今回の衆議院選挙に至る経緯を含めて、これに関わる人々の人間的な性癖とか人性と云った事柄が、可視化されたような気がしている。
裏金に端を発した自民党の政争の果てに、棚ぼた式に政権移行が有るかもしれない政治状況を得た野党も含めて、百年の計とは真逆の俗物的品性を見せている。
冷や飯喰いから一転最高権力者となった石破の変身は、一家言を持ち少数派に長年甘んじていた政治家としての矜持は、実はこの程度のものであり、政治家の本性とはこんなものだと、見事に可視化させてくれた。
キングメーカーとか重鎮と言われて、カリスマ化していた麻生や二階がその権威権力から滑り落ちる時の見苦しき様が、映像として流布されたのもそうである
また、異なる視点では、議会制民主主義の根幹と云える選挙制度の欠陥も、現実的瑕疵として改めて可視化されたと言えるものである。
筆者の選挙区候補には、自民党非公認の代表的人物の一人である平沢勝栄と共産党候補に維新候補、国民民主候補のみである。 ここは比較的公明党の強い地盤にも関わらず公明党候補が居ないということは、公明支持者の集票も含めて殆ど平沢勝栄独り勝ちであろう。
選挙区は共産党候補で、比例区はれいわ新選組に事前投票した、私の票の半分は死に票必須である。
私と妻の二人分の政治的意思は、何時になったら発現出来るのだろう。
せめて、れいわ新選組の議席が増えて、議会、マスコミ、市井での存在感が増すことを期待したい。
現実には晴耕雨読の後期高齢ごまめであるが・・・・