2ヶ月前に発刊された「美味しんぼ」109巻は、原作者・雁屋哲の、日本の食文化に対する真摯な思いがいつにもましてはっきりと表現されていました。
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この巻は、2大新聞社が対決をつづけている「日本全県味巡り 島根編」。「震災の復興がままならないというのに、悠長な「味巡り」などしていたら世間から顰蹙を買うにちがいない」とひるむ主幹たちに対し、海原雄山は、こう言います。
「今、多くの日本人の脳裏にあるのは、破壊された東北のあの惨状だ。その光景に心を縛られていては、心が沈むだけで復興の力が湧いてこない。かつての東北に劣らない美しい風土。現実にそれをこの目で見て、この身をその体験で充満させて復興に当たらなければ、目の前の惨憺たる光景に負けてしまう」
そして、雄山は、味巡りの県として島根県を提案します。島根には、10月になると日本中の神が集まるという出雲大社があり、「日本書紀」や「古事記」より古い時代にできた「出雲国風土記」があるように、日本のなかでも、とくに古い歴史を持つ地方です。その島根に息づいている食文化を紹介することで、日本の風土の豊かさを再認識してもらおう、というのです。
雄山に対抗している側の、東西新聞社の山岡さん一行が最初に向かったのは島根県庁。農水産部を訪ねます。部長・次長クラスの職員が彼らに語ったのは、「島根県有機農業推進計画」。中山間地が70%を占める島根の、地の利を生かす農法として、自然農法、有機農法を県が応援しているというのです。
「これからの日本は人口も減りますし、大量生産、大量消費とは逆の方向に行くのではないでしょうか。(中略)島根県は量や規模では勝負しづらいが、豊かな自然があるので、有機を特徴にやっていこうと考えたのです」
県単位で有機農法に取り組む方向を示すとは、興味ぶかい。職員が一行を案内したのは、在来の生姜で作る生姜糖屋とその栽培農家です。しっとりと柔らかいこの出西生姜といわれる在来種は、よその土地では同じように育たないのだとか。
県の農水部が島根の特長としてあげたのは、山が多いため、土地によって環境が変わり、変化に富んだ質の高い農産物ができること。その農産物のひとつが、この生姜というわけです。
彼らは、隠岐の島で、アメフラシという気味の悪い動物の料理に出会います。ゲテモノ料理などではなく、れっきとした郷土食です。料理対決の会場では、このアメフラシの料理から始めて、審査員の度肝を抜きます。
ついでクロモジのお茶、クロエイの炊き込みご飯、こじょうゆみそ、サバの塩辛、ツガニ団子などなどが登場。どれも、おいしそう!
さて、もう一方の雄山たちが初めに訪れたのは旧柿木村。こちらは、町をあげて有機農業に取り組んでいます。30年も前に「有機農業をすすめ、合成食品添加物を追放して、村本来の伝統的な食べ物を追求していく取り組みを始め」ました。現在150戸ある出荷農家のほとんどが、有機農業に取り組んでいるのだそうです。
雄山は、料理対決の会場でこの村を紹介しながら、「このように全村挙げて有機農業に取り組むことは、地域を活性化し、外国の産品と競合しない新たな生産物を生み出す。TPPに対処する有効な方法だということを理解していただきたい」と、いったん結びます。
しかし、ついで、「TPPにアメリカの(有機栽培)基準が適用されたら、日本の基準との違いが問題になるかもしれない。その場合、柿木村のこれまでの取り組みが否定されたり、アメリカの有機農産物に対抗できなくなる恐れもある。(中略)村の取り組みが無にならないよう、日本政府がTPPに賢く対応するように見張ろうではないか」とつづけます。
審査員に出されたのは、ふたつの町の違ううずめ飯、アゴだしのモズク雑煮、焼き飯茶漬け、ホンダワラの漬物、亀の手の吸い物などなど。そして、松江で獲れたスズキの奉書焼き、ヤイトガツオのおつくりとカマの塩焼きのあと、最後に宍道湖のシジミの味噌汁が供されます。
雄山は、最後にまた一言付け加えます。
「この素晴らしい自然環境を失う危険を、島根県自身が抱えている。島根原発が事故を起こしたら、本土も隠岐諸島も現在の福島のような状態になってしまう。島根原発が福島のような事態を引き起こさぬよう、日本人全体が心を一つに注意を傾け、力を尽くしていただきたいと思う」
私は、この巻に出てきた島根の郷土料理をひとつも知らないのですが、読んで絵を見るだけで、この地に育った産物を最大限生かすために、島根の、古今のたくさんの人たちの深い知恵と工夫が集められて生まれたものだということがよくわかります。どれもみんな食べてみたい。
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さて、私は20数年前、マクロビオティックの雑誌の編集に携わっていたときに「美味しんぼ」を知り、書評欄で取り上げました。当時はまだ、グルメ漫画としかおもわれていなかったし、自然食や環境問題を取り上げることはなかったと思います。でも、素材の出所や調理法の細かいところまで言及するところなどが、他のグルメ漫画とは一線を画しているとおもったのです。
以来、ずっと買い続けていまや109巻。100巻を越えたあたりから、中身が俄然変わってきました。堰を切ったように、食の安全や環境問題を取り上げるようになったのです。
山に牛を放牧させる山地酪農の素晴らしさ、ダム建設にまつわるとんでもない問題点、そのほかさまざまの、食と環境に関する事柄を、私はこの「美味しんぼ」で学びました。
この巻は、雄山が山岡さんに向かって、「今、福島について何が真実かはっきりしない。私は福島の真実を掴むためにこれから動く。(中略)私に協力したかったら言って来い」と、かなり柔軟な態度を見せるところで終わります。
大きな力に立ち向かうために、この親子はいよいよ和解の方向に向かうようです。二人が見聞きした「福島の真実」にも、彼らの和解の仕方にも、強い関心をそそられる終わり方でした。次の巻の発売が待ち遠しい!