晴耕雨読とか

本読んだり、いきものを見たり。でも、ほんとうは、ずっと仕事してます。

シュロの大木

2008年11月11日 | 生き物
通勤途中にある古い民家が取り壊された。建物が撤去され、どういうわけかそのシュロの木だけが残された。

その家に寄り添うように立っていたシュロの木に気づいてはいた。道と建物の間の、ほんの50~60センチぐらいの隙間に生えていたのだ。

けっこう樹高があるよなあ、、と思っていたのだが、建物がなくなると、その高さにあらためて驚いた。となりの3階建てのマンションと同じぐらいの高さがある。12、3メートルはあるだろうか。



すげえ。シュロって、なにかポサポサしていて、がっちり感がなく、いつ折れても不思議じゃないような雰囲気。

どうするんだろう、この土地のオーナーは。切り倒されないで、そのまま家でも建てるのか? 明日の夜には、切り倒されてないかもしれないけれど。


ゲンゲの唐揚げ

2008年11月10日 | 
立山室堂にあるみくりが池温泉で昼食を食べた。

みくり丼、980円。



ゲンゲの唐揚げと、白海老のかき揚げがのったどんぶり。ゲンゲとは富山湾で捕れる深海魚。

うまい。山で富山名産の海産物が食べられるとは思わなかった。ま、山とは言っても、車で上がれるから当然か、、、。

白海老の昆布シメも最高でした。

ちなみにみくりが池温泉は日本一高所にある温泉だそうですが、残念ながら温泉に入りませんでした。

立山のライチョウ

2008年11月09日 | 
立山で雷鳥研究会の方とお話をする機会があった。立山室堂で、30年ぐらいライチョウの調査を続けているグループだ。

最近の状況をお伺いすると、個体数は比較的安定しているということだった。100万人を超える観光客が来る室堂で、ライチョウがちゃんと生きているというのはすごいことだ。

その方は、いろいろ問題が指摘されているけれど、結局うまくいっているんじゃないか、、、という感じをもっておられました。

個体数の変動は、この30年間に一度大きく減り、それが増え、もう一度少し減って、今はまた回復期だそうだ。

「(個体数減は)環境破壊だと言われるが、ライチョウそのものがもつ個体数の変動が基本的にはあるんじゃないかと思っている」と話してくれた。

そして、「50年ぐらい見たら、それが見えてくるじゃないかと思うんだ」と。
30年も同じ場所でライチョウを見てきた人たちのその言葉に、けっこうグッと来ました。

自然に対して、そして自分たちの科学調査に対して、とても謙虚。

ちょっとだけ、雪に覆われた室堂を歩いたが、ライチョウに出会うことはできなかった。それっぽい足跡はいくつか発見。



雑踏の季節が終わり、本格的な冬がやってくる立山室堂で、吹雪に耐えて冬を越すライチョウのことを思った。

山を読んだ。

2008年11月08日 | 
金土で富山県に行った。新幹線で越後湯沢に行って、そこから特急はくたかで富山へ。一言、遠い。

行きに登山家の山野井夫妻のヒマラヤ登山を描いた沢木耕太郎の『凍』(新潮文庫)を読む。いっきに読む。



すごい。何となく知っていたけれど、山野井さんって、、ほんとうにすごい。妻の妙子さんはもっとすごい。

エベレストとチョー・オユーのふたつの8000メートル峰に間にひっそりと、そして屹然と立つギャチュンカン(7952m)。登山というか登攀、岩と雪・氷の壁を登る話だ。そして、生きて降りてくる話だ。

正直、この夫婦は狂っているのかもしれない。なぜ山に登るのか? そんなありきたりな疑問が、強烈なパンチでどこかに行ってしまう。そして、この本で語られる登山以外でのおふたりの人柄とのギャップが、一段とその登攀の狂気が浮き上がらせる。

解説で池澤夏樹は、「感動するのは、彼らが真の意味で自由であるからだ」としている。

自由。狂気と表裏にある穏やかな人柄と日常。それは、狂う自由なのか。

ようやくたどり着いた立山で、すでに雪が降り積もった山々を見て、その狂気を思った。




一泊して早々に帰京。富山駅にある本屋で新田次郎の『劔岳 点の記』(新潮文庫)を買う。来年の夏、浅野忠信と宮崎あおいで映画化されるそうで、立山中にポスターが貼ってあって、気になって購入。



これも……いっき読み。

明治時代、未到といわれた剣岳に測量のために登った陸地測量部の記録を小説化したものだ。実録小説とでもいうか、ほぼ史実通り、、、なのだろうか?

山野井夫妻とは正反対の義務としての登山。義務と言うよりは使命といったほうがいいだろう。

日本山岳会(?)との初登頂争いも描かれるが、その紳士たる姿は、登山家新田次郎の思いなのだろうか? このへんはフィクションなのかな?

いずれにしても厳しい登山で、わたしからすると点の記の柴崎も山野井も、ざっくり似たようなものか。大きな違いは、思いという名の狂気か、使命という名の思いか、、、。

ああ、いっぱい本を読んだ出張でした。


『読書進化論』その後

2008年11月05日 | 
続きはまったく読めてません。

忙しかったせいもありますが、やや勝間に押され気味という感じか。

耳の痛い勝間の言葉。

「要は、やったかやらなかったかの差なんです」

ええと、読書の話? うう、お腹まで痛くなってきた。

ごめんなさい。

『読書進化論』

2008年11月04日 | 
最近話題の勝間和代さんの『読書進化論』(小学館新書)を買う。さくさくと読み進み、あっというまに終わりそう。



はじめて彼女の著作を読んだけれど、ま、勉強にはなるというか、ほほうと思うことはあります。たしかに、こう、、、、すごいんだろうね、この人。

内容はまた紹介するとして、なんだろう、、、、いったい人はどこまでポジティブに生きなければならないのか、人はどこまで成長していかなくてはいけないのか、、、そんなことを漠然と感じたのもまた事実。

いや、べつに彼女が「そうあるべきだ」といっているわけではなく、ただ、彼女とその周りがそうありたいと思っていて、それが当然の前提のようになっていて、よく言えば圧倒された。

明るくも、狂信的なまでの前向きさに、ややタジタジしてしまう通勤電車の中です。



ちらりと姿を

2008年11月03日 | 生き物
今さらですが、家の周りにジョウビタキが来ています。ここ、2~3週間かなあ? フィ、フィ…という声を聞いたのは。

人んちの庭とかで鳴いているのでなかなか姿が見えなかったのですが、今日、ようやく姿を見ました。逆光でオスかメスか分かりませんでしたが。

たまたま新しいデジカメをぶら下げていて(ふふ、買っちゃいましたG10)、これは!と思って狙ったのですが、どこかに飛んでいってしまいました。

もう、11月だから冬鳥の季節なんですね。散歩が楽しい頃になりました。

はやにえ

2008年11月03日 | 生き物
秋が深まってきました。家の周りでもキチキチキチとモズの高鳴きが聞こえます。
ちょっとした空き地や家の庭、雑木林の周りなどにいるんでしょう。モズといえば「はやにえ」。数年前にひたすらはやにえを探しまくっていたことがあります。

住宅地のモズでは、なかなか見つけられないのですが、当時は相模川近くの休耕田や梅林に探しに行っていました。

はやにえ。これです。



ダブルです。まだ、、、2匹とも動いていました。いろんな種類のはやにえを見ましたが、迫力があるのはこれ。



カナヘビです。けっこう大きな個体も刺さっていて、なんか恐竜みたいです。あと、不思議なのはドジョウのはやにえです。



けっこう数もあって、おそらく田んぼの水が抜かれるタイミングで捕獲するのでしょう。2センチぐらいの小さなドジョウも刺さっていました。ま、このへんになると、「刺さっていた」というよりは、冬芽の脇とかに、エラのあたりでちょこんと乗せられている…という感じですが。

たしかに、いろんな生物をぶっさすのですが、どれも首のあたりなのです。

このほかにアマガエル、イモリ、ネズミ類、ミミズなどなど……。あとは小鳥のはやにえを発見すれば、ほぼ種類的には網羅することになるのですが、、、。

はやにえの目的というのは、やはり貯食なんでしょうね。なわばり宣言である……という説を聞いたことがありますが、実感としては、はやにえを作る場所、枝先とか有刺鉄線とか、その場所そのものがとても少ないため、はやにえを作る場所はかなり限定されているので、あまりなわばり関連のものとは思えません。

じゃあ、冬に食ってるか、、、というと、よくわかりません。見るだけ見て、あまり追跡調査というのをしていないので。

一度だけ、雪が降りしきる1月の梅林で、かちかちになったミミズとおぼしきはやにえを一生懸命食べようとしているモズを見たことがあります。

実際は秋の終わりとか、初冬に全部食べちゃうんでしょうね。

うちの周りにいるモズもどこかにはやにえを作ってるんだろうな。ぶすぶすと。



シュミットハンマー

2008年11月02日 | その他
家のコンクリ製のガレージは、土地を買ったときから既にあって、築何年なのか不明です。お隣によると、このへんは昭和40年代前半に造成されたそうで、ガレージをおそらく50年代からあったような感じです。

困ったことにけっこう劣化が進んでいて、粉がぱらぱら落ちるのです。うちのイオ子ちゃん(パジェロio)に。ひどいのです。壊れた電灯のところからモルタルも落ちてきて。

もう、これは改修だと、工務店に調査をお願いしました。

で、これです。シュミットハンマーです。



コンクリの簡易強度試験機です。たぶん、、、バネの力でパチンコ玉みたいのを発射するのでしょう。その反動を調べるようです。ぐーっと押して、ばちんと音がします。左右、後ろの3方向をそれぞれ12点ずつを検査しました。

結果は、強度はある。ただ、、、明らかにコンクリは劣化しているという状態。水が染みているし、クラックも一部入っている。

むむーん、やっかいだな。強度があるなら、壊して作り直すんじゃなくて、単に補修という感じか。その方がお金もかからないし。

正式な結果を待って工務店と相談です。死ぬまでとは言わないけれど、ま、コンクリ製なんだから、もう何十年間かもって欲しいし、上を花壇にしたいし、お金はないし…と。ま、そんな状態です。

『人在常在菌のはなし』読了。

2008年11月01日 | 
『人在常在菌のはなし』(集英社新書)読了。

前にも書きましたが、なかなかおもしろかったです。

大きく、腸内常在菌と皮膚常在菌のふたつの話で構成されています。基本コンセプトは、ずばり「育菌」。人在常在菌を積極的に育てようという考えです。そういう生活が人を健康に保ち、美容にもいいというわけです。

育菌の視点をもつと、食事やお風呂、女性の日々のお肌のお手入れ、お化粧、冷暖房などの考え方、方法ががらりと変わります。

実際は、単純に菌を育てるだけではなく、要はまっとうな人体の機能、新陳代謝を阻害しないことが重要だ……という面も強調されています。その機能のある部分を人体常在菌が担っているわけです。

人体常在菌…その数、じつに100兆個(匹?)。自然の不思議は身近にありました。

本の最後、第6章の「ストレスと癒し」という章では、やや論理に飛躍があり(というか説明の飛躍かな)、ちょっとどうかなと思うところもありますが。

「ストレスだらけの食べ物を食べ続けていたら、食べる側にもストレスが募り、やがて病気になる」

まぁ、農薬や消毒、抗生物質というあたりのことだと思いますが、やや丁寧さに欠けた言説が散見されます。

でも、全体的にはとても勉強になる本でした。おすすめです。