5ヵ月ぶりにやんたん(宇治田原町湯屋谷地区)を歩いてきたので、数回に分けてレポしますね~
これまで何度も歩きましたが、ほとんどが大滝に向かう大滝街道(中谷地区)を通っていました。
今回は、これまで行ったことのない伊賀越え街道に行ってみることに。
やんたん会館からすぐのY字路にはこんな幟が沢山。
えらい、伊賀越えの道を推していますね。
Y字路を左手に進むと、そこが伊賀越え街道です。
(途中で右手に曲がった道が、永谷宗円生家に進む宗円街道(塩谷地区)です)
年季の入った石積みの道を進んでいきます。
途中こんな看板を発見。
ここが冷泉のようでした。水に触れてみると、すごく冷たくて気持ち良かったです。
石仏様が水を守ってくださっているようでした。
さらに進むと道は林道になります。ここでいいの?と思いましたが、ここしか道がありません。
舗装されていたので、車も通るようです。
この時期はあちこちからクズの甘い香りが漂ってきます。
地元では草刈りをせっせとするので、なかなか花が咲くところまで行きません。
久しぶりに花を見ました。
それとオレンジ色の花が沢山咲いていました。
お~、お久しぶりのカエデドコロです。
ヤマノイモ科の在来のツル植物で、里山などに沢山生えています。
遠目にオレンジ色にみえたのでまだかネナシカズラ!?と思いましたが、違って良かったです。
葉が3~5裂するので、カエデドコロの名前が付いたみたいですが、実際には3裂の葉が多いです。
大きなキノコが生えていました。
カラカサタケの仲間のようです。上から見ても面白い。
他にあまり何も生えていないので、ついついキノコでも頑張って撮ってしまいました。
ふうふう登っていくと、T字路に突き当たります。
ここにも、伊賀越えの幟が沢山。
ここから左に曲がって山の中に入っていく道が伊賀越えの道。
私が歩いたところはほんのさわりの部分だけでした。
安土桃山から江戸の歴史に詳しい方なら伊賀越えの道のことはご存知と思います。
本能寺の変が起こった時、信長と同盟を結んでいた家康は、身の危険を察知し、滞在していた堺から
甲賀・伊賀・伊勢経由で、急ぎ領国三河に戻りました。
その時ルートの一部が宇治田原町にあり、町おこしに使われているらしいです。
詳しい説明が書かれたブログを見つけたので、全体はこちらでご覧くださいね。
ここから先に行くには十分な登山装備がいるということです。
私は、この辺りの茶畑を少しだけ見て、ここから宗円生家の方に向かうことにしました。
【撮影:2024/9 宇治田原町】