異変4
半刻も過ぎた頃、岬の向うから一艘の小舟が波間に揺られて、こちらに向かうのが見えた。
八之進は平太に、誰にも見られぬよう注意して、海に身を沈めると抜き手を切って小舟に向かって泳ぎ出した。
力強い泳ぎと必死の様子で自分の方に向かってくる泳ぎ手に早くから気がついた可奈は、異変の胸騒ぎに、櫓を漕ぐ手に力を込めた。
舟縁に掴まるや、息を切らしながらも舟の中にすばやく身を隠し、 「可奈殿か?」と問う若者に 「何が有ったのです。」 「あなた様だれ?」
と、手を貸しながら矢継ぎ早に、問い返した。
「私のことは後で話します。
私の言うことを落ち着いて聞いてください。
私にも事情は判らないのだが、貴方の村に、貴方のご両親に異変が起きています。
村人全員が何者かに殺されました。
貴方の弟の平太が一人だけ助かっています。
私がたまたま匿って、貴方の事を聞きました。今、村に戻っては危ないし、今こうしている事も、もしかして危ないのかも知れません。
急いで、岸に着けてください。櫓を漕ぎながら聞いてください。」
櫓を漕ぎながら、唇をかみ、それ以上何も語らず、大粒の涙を落とす可奈を見て、 「ああ、この娘は何かを知っているのかも知れない」と八之進はごく自然に得心した。
洞穴の近くに舟を着け、平太が飛び出すのを受け止めた可奈は、今まで耐えていた悲しみを解き放つように、小さな弟を抱きしめながら声を出して泣き出していた。
八之進は急いで舟を岩陰に隠すと、二人の姉弟を洞窟に誘い、彼らの激情が治まるのを待った。
「何か思い当たることが有るなら、私に話してみないか?」
「私は昨日の嵐で舟を流され、漂着した五島の者だ。名を八之進と申す。」
平太の信頼を寄せた眼差しに加えて、可奈も不思議に初対面にも関らず、穏やかな気持ちで話が出来そうな気がしていた。
突然、馬の嘶きと蹄の音とに合わせて、大勢の声が村の方から聞こえてきた。
八之進は身を隠し声のした方を見ると、侍とその下郎の一団が、手にて手にたいまつを持ち、集落を焼き払おうとしているところであった。
これを見た、可奈が飛び出そうとするのを急いで押し留めた八之進は、この狼藉の正体が、正規の多久島藩の藩兵であることで、可奈の沈黙の理由が解ったような気がしていた。
事情はどうあれ、今ここで多久島藩の役人に姿を見られることは、八之進にとってもあまり都合の良い事では無かった。
「可奈さん、ここを離れたほうが良さそうだ。何処か身を隠すのに良い場所は無いだろうか?
貴方が今日までお世話になっていた、枚方の伯父さんとはどんな人なのですか?」
「伯父さんなら信頼できる人です。きっと匿ってくれると思います。」
「よし、判った。平太急ぐぞ!」
舟を引き出し平太と可奈を乗せ、力強い櫓捌きで、舟を対岸の枚方島へ向ける八之進であった。
岬を回り集落から立ち上る炎と煙の気配が届かない辺りに来ると、やっと安殿の色が可奈や平太の顔に浮かんできた。 舟に打ち付ける波の音と櫓の軋みの音は、今朝からの異変が無かったかのような、のどかさであった。
有り難い事に、もやが立ち小船の所在を、遠目から隠してくれた。