それはそれは昔々、元号でいうと昭和30年、それほど昔じゃないか、、でも
まあ、69年前のことです。
場所は東京日本橋、新川1丁目、僕の生家での話です。ある春の日(としておきましょう)家には母と姉と僕の3人がいました。 僕は3歳、4つ上の姉が7歳、平屋のしもた屋は玄関に四つ目垣があってその外で何やら声が聞こえました、 母が応対するとそこには老婆が一人立っていたそうです。
ややせっかちだった3代目江戸っ子の母は早口の江戸弁で聞いたそうです、
” おばあちゃん どうしたの? なんか困ったのかい? ”
背中は曲がっているが眼光未だ鋭い老婆はこう言ったそう、、
” ここに子供がいるだろう? ”
母 ” な、なんだい? ”
老婆 ”ちょっと会えないかい? ”
この老婆はどうしても子供に会って占いたいとのことだった、
母は新手の物乞いだと思ったのだったが可哀想だし、占いさせてやって、そしてなにかご飯でもたべさせて小遣いでも上げようと思って老婆を家に上げたそう。当時の下町では誰もがそうする当たり前の日常の風景だったそうだ。
僕と姉を見つけるやいなや開口一番に老婆はこう言った、、
僕の姉を指差し、、
” このお嬢ちゃんは将来檜舞台に立つ!”
おだてに弱い江戸っ子の母は気分良くなってお大盤振る舞いしたとか、しなかったとか、
この話を僕は小さい頃から良く聞かされたのを覚えている。
姉は檜舞台に立つことはなかったが、代わりに僕がステージ立ってその檜舞台の袖でCREATIONのマネージャーとしてずいぶん僕の面倒を見てくれたわけだ。
よくよく考えるとあながち、おばあちゃんの占いも外れてはいなかったのかなと思う。
ふっとしばらく忘れていた話を思い出した春の朝だった。
Thanks For Reading,, Yours Truly K.T.
凄いなこれ(笑)。
映画やドラマを見ていると、その展開はいくら何でも強引過ぎるだろうと思うことがしばしあるのですが、今後は説得力を感じそう。
来るべく日の再会を期待していま~す!
大阪久しぶりに盛り上がりますね、楽しみです!