アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

今日のハナノキ~その1~

2010-02-05 11:00:09 | アンティマキの場所に生きる動植物
 裏庭に一本だけあるハナノキは、新緑も紅葉も美しい。でも、ハナノキというからには、花が美しいはずなのに、肝心の花を見たことがありません。「花が咲かない木なのかしら、それとも咲いても見過ごしていたのかしら。咲いたとしても見過ごすほど地味な花なら、なぜハナノキというのだろう」と、ずっと前から気になっていましたが、調べる機会を持たずにすごしてきました。

 きょう、やっと「日本の樹木」(山と渓谷社刊)で調べました。カエデ属で別名はハナカエデとあります。「四月ごろ、葉が出る前に真紅色の花が咲き、とくに雄花は多数集まってつき、美しいので花ノ木の名がある」と書いてありました。

 すると、うちの「ハナノキ」は、毎年花が咲いていても気が付かなかったか、ハナノキではないかのどちらかということになります。

 四月になって花の咲く時期を待たないと、なんともいえません。とりあえず、ハナノキのようすをずっと撮ってみることにしました。

 きょうのハナノキです。雪がちらついているので裸の木は寒そうですが、先端はもう赤みを帯びています。新芽が出ているのです! 

 枝だけを拡大して撮ってみましたが、残念ながらよくわかりません。
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植林の町

2010-02-05 10:11:33 | 稲武のモノ・コト・ヒト・バ
 先日、ひさしぶりに自宅の裏の山道を歩きました。ほとんど誰も通らない道なので、実生の潅木がここかしこに芽を出しています。でも、湿ったかび臭いがあたりに漂い、いいお天気なのに暗くてじめじめしていました。枝打ちや間伐などの手入れを何年もしていない人工林だからです。

 小さな川には真っ黒になった木切れや枝が川底や岸に引っかかり、水はきれいですが、なんとなく薄汚れた感じです。数年前に比べて森はいっそう暗くなり、竹が我が物顔にはびこり、ひょろひょろと伸びたスギがあちこちで立ち枯れていました。倒木も目立ちます。

 一昨年の夏、友人といっしょに奄美大島に住む二人の女性が訪れました。彼女たちと稲武から隣村の長野県根羽村、平谷村に出かけたときのこと。車窓からの景色を眺めながら、奄美在住の二人がしきりに歓声を上げました。あたりは何の変哲もないスギやヒノキの山々。「何が面白いの?」と尋ねると、彼女たちは「山の木々が奄美とちがう! 風景がちがうのが面白い!」と答えました。

 山と言えば、このあたりではスギやヒノキの山が普通。でも、彼女たちがなじんでいる山は、ソテツなど、亜熱帯の土地にしかないような木々が生育している山なのだそうです。

 広葉樹なら四季折々楽しめるのに、針葉樹の山々はつまらないと思っていただけに、彼女たちの感動は意外でした。こんな山でも珍しいのだな、と。

 振り返ってみれば、私もこちらに移住した当時は、緑があるというだけで満足していました。その山の木々が広葉樹か針葉樹か、なんて気にしていませんでした。

 でも、あるとき、近所に住む老人からこんな話を聞き、植林した山々が深刻な事態に陥っていることをはじめて知りました。

 「稲武はスギやヒノキの山が多い。枝打ちや間伐をして山の手入れをしている間はよかったが、国産材が安くなってからは、みんなが山に入らなくなった。手入れをしないと、年中日が差さないので、あたりはいつも日陰になる。そうすると、人工林を抜ける道にも日が当たらない。日が当たらなから雪や霜がなかなか溶けないので、道が滑りやすくなってあぶない」

 山が荒れていることは聞き知っていましたが、車の通る道にまで影響が及ぶほどとは考えていませんでした。

 稲武は昔、「植林の町」といわれていたそうです。植林の歴史は古く、江戸時代にまでさかのぼるそうで、とくに終戦直後、廃墟になった名古屋の復興のため、稲武の木材は飛ぶように売れたという話を聞いたことがあります。

 いまの稲武の山々の大方の森は、当時大量に伐採したあと、植林したものがほとんどではなかろうかとおもいます。その後、国産材の急速な値下がりにともなって林業が衰退し、町は一気に活気を失ったものと思われます。

 稲武の急峻な山を見ていると、いったいどうやってあの急な斜面に苗木の植え付けをしていったのだろうか、と感心するより先に驚いてしまいます。私の想像を超えたきつい労働を、昔の人たちはこなしていたのでしょう。

 でも、いまはその山々にほとんど価値はなくなりました。価値がないから山の手入れをする費用が出せず、手入れをしないからますますいい材木は生まれないという悪循環に陥っています。

 もっとも、いまでもきちんと手入れされている山もあります。そういう山は、整然と並んだ木々の間に陽が降り注ぎ、雑木林とはちがった美しさがあります。

 さきの老人は、自宅の裏山のスギを全部伐採し、かわりにもみじを植えました。「この先、木材で儲けることはなかろうから、それならみんなが見て喜ぶ山にしたほうがいい」彼はそういいました。

 ほどなく老人は亡くなりましたが、近い将来、稲武では貴重な、紅葉の美しい山を見られるようになることでしょう。楽しみです。
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