1948年に韓国済州島で起きた4・3事件後の、島での大虐殺事件をテーマにした映画「チスル」を見ました。
全編モノクロ。ゆっくりした動き。追っての兵隊たちから逃れて野原の穴ぼこに何人もの男たちが入り、やり取りする様子は、アングラ劇のようでした。でも、その後、事態はどんどんすさまじいものに変わっていきます。「チスル」公式HPには、次のように解説が記されています。
「第二次世界大戦で日本が連合国に降伏すると、アメリカ軍とソビエト連邦軍が朝鮮半島を北緯38度線で南北に分割し占領した。アメリカ主導で進められていた南だけの単独選挙が国の南北分断を決定的にするとして、1948年4月3日、選挙に反対する済州島民が武装蜂起。それが発端となり、米軍が作戦統治を行っていた韓国軍と警察は、海岸線5kmより内陸にいる人間を暴徒と見なし、鎮圧の名の下無差別に虐殺する。事態は熾烈を極め、7年もの間に約3万人が犠牲となったが、その大半は思想や信条とは無縁な人々だった。日本に逃れた島民も多く、事件前に28万人いた人口は激減した。「済州島4・3事件」は時の体制に“アカの島”で起きた“共産暴動”と烙印を押され、近年まで語ることさえタブーとされてきた。」
映画では、ひとりも武装蜂起した活動家は登場せず、突然逃亡を強いられた普通の人たちが、隠れ家として選んだ洞窟の中で暮らす様子をえがきます。はじめはすぐに帰村できると思いこんで暢気に構えていた彼ら。しかし、最後はわけもわからないまま、村を焼かれ、殺されていきます。殺すほうの下っ端の兵隊も、理由のわからないまま「アカ狩り」に。彼は若い女に銃口を向けながらどうしても引き金を引けず、女に逃げられるのですが、その女の顔のアップが美しかった。
劇場で見たらさほどでなかったかもしれませんが、終始画面が暗くて、見づらいのが難点でした。この映画、facebookで映画好きの知人が紹介していたので、はじめて知ることができました。事件のことも知らなかった。韓ドラの歴史もので、流刑地として登場する済州島で、7年もの間、自国の兵隊による虐殺が続いたとは、驚くべきことです。2003年、やっと当時の大統領が島民を集めて開かれた座談会で、謝罪したそうです。4・3事件の調査のための委員会も、そのころ設置されたとか。この事件で島から逃げ、日本にやってきて在日韓国人となった人たちがかなりいる、ということです。このことも、もちろん知りませんでした。
全編モノクロ。ゆっくりした動き。追っての兵隊たちから逃れて野原の穴ぼこに何人もの男たちが入り、やり取りする様子は、アングラ劇のようでした。でも、その後、事態はどんどんすさまじいものに変わっていきます。「チスル」公式HPには、次のように解説が記されています。
「第二次世界大戦で日本が連合国に降伏すると、アメリカ軍とソビエト連邦軍が朝鮮半島を北緯38度線で南北に分割し占領した。アメリカ主導で進められていた南だけの単独選挙が国の南北分断を決定的にするとして、1948年4月3日、選挙に反対する済州島民が武装蜂起。それが発端となり、米軍が作戦統治を行っていた韓国軍と警察は、海岸線5kmより内陸にいる人間を暴徒と見なし、鎮圧の名の下無差別に虐殺する。事態は熾烈を極め、7年もの間に約3万人が犠牲となったが、その大半は思想や信条とは無縁な人々だった。日本に逃れた島民も多く、事件前に28万人いた人口は激減した。「済州島4・3事件」は時の体制に“アカの島”で起きた“共産暴動”と烙印を押され、近年まで語ることさえタブーとされてきた。」
映画では、ひとりも武装蜂起した活動家は登場せず、突然逃亡を強いられた普通の人たちが、隠れ家として選んだ洞窟の中で暮らす様子をえがきます。はじめはすぐに帰村できると思いこんで暢気に構えていた彼ら。しかし、最後はわけもわからないまま、村を焼かれ、殺されていきます。殺すほうの下っ端の兵隊も、理由のわからないまま「アカ狩り」に。彼は若い女に銃口を向けながらどうしても引き金を引けず、女に逃げられるのですが、その女の顔のアップが美しかった。
劇場で見たらさほどでなかったかもしれませんが、終始画面が暗くて、見づらいのが難点でした。この映画、facebookで映画好きの知人が紹介していたので、はじめて知ることができました。事件のことも知らなかった。韓ドラの歴史もので、流刑地として登場する済州島で、7年もの間、自国の兵隊による虐殺が続いたとは、驚くべきことです。2003年、やっと当時の大統領が島民を集めて開かれた座談会で、謝罪したそうです。4・3事件の調査のための委員会も、そのころ設置されたとか。この事件で島から逃げ、日本にやってきて在日韓国人となった人たちがかなりいる、ということです。このことも、もちろん知りませんでした。