うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

舛添事件報道で隠された、その他の重大事件 (メディアの犯罪)

2016-06-23 09:58:20 | 日記・エッセイ・コラム

低劣で、ある意味政治家としては卑小な金使いを材料に一大報道狂騒が繰り広げられた。 結果、文字通り犯罪には当たらないが不適切なだけで、石もて追われたのである。

 これはこれで、一個人の一政治家の命運に関わることで、大勢に影響は及ぼさないのであるが、

 しかし、この事案に対して“ なんで、こんなに大騒ぎ ”するのであろうかと、一種不思議な思いを抱いたのは僕だけではないのだろう。

 権力機構にとって、都知事のスキャンダルは、自らの危うい事柄を隠す絶好の材料として利用されるべきものだったのであろう。

 

 舛添都知事は、東京オリンピックに関して何かと政府方針に抗した言動をして来た。文科省からの500億円の支出要請に対して、根拠や経緯の疑義を理由に拒んで来た。 (一方で自らのオリンピック功績を売出したい本音も有ったかもしれないのだが??)

 この程度の政策さや当てで、中央権力から排除されるのかなー?と、不思議に思っていたのだが、海外報道記事あるいはネットニュースから以下の事案隠ぺいに使われた指摘に、腑に落ちた。

 

1      国際陸連への130万ユーロの資金が日本の五輪誘致チームから出されたとの報道。

 このニュースは2人の人物に関連する。一人は五輪組織委員会のトップ森喜朗元首相。もう一人はJOCの委員長で、皇族の竹田恒和である。

2      パナマ文書の暴露事件

   日本の400の個人名と企業名が言及されている。

3      伊勢志摩サミットで“リーマンショック級の経済危機”を捏造した官邸主導経済政策

 財務省が全く知らない経済分析を官邸主導でサミットで披歴→消費税延期

 

1,2項はフランス、ル-モンドに掲載されたものを内田樹氏の翻訳にある。

http://blog.tatsuru.com/2016/06/16_1450.php

3項は ネットニュース(ビデオ・ニュース・com)の報道にある。

 

これらのニュースが、マスメディアから全く報道されないのである。

まだまだ、多くの重大ニュースが舛添狂騒曲の裏側に隠されてしまったのかもしれない。

電車の中づり広告にあった、“五輪誘致に関して電通幹部への多額な資金移動”等も含まれるのではないだろうか。

 権力やマスメディアから目隠しされて、ますます愚民にされる我々は、北朝鮮人民の事を笑えるのだろうか??

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西へのキャンプ旅 7

2016-06-20 22:55:53 | 旅行記

8日目 往路最終日である。

川南町 青鹿自然公園キャンプ場のバンガローに無断宿泊である。朝のお茶も飲まずに早々に撤収した。セブンイレブンの珈琲とサンドイッチを買い込み、本行程最終イベントポイントの西都原古墳公園へ

西都原古墳群 実に大小333個もの古墳が確認されている。 日本最大級の古墳群で3世紀から7世紀ころのものと言われる。ここの訪問も2度目になるが、広大な景色の中で天と地が確かに交わっており、悠久の時の流れの中で己の卑小さを今回も感じさせられたものである。

 しかし、膨大な労力と時間を費やしこれだけの構造物を必要とした古代人の思いは、天と地、生と死が近接し身近にあった彼らの時と、あまりに遠ざかってしまった我々現代人には永遠の謎となってしまったのかもしれない。

 

悠久の時を感じて過ごした後は、西キャンプ旅往路最終キャンプ地へ

北薩広域自然公園キャンプ場 フリーサイトが本日の宿営地である。 本来はオートキャンプサイトと温泉付き貸別荘がメインの自然公園宿泊施設なのであろう。フリーサイトの条件の悪いこと!!

サイトまで車が入れないこと、キャンプ道具の搬入用リヤカーや手押し車も無い事、サイトが殆ど傾斜地であること、水場炊事場から最も遠いところにあること等、殆ど後からフリーテントサイトは付け足しで準備したのであろうと思われる公園設計である。 県営公園であるから、管理員は如何にも役人である。 夜は外注の保安警備業者が交代勤務する。

 フリーテントサイトの条件の悪さ以外は、快適で清潔なキャンプ場ではある。入湯税100円を払えば朝9時から夜9時まで温泉入り放題であるし、ランドリーも洗剤が有れば無料使い放題である。入湯税込みで2泊2280円は安い。 

 キャンプ翌日はテント設営の手間がないので、筆者の母方の墓参りと祖父の業績として名が残る三次道路(曲がりくねった農業道路を農地改修を経て直線道路へ改修した)を巡った後は、ハンモックにビールに読書と洗濯で休息の時を得たものである。 キャンプ旅の往路最終日ふさわしい時間であった。

ここまでの走行距離1493Km、ガソリン給油2回 68L 7755円 である。

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西へのキャンプ旅 6

2016-06-19 08:29:39 | 旅行記

7日目は、いよいよ九州入りである。 今、熊本を中心に中九州地域の人々の難渋を思えば、とてもこの様な物見遊山で近辺に近づけない思いである。当初の計画は日本海側を周遊しながら北九州~長崎~天草ルートを辿るものであったが、結果本ルートとなったものである。

八幡浜~臼杵を宇和島運輸のフェリーで渡る。 道後から八幡浜までの所要時間を、またまた誤った!!  68kmkの距離であるから1時間も有ればと???

Am9:40の出港である。のんびりとホテルヴァイキングの玉子掛ご飯でお腹を満たして、おっとり刀で出発したのがam8:15である。しかしスマホナビ情報の到着予定時刻は9:50を示すではないか!! これじゃ間に合わない、和歌山の二の舞である。1便後だと2時間後である。 

道路は海沿いの一本道である。瀬戸内海から豊後水道へ広がる久しぶりの海岸道路で快適なのだが、気持ちが焦っているのである景観を楽しむどころではない。 前を走る軽自動車の車間詰め寄り数台脇に押しやり、少々乱暴な運転になってしまった!!  相方の”もう諦めて安全運転で” との制止を “いや!諦めないぞ! “ 滑り込んだのが9:38である。

待ち受けた係員の大丈夫ですからとの一声で ”ホッ” 結局出港を5分ほど遅延させてフェリー乗船を果たせたものである。 宇和島運輸の方々へ感謝。

約2時間半の乗船時間で九州上陸後の予定検討である。

 

上陸地は臼杵港である。ここは今まで逆ルートで2回ほど利用したが、フェリーターミナル地の認識しかなかった。 今回の計画段階で、ここの大仏が国宝指定で素晴らしいので是非立ち寄るようにとのアドバイスを頂いたのが、東京の先輩である。九州生まれの筆者が、この事に全くの知識を持たなかったことに恥じ入るばかりであったが…

臼杵港からものの15分程度車を走らせると、磨崖仏(岸壁に直接彫刻された仏像)がある。日本で唯一国宝に指定された磨崖仏で4か所に点在している。造営の時期や事情を証する資料は無いらしいが仏像の様式などから平安時代後期~鎌倉期のものと考えられる。 何れにしろ千数百年の時を経た石仏に信心の無い筆者にも、自ずと合掌を誘う悠久の時と宇宙を感じさせるものであった。

この近辺では別府の温泉だけではなく、旧跡名跡が数多く点在しているのを改めて知ったもので、再訪を期する時間であった。

東九州道路を辿り宮崎へ向かった。今日のキャンプサイト予定地川南町まで140km程度であるが東九州道路の多くが無料開放道路になっており快適なドライブになった。  宮崎に入ったら早速南国の植物が出迎える。

ナビを頼りに今日の宿営地 川南町営キャンプ場へ、  いゃーこんな奥まったキャンプ場だとは!!  しかも季節が早いとは云え、しばらく使われた様子がない! テント設営場所も背丈の高い草が伸び放題だし、地面はジュクジュクの湿地帯状態だし、とてもテントはと途方に暮れた。時間もすでに4時を回って今から宿営地を探すのも??  おや?バンガローが有るではないか?? 入口に鍵はかかってないし、中を覗くと意外に清潔で広いのである。 ここにオーバーフライシート無しでテントを設営して泊めて頂くことにした。

一応の寝床を確保したところで町営の日帰り温泉”湯らら”へ繰り出し、入浴、豪華に生姜焼き定食とご当地グルメで有名なチキン南蛮定食で食事を済ませて、本日の行程は終了。

 

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西へのキャンプ旅 5

2016-06-15 21:16:55 | 旅行記

6日目は本州を離れて、四国へ

九度山のキャンプ場を夜も明け遣らぬ時間から撤収出発した。和歌山~徳島のフェリーが8時発である。 これを逃すと次は10時で徳島着が昼過ぎとなり、後行程に時間が取れなくなるためであった。 距離にして60km強である1時間半有ればと一寸甘く見た。着いたのはフェリー出船15分前、危うかった!

 乗船してやれやれ、船内で携帯電話の充電をしながら楽しみは讃岐うどんへと思いを馳せた。

 徳島は現役営業時代に何度か訪れたところである。隣の阿南市に、担当したお客様の工場が有り本社とのネットワーク作りで何度か訪問したものである。 ひと昔ふた昔前の時代は、営業とは云え出張となると結構自由が有って、それなりに楽しみがあったものである。 同行した技術者やSE等も当地の出身者を選んで行ったもので、彼の実家で一晩厄介になる等、思い出が湧いてくる徳島であった。

朝食を抜いて、うどんを食すつもりであるから、徳島はセブンイレブンの珈琲の為に立ち寄ったのみで素通りである。

四国の真ん中を横断する徳島道と並行する吉野川添いの国道12号線を辿り美馬市から北上してまんのう町へ行けば、目指す讃岐うどんがある。 のだが、直前に“うだつの街”の看板

“藍ランドうだつ ” 何のことか??

 うだつ とは中世期都市部の日本家屋で隣家との間に設ける防火壁の事程度の知識はあるし、“うだつが上がらない“のを、出世しないパッしとしない奴の別称に使われることは知ってはいたが?? 

興引かれるままに、立ち寄ったパーキングエリアに続く、何やら古式な風情の通りがある。なんと1km程度の町屋通りが有り、うだつが上がった家並みが続くではないか!! 中々の壮観である。

説明看板を熟読。 江戸時代この地は藍染に使う染料の集散地であり、仲買人や問屋等が多く集まる町であったそうだ。宿屋や土産物屋、酒屋等付帯商家が立ち並び、うだつが上がるほど繁栄した町であったそうな。

藍の染料を吉野川を使って運び出し大阪、京都、江戸へ供給した、藍でうだつを上げた町である。

例による町並み保存で観光資源をと目論んだ施策であろう。それ程の集客が無い分、落ち着いた散策が出来たと言えよう。藍染布を使った呉服屋さんの控えめな応接と藍染への思いが伝わる由来語りに好印象だった。

この町で買い込んだ“純米酒 芳水”は今一だったが?? 日当たりのよい場所へ並べた物を箱に入れ渡そうとするから、別の在庫保管したものを要求すると無いと言う、其処の箱入りは違うのかと問うたら同じだと言う???   まあ冷蔵すべき純米酒を日に当てて陳列しておくぐらいだから、買うのを辞めようかと思ったが、勢いで買い込んだ当方のミステイクであろう。

 

気を取り直して、讃岐うどん  それも“谷川米穀店”の生醤油うどんである。

 メニューはこれの温かいのと冷たいので、玉子を入れるか入れないかしか無い。

テーブルにある小ねぎをたっぷり入れて、醤油を適量回し掛け、玉子をかき回して啜りこむのである。

旨い!!のである。本当に旨い。 筆者はこれでもう3度目の来訪となるが、又、直ぐ食したくなる。

引きを切らぬ程の来客だが、なんせ回転が速い。席数10席程だがそんなに待たされた事は無い。 11時開店時には少し並ぶが、この回転の速さである以後は順調な客さばきとなる。 客がうどんを啜り込んでいるすぐ横で、オヤジさんがセッセと饂飩を打っている。それを直ぐ大釜でグラグラ茹でながら“ 「温かいの?冷たいの?」とおばさんが注文を取るのである。

店構えもココがうどん屋さん?? 看板も何もないので一見さんは注意が必要である。好みの問題はあるが、筆者は此処が断然第一だと確信している。 元来讃岐のうどんは、日本三大うどんと自称する水沢うどん等とは、桁違いの旨さである。その中でも谷川米穀店はダントツである。

 

まんのう町の山間部にある谷川米穀店から瀬戸内海側へ道を辿り、香川県観音寺市へ

此処では現役時代の友人が帰省して農業を営んでいる。此処を通過するたびに立ち寄り旧交を温めている。

今回も時間が許せばと思い連絡してみたが応答がない。農作業に忙しいのだろうと諦めて、本日の宿泊地の松山市へ向かった。後刻、友人より電話あり案の定、トラクターの上で携帯に気が付かなかったものであった。

後日、それはそれは美味しい朝採りスィートコーンを送ってくれた。出荷の最盛期を迎えて忙しい中を有り難いものである。

 

松山のメインイベントは道後温泉である。 宿舎は東横インのツィンルーム(朝食付き)一人/3840円である。 此処は当初からホテル泊と決めてあり、相方の久し振りの安堵の様子が見える。

チェックインしてホテル近くの松山城観光をと出かけたが午後5時で閉館ということで、お濠や外郭を散策したのみで、市街電車で道後温泉へ。

坊ちゃんで有名な共同浴場である道後温泉本館へ入浴。

 帰路行程でも入浴の計画が有るので、今日は最も簡便安価な410円の神の湯階下入浴のみに入った。ここも通算4回目くらいの入湯になる。浴衣貸与と大部屋休憩の中間コースと個室と坊ちゃん団子と限定上等浴場がセットになったコースがある。 個室は時間制限があるもののお大尽気分の中々の味わいである。 今日は大部屋休憩も浴衣も無しなので、旨いビールと夕食を探してそぞろ歩きで本日行程終了である。

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西へのキャンプ旅 4

2016-06-13 07:30:04 | 旅行記

5日目である。キャンプ朝のフレンチトーストとネパールチャイ

今日の予定宿泊地は九度山、走行距離250kmは覚悟の行程である。

長良川の河岸を伊勢湾に向かって快適に1時間も走ると、国立木曽三川公園と云うのがあった。

 

桑名市境に来ると揖斐川、長良川、木曽川の河口が近接しているのである。この三川公園の展望塔からこの3つの川が一望であった。

治水について、それなりの苦労と技術と資金が投入されたのだろうが、何もこんなに立派な国立の公園までは必要か??  当日の訪問客は僕らを含めて2組であったし、受付の2人のお嬢さんたちは客の方に顔も向けずにお喋りに夢中の体で呆れたものである。  まさか公務員では??? 旅をしてみると何かと理不尽な事にも出くわすものである。

国立公園の隣に、平田靱負を祭った治水神社が有った。 江戸中期、我が郷里の薩摩の人士がこの地で治水工事に当たり、艱難辛苦を経て工事成功を導いたのであるが、多くの犠牲と莫大な借財を藩に負わせた責任を背負って工事責任者の家老平田靱負が自刃したのである。これを鎮魂した神社であった。

 わが郷里、鹿児島では有名な話である。その慰霊神社が此処に有ろうとは・・・合掌・・・

 

あとは、今日のメインイベントである直営牧場まで持っている老舗料亭‘和田金‘で食す松坂牛のすき焼きへ一目散・・・。

35年以上前に両親を伴って同じ店を訪れて以来である。その時の食事の支払いを、父がしたのか私がしたのか記憶が不確かなのであるが、相当な高額だったはずである。

炭火で鉄鍋を熱くし、牛脂で葺いた後、大振りに切った肉を鍋底に並べ、箸で砂糖を摘まんで肉にまぶして醤油を垂らすのである。実に肉の良い香りが部屋に漂う。 待ち構える溶き卵の椀の中にそれをヨソッテくれるのである。旨い!

醤油は伊勢醤油で特注品だとか。醤油と砂糖だけでは焦げてしまうので、これに昆布出汁を少しずつ加える。酒は使わない。割り下を使う関東のすき焼きと全く異なる方法である。

一通りの玉葱や青ネギ、椎茸に豆腐と麩を肉の味に絡めて頂く。白滝は肉が固くなるから入れないのだそうである。若い仲居さんの手捌きに見入りながら何かと話を聞いた。

35年前は木造だった店構えも今は鉄筋建ての立派なビルであるし、門前の通りも拡張工事で2倍以上の広さになっていた。最後にもう一枚肉を焼いてくれ、記念だと言って写真を撮ってくれ帰りに渡してくれた。

キャンプ一泊1020円で宿泊費用を節約して、此処の費用は30倍一人15000円である。まっ、良いか!!!

堪能した松坂牛も又、食する機会が有るや無しや?? 35年後となると、もうこれが最後かと!

牛を食して人生を想う年になったものである。

 

真田幸村が配流された九度山へ、途上、到着が遅くなりそうなのでキャンプ場オーナーへ連絡しておいた。

紀ノ川上支流 丹生川沿いにある個人経営の手作りキャンプ場である。風呂に入りたいと言うと、文字通りオーナー手作りの窯風呂に湯を沸かしてくれた。石川五右衛門の気分である。オーナーは10歳位年上であったが手作りを楽しむ同好の士で若々しいのを讃え合ったものである。

明朝の早出を伝えて料金を払い、挨拶を済ませて就寝。 キャンプ料金(風呂代込)5500円。

幸村由来の地を訪ねる時間が無かったのが残念であった。又の機会を待とう。

 

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