村上藩は譜代の小藩であった。恭順派と抗戦派の藩論統一が為されぬことに窮した藩主を自害に追い込んだ。
この盟主を失ったことで組織的統制を欠き藩士其々の意思に任された、所謂藩解体状態となった。
家老 鳥居三十郎他200余名が庄内藩に合流し抗戦したといわれる。
結果、居城も解体され遺構も無い。
今では、伝統的な三面川での鮭漁と塩引き鮭が名物として、また瀬波温泉と夕焼け海岸百景、笹川流れの景観で、その名を聞く。
村上藩は譜代の小藩であった。恭順派と抗戦派の藩論統一が為されぬことに窮した藩主を自害に追い込んだ。
この盟主を失ったことで組織的統制を欠き藩士其々の意思に任された、所謂藩解体状態となった。
家老 鳥居三十郎他200余名が庄内藩に合流し抗戦したといわれる。
結果、居城も解体され遺構も無い。
今では、伝統的な三面川での鮭漁と塩引き鮭が名物として、また瀬波温泉と夕焼け海岸百景、笹川流れの景観で、その名を聞く。
此処にも人がいた。
遠くを見ていたし、才覚も有った。
時を見て人も操った。
彼に不足したのは出会いだったのだろう。
そして、多過ぎたのが義憤と恩義であったし、少しの思い込みであった。
その人とは、幕末に生き戊辰戦争で没した河合継之助である。
戦いに勝てるとは思っていなかったであろう、初戦での勝利を足掛かりに被害少ない講和を求めていたのだ。
期しくも後に同所から出た、山本五十六将軍が構想した初戦真珠湾勝利での早期講和と同じである。
南北戦争終結で不要になった重機関銃ガトリング砲を導入し、兵の練度と地の利は継之助に初戦の勝利と交渉の時間をもたらすものだと思えた。交渉の相手にも恵まれなかった。歴史にもしもはあり得ないのであるが、西郷が居たなら・・・・
一矢報いて、武士の意気を示すことが唯一になってしまい悲劇の人となった。
奥羽列藩同盟に殉じた体制や人を追った東北の旅の始まりで、長岡市を訪れた。
街の人々の本音は、継之助は街を灰燼に導いた負の人としての評価があるようだ。
何方かというと河合継之助記念館の近在にある山本五十六連合艦隊司令官記念館の方に肩入れしているようにも思えた。
新潟県苗場山の登山道の途上にある秘湯”赤湯温泉”を訪ねた。 病み上がりのリハビリを兼ねて、本当にゆっくり歩いた行程を記す。
拠点 みなかみ町羽場を、10:30出発 → 国道17号 → 猿ヶ京 → 三国トンネル → 苗場スキー場 → 小日橋 11:30到着
苗場スキー場のドラゴンドラ架線下を過ぎると無舗装林道となる。九十九折の悪路を慎重にゆっくり辿る。途上、猿の一団に合う。
小日橋11:50 → 採石場12:05 → 棒沢橋12:40
例年なら採石場まで車が入るのだが、落石の影響で湯沢町が許可を出さないため、小日橋からの歩きとなる。身支度を済ませて、小日橋から下の河原への降下訓練中の湯沢町消防署員を横目に歩き始める。小日橋下にダムがあり、堆積砂礫が広大な中州を形成している。
木漏れ日の中の心地よい平坦林道散歩である。一石の形跡があり、一般車両の通行止めに納得。汗もかかずに50分程度で棒沢橋に到着。持参のハンバーガーサンドイッチで昼食。
棒沢橋13:00 → 鷹巣峠13:45 → 見返りの松14:15 → 赤湯温泉山口館15:00 着
棒沢橋で20分の昼食休憩後、登山開始。此処から登りとなる。いきなり急登。 鷹巣峠まで45分、休憩ポイントも見当たらず、一気の登りである。展望の無い標識だけの鷹巣峠で給水休憩。
次の”見返りの松”まではトラバースのアップダウン路である。下山者に猿の威嚇に会ったから気を付けるようにとのアドバイス。大声で歌を唄って歩く。 見返りの松は、本行程中で唯一携帯電波の届くエリアである。下山時のタクシー連絡広告が目を引いた。
“見返りの松”からは、ほぼ下りである。楢や朴の大木に霊気を感じながら湿って滑りやすい足元に慎重に歩を進める。登り始めと同様に、終着も急坂の下りである。滑りやすい砂地のトラバースで、所々にある気持ちだけのフィックスロープを頼りに下り終わる。轟々と逆巻く谷川に架かる鉄橋を2本渡ると、女性専用の青湯の露天風呂である。続いて現れる男性用の卵湯と薬師の湯である。卵の湯で作業中の山口さんに声を掛け、宿泊を依頼する。
本日は他に宿泊予約も無いことから、快く迎え入れてくれた。
他に客も居ないので、独り露天風呂を楽しみ、小屋番 山口さんと差し向かいで山菜料理を肴に、持参の焼酎で夜も更けた。
赤湯温泉山口館8:00 → 見返りの松8:40 → 鷹ノ巣峠9:05 → 棒沢橋9:50 → 小日橋10:40
ビール500円、宿泊2食付き8000円を清算し、来訪を約して山口館を出発。
途上、猿、熊の出現を警戒してヤッホーや歌を唄って歩く。見返りの松で家族に携帯連絡。
鷹ノ巣峠で今回の山行短歌を捻り、棒沢橋でお茶を頂く等、道草を喰って歩いた割には3時間足らずで、小日橋まで帰着した。
3時間足らずの行程ではあるが、棒沢橋からは登山である。登山の準備は必須である。
秘湯と小屋番の心地よい応接は、病み付きになる山行である。