うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

公共利益と個人の不利益の非対称性(再掲)2011-09-01

2020-03-04 10:46:31 | インポート

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我が手作り小屋の隣に、高さ40mの送電大鉄塔が建つことを前々回のブログに書いた。

 

これは現在、我が家の前面50m程に立っている送電用コンクリート柱(高さ14~5m)をルートを変えて最新強化するためであるらしい。

 

工事開始の挨拶にタオルを持参して下請け業者が来訪したのが6月下旬であろうか・・?

 

鉄塔建設がお盆過ぎから始まること、裏の雑木林に資材搬入用のケーブルルートを作ること、作業時騒がしくなり迷惑をかけるかも、との事であった。

 数週間を過ぎて、家の裏側と左横の小山の頂上の樹木が伐採されていたので、早速現地を見ると、驚くことに、ほぼ我が家の真横に位置しているではないか。もっと後ろに立つんじゃなかったの??と勝手にイメージしていた当方が甘かったのだろうが・・・

 早速、工事と設備の概要説明を求め、併せて周辺や地権者への広報説明の経緯を聞いた

。 周辺住民へは地域自治会を通じた回覧板を一回まわしたとの事であった。(当方は週末のみの在宅のため、自治会費は払っているものの回覧板は回って来ない) 具体的な構築設備の図面をFAXすることと、改めて説明を求めて面会することにした。

2週間後、東京電力の担当者が下請け業者に同行し、来訪面会し以下に付いて説明を受けた。

① 一般的に鉄塔建設予定地や送電線直下の地権者には、土地の購入賃貸についての交渉時に工事や設備の説明は行うが地域周辺へは回覧板程度の広報だ

② 我が家の南側40mの小山の上に高さ40mの鉄塔を建てること(実質我が家の標高からは50m程度の高さになる)

③ 前面の既コンクリート柱及び送電線が無くなるので前面の景観は改善すること

 

当方では以下について話した。

     地権者だけでなく周辺への説明も必要だった

     当初貰った図面には具体的な高さが明記されず、聞き込んで初めて40mもの高さであると判明したこと

     40mもの高さが必要な根拠

     電磁的障害の判断

     前面の景観は、当方がこれを承知で土地購入したこと、高さが145mの電柱であることなどから、今回の大鉄塔と比較した場合、景観改善とは言えない

     自然景観を求めてこの地へ来たのに、突然巨大な人工物が隣に出現する不利益について対応

 

結果、巨大工事の進捗や計画は変えられないこと、電磁的障害やこれに対する保障は無いこと、40m高は樹木成長に伴うメンテナンス軽減や送電線垂れ下がり係数などから妥当な高さであること、景観障害に対する金銭的保障対価はないことなどであった。

当方からの再提案で、周辺環境との違和感軽減の意味から鉄塔の彩色を考慮するよう求め、持ち帰り検討するとした。 が、後日返答で、資材発注した後であり彩色変更は不可能である。つや消し程度の措置が可能で実施するとのことであつた。

 

経緯は以上なのだが、なんだか引っかかるのである。

公共利益と個人不利益の非対称ということについてである。

 

東京電力=公共側はメリットが在る。

     老朽設備を廃止しメンテナンスコスト軽減や送電容量の向上が図れる

     工事業者は工事受注利益確保

対して個人の側にはデメリットがある

     自宅隣に50m超の鉄塔が建つことの景観悪化とこれに伴う環境価値の低下

     景観権侵害がほぼ未来永劫継続する

 

個人にとっては何のメリットも無く他方企業側にはメリットだけという、非対称性が許されるのであろうか?

公共の為には個人は我慢すべきだとか、回り廻って電力利用している個人の為にもなる等の論理は、ファシズムそのものではないだろうか?

前大戦中の「欲しがりません、勝つまでは」、「戦争非協力者は非国民だ」を彷彿させないだろうか??

また、原子力発電所建設時の地方と大都市、国家政策と地域住民との関係に構造的に酷似していないだろうか。

 

誰か、何所か、今回の景観権侵害と利益不利益の非対称について客観的に判断してくれる機関や人材をご存じないかしら・・・・・?????

 

 

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何故、独裁化への歩みを止められないか?

2014-07-08 16:07:49 | インポート

解釈改憲や憲法九条の無効化の流れを、なす術も無く見過ごす現世代の有り様を言い当てているのでは?? 内田樹のブログからの転載

みなさん、こんにちは。内田樹です。
このリーフレットは2014年5月3日の憲法記念日に神戸市で行われた兵庫県憲法会議主催の集会で行った講演に加筆したものです。
 この講演のあと、予想通り、安倍晋三政権は7月1日の閣議決定によって歴代政権が維持してきた「集団的自衛権は行使しない」という方針を転換し、海外派兵への道を開きました。日本の平和主義を放棄するという歴史的決断を首相個人の私的諮問機関からの答申を受けて、自公両党の与党協議による調停だけで下したのです。
国のかたちの根幹にかかわる政策の変更に立法府がまったく関与していない、つまり国民の意思が徴されないという異常な事態にもかかわらず、国民の側からはつよい拒否反応は見られません。讀賣新聞やNHKは内閣の方針に賛意をあきらかにしており、民主制を否定するような手続き上の重大な瑕疵についても強い抗議の声は聞こえてきません。
もちろん市民の側からは反対の意思表示がなされていますが、大手メディアの支援を受けた内閣が支持率40%台を維持している以上、市民の議会外からの批判が内閣の方針を動かすことは期待できないというのが現状です。
日本の民主制がこれほど脆弱であったこと、憲法がこれほど軽んじられていることに多くの人は驚倒しています。なぜ、日本の民主制はこれほど脆いのか、なぜ戦後70年にわたった日本の平和と繁栄を下支えしてきた憲法を人々はこれほど侮り、憎むのか。
私は護憲の立場にあるものとして、日本の民主制と憲法の本質的脆弱性について深く考えるべきときが来ていると考えています。私たちの国の民主制と平和憲法はこれほどまでに弱いものであった。わずか二回の選挙で連立与党が立法府の機能を事実上停止させ、行政府が決定した事項を「諮問」するだけの装置に変えてしまった。
立法府が機能不全に陥り、行政府が立法府の機能を代行する状態のことを「独裁」と言います。日本はいま民主制から独裁制に移行しつつある。有権者はそれをぼんやり見ている。ぼんやり見ているどころか、それを「好ましいことだ」と思っている人間が国民の半数近くに上っている。

独裁によって受益する見込みがある人たち(与党政治家、官僚、財界人)がこれを歓迎することは理解できます。でも、独裁によって受益する可能性がまったく見込めない有権者たちがそれでもなお独裁を歓迎するのはどのような根拠によるのか。ワイマール共和国の末期、ヒトラーへの全権委任についての国民投票では89.9%が賛成票を投じました。第三共和政の末期、フランスの国民議会議員の85%はペタン元帥への全権委任に賛成票を投じました。なぜ、ドイツやフランスの市民たちは自国を近い将来破滅に導く指導者にこれほどの権限を気前よく委譲したのか。これは久しく「歴史の問題」でした。歴史の専門家が考えればいいことであって、一般市民とはかかわりのないこと、遠いよその国でおきた「不可解な事件」でした。でも、今は違います。このまま進めば、いずれどこかの国の歴史の教科書に「このとき日本の有権者は国民の基本的人権を制約し、70年守ってきた平和主義を放棄しようとする政治勢力の独裁をなすところもなく傍観し、それどころか半数近くの国民はそれを歓迎したのである」と書かれることになるかもしれない。
でも、そのような切迫した危機感が日本国民にはまだ見ることができません。たぶんあまりにも長きにわたって平和と繁栄に慣れ切ってしまったためでしょう。「たいしたことは起こるはずがない」と高をくくっているのです。どうしてこれほど危機感が希薄なのか。それは国民のほとんどが「株式会社のサラリーマン」のものの見方を深く内面化してしまったせいだと私は思っています。なぜサラリーマンは独裁に違和感を持たないのか。その問いの答えは、株式会社の従業員たちが日頃慣れ親しみ、ついに骨の髄までしみ込んだ「有限責任」感覚のうちに求めることができるのではないか、というのが私のここでの仮説です。こんな奇妙な仮説を立てて現在の日本の政治過程を論じる人が他にいるかどうか、私は知りません。たぶんいないと思います。ですから、お読みになって「こんな話は聴いたことがない」と思われる読者が多いと思います。それでも、この仮説に基づいて現代の政治と経済のありようを見たときに、「腑に落ちる」点がきっといくつかあると思います。このリーフレットが憲法の問題、民主制の問題を根本的に考え直すひとつのきっかけになれば幸いです。

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2014睡夢山荘の春

2014-04-27 11:55:10 | インポート

また、春が来た。

ここで田舎遊びを始めて、10年目の春である。

桜も、なかなか素敵な見栄えになってきた。昨春辺りから おや! なかなか素敵じゃない!”と、感じていたのであるが・・・・

今年は、気の会った仲間や旧友を沢山呼んで、最盛の桜を肴に花見を楽しんだ。

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10年とは、なかなかの年月であるし、今年は会社人生最後の年でもある。

10年一区切りでもあるし、本気で向後の老齢人生を考えるべき、年度でもある。少し考察してみよう。

まず、来し方の10年は・・・

昔、 衣、食、住を得る営み、其のことが即、生きることであった。今は、物理的に生きることに、それ程の労力を必要としない時代だといえる。 職が無くても、当面の金が無くても、今日明日餓えて死ぬことは無いし、寒さに凍え死ぬことも無い。 人間が社会を作って、相互扶助や協同、分業を通じて専門化することで、生産性を挙げ社会全体の余力をつけた結果なのであろう。

どんなに、強い百獣の王ライオンでさえ、餓えるのである。それも日常的に・・・

人が社会を構成し、構成員の一員として加わることの最大のメリットなのであろう。

日常的に餓えなくて済み、寒凍からの回避や外敵から保護されることがである。突き詰めると 衣、食、住なのである。

53にして前線引退を余儀なくされて思ったものである。 人が社会(会社)から外れて生きる時、衣食住を得られる力と感性は在るのかと・・・

 そして、ここから始まった田舎遊びであった。

果たして生きていく術と感性はこの10年で取り戻せたのだろうか・・・・

家を設計、基礎、組み上げ、内外装、設備工事と段取りと、凡そ5年掛かりで仕上げた過程は、それはもう楽しい時間であった。其の後の植栽、菜園も五感を刺激するものであった。

また、五感を刺激し非日常体験と視野拡大に大きく寄与しているのが、登山とそれに類する数は少ないのだが海外貧乏旅行である。

 そして、一方、社会は大きな変動と危機を迎えている。 地球規模の気候変動と大震災と津波、合わせて福島原発の破滅的災害である。

 この危機の時代にこそ、生き延びる感性が必要とされるのだと思う。個人として生き延びることと、社会、人類規模での生存をイメージできる感性こそ必要とされている。

この感性を持ち合わせていない国の指導者が原発を止めないどころか、海外売り込みに奔走している現状を憂えるのも、ここ10年この事を考えて来たせいでもあるのだが・・・

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春への胎動

2014-03-24 07:20:52 | インポート

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物語7

2014-02-18 21:11:23 | インポート

隠れキリシタンとお納戸様Ⅱ

作:  界 稔

<o:p></o:p>

2011430_1161天草諸島

 

「 武吉殿 隠さず申し上げる。

 先ほど岬の寺から源次が持ち出した品を、私が密かに取り返しておいた。この品は、もしやご禁制に関わるものではあるまいか??

私には誓って他意はないし、他言もしておらん。 

武吉殿なら事の仔細をご存知であろう。話してはくれまいか?」<o:p></o:p>

 尋常でない八乃進の様子に、覚悟はしていた武吉であったが、目の前にお納戸様を出されて、狼狽しないわけは無かった。

「 こ、これは・・・

 如何なる次第でこのようなものが、八之進様の手に? 」

夕刻からの次第を、加奈と辰爺さんの身を危ぶむ気持ちから源次の後を付け、掛け軸を盗み出してきたこと、危惧することが当を得ているなら、力になりたいこと等を八之進が語ると、意を決したように武吉が語りだした。

「 そうでしたか、

 源次の様子に気をつけるように言い置いていたのですが、迂闊なことでした。  八之進様に取り戻して頂いたこと、本当に不幸中の幸いです。

お礼を申し上げます。

お察しのとおり、この品はご禁制の祈りの品です。

この村の者は天主様の信仰に帰依しています。もちろん私もそうです。加奈や平太の親もそうでした。

ご禁制になったとしても、私たちの信心は変わりようも無いのです。人の心を縛り付ける事が出来ようもありません。

私たちは人知れず、私たちの信仰を守っていこうとしていただけなのです。

手酷い御支配様の在り様に、主への信仰心だけが支えともなっているのです。

多久島の者供の厄災も、直訴への懲罰だけじゃなく、ご禁制に触れた者への見せしめでもあるのです。

 私たちの信仰と何より私たち村人全員の為に、今申し上げたことを、お支配様から守り抜かねばなりません。 今後どうするかは私たちで何とかいたします。八之進様にこれ以上ご迷惑をかける訳には参りません。ただ、これまでの事、私がお話した事などを他言なされぬようお約束頂ければと重々にお願い申し上げます。」

「わかりました。

 もちろん他言などご心配無用に存じます。

それと、私に出来ることがあれば、ご遠慮には及びません。加奈殿や平太と出会ったことも何かの導きかも知れません。

 今は、源次の動きが心配です。」

八之進は、加奈や平太の親を失った心細さと、武吉や村人の誠実な信仰へ思いに、自分の心を寄せられそうな気がしていた。<o:p></o:p>

 

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