊、制御不能な原子力の利権に振り回される現実、歴史の教訓を生かせない政治と民衆など等、あまりにも光明の見えない行く末に、思いを致し想いを伝え残すことしか、やれそうなことは無いのかと。
それにしたって、あの10年を通してその後、結局何事も無しえなかった事を思えば、その事さえも世迷言だと一笑に付されるのでしょうが・・・・
あ~、 それにしても、何れにしても・・・
君は先に逝くのだろう???
もっと早くに、世迷言を話したかったし聞かせたかった。
結局は独りになった、君の居なくなった残りの数年間の寂しさを、今の僕は一番心配しているのかもしれない。
ウイスキーの酔いに任せて、在らぬことを書き連ねているようです。
病の前に居る君にとって、安らかな時が多くあることを、祈ってます。
2,020/11/✖✖ ●●