八百屋がいる。会社員がいる。平和な小さい生活を営んでいて、戦争に出るのを望まなかった者も、義務の観念に励まされたり、近所への体裁や外聞を思い患って、けなげらしく振舞って家を出て来た者なのだ。誰れだって戦争より平和を望んでいた。
国が呼び出すまで、彼らは、自分の小さい巣の中に、親や妻子と、別れることなど夢にも考えずに静穏に暮らしていた筈なのである。
1948年に発表された大佛次郎の小説”帰郷”の一節で、日本軍敗残兵が武装解除されマライ地域からシンガポールに収容されるために徒歩で行く部隊の描写である。
戦後3年目という未だ混乱の時期に書かれ、この戦争の悲惨と国家の犯罪と誤りが、皮膚感覚として認識されていた時代の文章なのだろう。
この短い文章で、市井人の置かれた当時の社会認識を象徴的に語っているように思う。
彼らは、大東亜共栄圏などや国権の拡大や満州権益やらには、何の興味や知識も持たず意識せず暮らしていたのである。そして、突然国から呼出され、人殺しを強要され、結果、異郷の泥沼のジャングルの中で極度の飢餓と疲労と自殺用の手榴弾を持たされているのである。
国は、市井人の事をかくも軽く扱うものなのである。
大佛次郎の小説等は、今はもう殆ど読まれる機会も無いのであろうが・・・
書かれていることは、現実の社会、政治状況を鑑みると、優れてリアリティを帯びてくるのである。