合歓の木だろうか、砂埃か霧なのか薄くもやった中に、薄汚れてそれはある。 空は青く澄んでいるのだが、水平方向では、相変わらずの靄がかっているのだ。 ここは、タライ平原。 チトワン国立公園 ネパールとインドの国境地域である。直線距離にしてインドまで約40km程度である。 マカルートレッキングが凡そ中国国境地域であったから、実に世界の強国に挟まれた小国だと実感できるのである。
エベレスト山系の3000m標高に居ると、キリリとした青空とその頂きを鋭角に研ぎ澄ました白稜が周りを取囲み、足下は天使の遊ぶ園庭にも見紛う柔らかい牧草に覆われた草原がある。時たま漂うヤクや羊や牛の糞の臭いも、此処チトワンやカトマンズの澱んだスモッグに比べるとその清浄感は失われない。
この国に来て誰に対してと謂うわけで無く、幾度と無く問い直すことがある。 この国は、何処に行こうとしているのだろう? どうして、この環境の中で永々と何事も無い様に生きられるのだろうか? 10年近く前訪れた時と殆んど変わること無く喧騒と 埃と交通渋滞とが日常なのだ。
観光立国としても、エベレストとその山系だけが存在意義を持っている現状であり、その他の世界遺産寺院遺跡や豊かで亜熱帯の自然や野生、或いはカトマンズ近郊の避暑リゾートなど等々、一様に道路未整備と此れに伴う煤煙と大渋滞により、全て色褪せ全く魅力を失ってしまった。
全てに地震の影響は在ろうが、其だけでは無い。 殆んどのインフラ整備等の社会的事業を外国からの援助絡みの投資に依存する国家政治と国民意識が、自助や主体性の高まりを阻害しているのでは無いだろうか?
まず例えば、自らの国家意志で道路を整備しようと、立たねば10年1日が如しの悪弊は収まらないのだろう‼️
そして、一方我々の側の問題である。
ネパールで日本人の篤志により、小学校が建設されたと言う話を良く耳にする。 事実、私も前回訪れた時、同行メンバーの発起により、幾ばくかの拠出金を提供したことがある。 此れにより学校校舎が建設されたと聞いた。 これは此れで悪いことではないと思えるのだが、前段の支援に頼る問題と同様に、教育とは近代国家社会の成立の根幹に関わる問題であると思う。
我が国、日本が明治維後いち早く学制を整備し国民全体の知育レベルを引き上げたことは、その後の富国強兵や全体主義への傾斜の際に負の側面でその意義を発揮したことを除けば、国民一人一人の主体的政治意識の確立に寄与したと云えるであろう。
今回訪問時にも、空港にて日本人学校設立ボランティアのメンバーと往き合った。もう、十数校設建設の実積だと聞いた。今回も開校式に立ち合うそうである。 此処では、支援による学校設立が常態化しているととれる。 本当に此れで良いのであろうか?
これは、今回同行メンバーか持参した鉛筆を、トレッキング途中に在った小学校で配布している場面である。 子供達を並ばせてその前で校長へ手渡し写真撮影するのである。 子供達は順番に数本の鉛筆を押しいただき前段に居並んだ我々に花飾りを掛けてくれるのである。 他のメンバーはいざ知らず❗ 私は恥ずかしくて居ても立っても居られぬ思いで早々にその場を離れたものである。
自分が出費して持参した物ではなく、近所の町工場の好意と廃棄同然の品を運んだだけなのに、この大袈裟な!
そんな事よりと、次の学校では、持参の折紙で折り鶴と紙飛行機の実演で子供達との交流を持った🎵