うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

長野県東御市にある草如庵にて

2022-01-24 11:57:24 | グルメ

雪は無いけれども厳しい寒気の中訪れた夕刻、かの庵の案内にあるように、行き過ぎてしまいそうな佇まいであった。

生憎、千曲川も河川改修工事の最中で、川岸に近づくことも川面を見ることも叶わなかった。

移築されたわけでは無く、この地に建っていた古民家を改修した草如庵ではランプストーブの灯りが出迎えてくれた。

太い梁と畳と障子の部屋に椅子とテーブルの設えである。料理ともてなしに期待が高まる。

喉の通りを良くしてと麦酒を頂き、「酒無しで何の料理の味わいか」と、気炎を上げつつ先付の一品

赤飯の湯葉包みと蟹味噌の葛餡 である。

以下、料理名はお品書きが無い為、筆者が勝手に付けたものである。悪しからず。

 

蟹味噌をほぐしていくと湯葉に行き当たり、中から大粒の大納言と餅米がこぼれる。

蟹味噌と葛餡の味わいと湯葉と赤飯の舌触りは思わぬ取り合わせで、期待に違わぬ滑り出しである。

お造りは、鯛とイナダを海苔の佃煮を醤油に替えていただく、初めての趣向であった。

濃い目に炊いた海苔の佃煮とワサビを合わせると魚の味わいが素直に舌に乗ってくる。

汁物は麹の効いた白味噌が、先ずは舌に乗る。カリっと揚った餅とほろ苦いウルイが汁の甘さに溶け合い滋味となる。野生のウルイだとのこと、向春の感を抱かせる。

八寸がまた豪華である。 

お節料理に供されるであろう食材と料理は、正月膳を意識されているのだろう。

ぬる燗酒の水尾が進む。

揚げ物で甘鯛にカラスミを塗して揚げたのにスダチを垂らして頂く。

カラスミの塩味とスダチで味を絞めて、甘鯛のホロリとした触感と叩き牛蒡の噛み応えが、料理の味を高める。

鍋物と云いつつ、喰い気に押されて料理姿を損なった写真である。

土鍋で運ばれ、注ぎ分けられる。

出汁の効いた豆乳仕立てで、海老芋と軍鶏を煮てある。海老芋は揚げてるのだろう触感が残されている。

軍鶏は如何にも筋肉質の触感と滋味を感じる。

相方の所望した焼酎さつま無双のお湯割りは、納得の選定である。

続く食事も鯛を丸ごと土鍋で炊いた、鯛めしなのだが写真撮り忘れたものである。

つくづく喰い気に押される卑しさに、我ながら呆れる思いである。

此処まで食すると満たされた胃腹は、女将のお代わりの勧めもお断りしつつ・・・・

何とか食したい欲望に負けて、湯漬けで鯛めしを所望

一度は謝絶されたものの、板さんの計らいで出汁とワサビで、鯛めし湯漬けを供された。

期待通りの味わいと、もてなし対応に感極まった筆者である。

最後は、甘味と抹茶である。

ふっくら炊いた黒豆とムースは優しい甘味だがボリュームを感じたし、果物のゼリー寄せは流石のサッパリ感である。 濃く入れた抹茶は和食の粋とコースの〆を知らせて、至極満足の時であった。

我儘な所望に謝辞を述べて、店主の見送りを得た。

寒い季節に汁物の滋味と温もりを、意識された料理であったのだろうと感じた。

接客と設えと料理の季節感と味わいは、量の満足も含めて再訪の想いを強くするものであった。

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2022年頭に当たって

2022-01-02 11:25:22 | 日記・エッセイ・コラム

気候変動対策が最優先課題である事

その為に最優先される方策に専念すべきこと

具体的な方策は多くない事、残り時間は殆どない事、しかし現実は多くの人々の認識に隔世の開きがある事

 

生産消費の拡大再生産と成長経済体制が基本の資本主義では、地球気候変動は止められない

物質と欲望の拡大再生産は、地球資源の消費が前提であり環境の荒廃、再生不能な地球自然を引き起こすのは必然である。 現に地球環境悪化、人類生存の危機を招いてしまった。

一方、ロハスやSDGSの方策、キャンペーンは笑うべき弥縫策である。

 何故ならこれは拡大成長の現体制維持を前提としながら、危機の回避や延伸というのを目指しているからである。 現にこれに群がる儲けの亡者が跋扈し、見るも聞くも怖気を感じる現況だ。

 

コモン或は小コミュニテイによる、自給自足組織を基礎単位とする社会の構築が具体的な方策として提起できる。

構成員全てがその運営の主体であり、互いに目に見え触れ合える規模と距離の小単位組織がイメージされる。

自然エネルギーの太陽光、風力、波力、水力などは、優れて地域限定エネルギーであり、先ずこれを自力生産運用して自給することで、二酸化炭素の排出を無くす事が出来る。

本来、ここに資本主義的利潤の概念が持ち込まれ、必要以上のエネルギー余剰生産するところから自然破壊が始まったのだから・・・

 

上記自給自足組織が、一時代前の原始共産制や新しい村運動と異なるところは、今や人類はICTやAI、高い生産技術、歴史的叡智を手にしているところである。

 加えて、気候変動はもう待った無しの危機的状況にあるという変革の契機があるという事だ。

この実現には、ファシズムや革命に代表される急激強制的社会変革は馴染まないし、一方議会制民主主義による緩やかな合意形成変革では間に合わない。

 

近年、地方の限界集落から再生を果たし始めた小共同集落の実例が、報告され始めている。

 

 

同じように限界的に悪政が加速して困窮する人々が溢れ荒廃する状況、もっと多数の人々が阿鼻叫喚する気候変動が間に合う限界の前に訪れる状況、他動的契機の現出を待つしかないのであろうか・・・・

 

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