本日、インド占星術のまわし者のアスペ石井君から電話が。
インド占星術師で、インドの大学でインド占星術の修士をもつ日本で一番有名なインド占星術師に、私の生年月日を教えて、チャートを作ってもらったそうな。
年をとるごとに、神様や霊に興味を持つようになる。
霊能者を多く集めた日本霊能者連盟を作り、それを発展させる。
それを行うために生まれてきた。
そのインド占星術師は、そういったそうな。
当たっているなぁと。
以前、神様に、私の存在意義を聞いたら、そういう事を言っていました。
特に、私は、神様や霊を信じない連中に、その存在を信じさせるのが役目と聞いたこともあります。
ちなみに、日本霊能者連盟を始めたきっかけは、ひょうたん良先生との出会いによります。
2000年10月1日。日本一でかい対戦場150席を有するカードカルトを大阪日本橋にオープンさせました。
広さ 2フロアで75坪。
当時、関西じつわに、なにわ電脳探偵団という連載を持っていた私に、じつわの記者から、ひょうたん良という霊能者が鑑定室を欲しがっている一角をかしてもらえないか。
そして、一角につくったのがきっかけです。当時、ひょうたん良先生は、関西じつわに、ひょうたん良の占社という連載を持っていました。
初めて会った時の印象は、うさん臭さそうな人。
関西じつわの人に、芸として霊能者をやっている占い師と聞かされていました。
霊能者のふるまいは、すべて、芸でやっていると信じていました。
あるとき、お祓いしたるわと言って、錫杖をふってくれました。お経を読んでくれました。
芸としてやっていると思って、笑いをこらえるのが大変でした。
ひょうたん良先生については、よく当たる占い師だとは思っていました。
よく、当てていました。でも、偶然だろうと思っていました。
だけど、偶然ではありえないことがありました。
このブログでも何回も取り上げている。池田小学校児童殺傷事件を9日前に教えてくれたことです。
私とひょうたん良先生ともに、大阪教育大学付属池田小学校は縁もゆかりもありません。
なのに、そこで、人が刺されると9日前に言って。それが、現実に起こったときに、私は、ひょうたん良という人物は、占い師ではなく、
ホンマモンの霊能者だと確信しました。
その後も、酔っ払いかなにかによって、右目にパンチくらう。夜のコンビニとかでよっぱらいに絡まれないように気をつけとか言われました。
私は、コンビニなんかに行かないので、ありえない話と思い、はいはいと適当に聞いていました。
2-3日後、ベストマートというスーパーで、カードカルトで販売用のカップ麺を箱単位で購入、自転車の後ろの荷台に3箱載せ、ゴム紐で巻いていたとき、
最後、荷台の突起棒にひゴム紐をひっかけるとき、手がすべって、、
引っ張っていたゴム紐が跳ね返り、右目を直撃。コンタクトレンズが割れました。
眼科医へ行くも、コンタクトレンズが割れたことによって、衝撃が吸収され、黒目には異常なしと言われ、コンタクトレンズの新調だけで終わりました。
また、地震予知でも、日本霊能者連盟近鉄奈良駅前鑑定室で、鑑定後、近々大地震ありませんか。と尋ねると、普段、先生は、神様に尋ね。「ないみたいやね。」と答えるのに、その時だけ、「砂丘のある所で起こるって言うてはる。」それで、私が、砂丘のあるとこって、鳥取ですか。と尋ねると、先生は、神様に尋ね。「新潟や言うてはる。」
そして、2-3日後、中越沖地震が発生。
そんなことが、続き、ひょうたん良先生は、ホンマモンの霊能者だと思うようになりました。