また、貴重な友人が病に冒された。
奇しくも丁度、1年前に親友が膵臓がんで逝った。
これを時を違わず、同じ病に冒された友人を見舞った。
彼は友人とは云え、4年の年長者である。
僕にとって山遊び、岩魚渓流釣りの師匠であり、何より社会不正義に対峙する頼もしい先輩の一人である。
我が子の高校時代のPTA繫がりが契機で17〜8年の付き合いだ。
数週間前に末期膵臓癌だと知り、最期の山遊びをした。
互いに了解して、二人だけで一日一泊の時を過して、別れを告げた。
同じ病で丁度一年忌の日に、同じ様な別れを経験するのかと、運命的なものを感じる。
終仕舞いを兼ねた、所有の別荘周りの雑木刈りの手伝いを名目に1日を過ごした。 既に抗癌剤治療も諦め、痛み止め処方なのだが、常日頃のアウトドア ライフスタイルが効用なのか、想いの外元気で一泊一日の食事から寝床の仕度まで世話をしてくれた。
チェーンソーでの丸太切り、雑木の片付け等で昼間を過ごし、夜は今は毒となった酒を酌み交わし、11年前に逝った愛妻への想いや自らの闘いの来し方を振り返るように熱く語る彼を前に、思わず涙腺が熱くなる。
おそらくは叶わぬだろう来春の尺岩魚釣りを約して別れた。
また辛く寂しい年末だ....
見舞い帰途で、買い求めた水羊羹