このタイトルを見てなにを書いているのだろうと思った人も多いだろう。誤植ではないので念のため。
タイトルの文章は、先日、近所のスターバックスへ寄った時に、スタバに置いていた落書き帳で見つけたものだ。たぶん、日本語を習い始めたばかりの中国人の若い女の子が彼氏のことを思いながら、あるいは素敵な彼氏を目の前にして書いたのだろう。「私の夢はボーイフレンドと一緒に旅行することです。愛してる」と書くべきところをすこし間違えているのがなんともいえずかわいらしい。恋をしてウキウキしている姿が目に浮かぶ。
ところで、広州の中心部にはスタバがいくつもあるのだけど、時々びっくりすることに出会う。
二ヶ月ほど前のことだけど、ブレンドコーヒーをテイクアウトしようとしたら、
「ブレンドコーヒーは苦いけど大丈夫ですか(直訳すれば、飲み慣れていますか)?」
と若い店員に訊かれた。
僕は一瞬、中国語を聞き間違えたのかと思い、「なんて言ったの?」と聞き返してしまった。店員はやはり同じことを言う。ブレンドコーヒーって苦いのがいいんだけどと思いつつ、
「没問題(問題ないよ)」
と答えた。
考えてみれば、広州のスタバではカフェオーレやホイップクリーム入りコーヒーといった甘いものを飲んでいる中国人が多い。中国人はコーヒーを飲む習慣がないから、苦いコーヒーというものは彼らにしてみれば飲めた代物ではないのかもしれない。華南で十年近く働いている日本人に訊いたところ、やはりまだ彼らは「おしゃれな感じのするスタバでコーヒーを飲みながらノートブックパソコンを開いている自分が格好いい」というライフスタイルへのあこがれでスタバへきているだけだという。コーヒーの味はわかっちゃいないと。若い店員はコーヒーの味はわからないけど、親切のつもりでそう訊いてくれたんだろう。
またある時、ブレンドコーヒーを頼んだら、
「すみません。ブレンドコーヒーは消滅しました(直訳)」
と返事が帰ってきた。
消滅???
まさか、世界中からブレンドコーヒーが消えるわけがない。そんなことを宣言されても困ってしまう。
「それって、ブレンドコーヒーがメニューから消えたってことなの?」
僕は恐るおそる聞き返した。中国はなんでもありのカオス的ワンダーランドだから、なにが起きても不思議ではない。スタバからブレンドコーヒーがなくなることもじゅうぶんに考えうる事態だ。店員は、例のブレンドは苦いけど大丈夫と訊いてくれた彼だった。
「なくなっちゃんったですよ」
彼は、アイスコーヒーを入れておくプラスチックの容器を逆さにしながら僕に見せる。うーん。メニューから消えなくてよかった。それにしても、まだ夜の八時半だ。閉店まで二時間半もある。閉店間際ならしかたないかもしれないけど、ふつう、喫茶店はブレンドコーヒーを切らさないと思うんだけどなあ。広州ではブレンドはそれほど人気がないのだろうか。
「ブレンドコーヒーのかわりに、アメリカンを出しますよ。御代はブレンドのぶんだけで結構です」
彼はスタバはサービス満点なんですよとでも言いた気に自信満々だ。日本のスタバの値段がどうなっているのかは知らないけど、なぜかブレンドよりアメリカンのほうが高い。
「いいや、僕はアメリカンが好きじゃないから」
せっかくの申し出だけど断った。僕が飲みたいのはブレンドだ。アメリカンじゃない。
「ああ、味が濃いから」
彼はうんうんわかるという風にうなずく。
――だから、そうじゃなくって!
僕は心のなかで叫んだ。中国にいるといろんなことをなかなかわかってもらえなくてとんちんかんな答えがよく返ってくる。それでいつも、「だからそうじゃなくって!」、と言うはめになる。わかってもらないものはどうしようもない。どうしようもないのだけど、そこで引くわけにもいかない。
お兄ちゃん、アメリカンはブレンドより薄味なんやで。アメリカンはブレンドにお湯を足すやろ。頼むからわかってや。
「アメリカンは味が薄いから飲んだ気がしないんだよ。白湯みたいでさ」
僕が言うと、彼はぽかんと口を開け、まるでそんなことは生まれてはじめて聞いたというような顔をしている。僕がなにを言っているのか理解していない。彼は愛想もいいし親切だけど、スタバで働いていてもブレンドコーヒーをほとんど飲んだことがないのだろう。もっとも、彼を責めることはできない。僕も学生時代に喫茶店でアルバイトしていたことがあるけど、きっかけはその喫茶店で働いている女の子たちがかわいいという不純な動機からだった。じつをいうと、コーヒーは苦手で、喫茶店でアルバイトをしているうちに好きになった。
彼を責めてもしょうがないのだけど、夜の八時半以降になるとブレンドはめったにないから、夜は行かないようになった。
スタバでいちばん困るのは、英語で話しかけられることだ。今僕が住んでいるところは外国人が比較的多いところだし、スタバの入っているテナントビルの上には日本を代表するような日系企業を初めとして外資系企業がたくさん入っているから、白人の姿もよく見かける。顧客サービスの一環として英語のできる店員をそろえているのだろうけど、僕としては北京標準語で話してくれたほうがありがたい。コーヒーの注文のやりとりくらいはなんとかなるけど、中国人の店員はきさくなのでいろいろ話しかけてくる。そうなるともうお手上げだ。雑談に応じるほどの英語力はない。バックパッカーをしていた頃は、英語でピーチクパーチク話していた記憶があるけど、もう何年も使っていないので、かすかな英語力も消えうせてしまった。何度通っても英語で話しかけてくる店員に根気よく北京標準語で返しているうちに、顔見知りの店員はようやく北京標準語で話しかけてくれるようになった。最近は、スタバへ行っても「英語を聞き取らなくてはいけない」というプレッシャーから解放されたのでほっとしている。
スタバのコーヒーを買うだなんて、なんて贅沢なことをしているのだろうと思われるかもしれないけど、実は広州でまともなコーヒーを飲もうとすればスタバのブレンドコーヒーのトールサイズを頼むのが一番安い。コーヒーハウスでブレンドを頼むとだいたい二十元(約二五〇円)ちょっとする。それも時々、とんでもない味をしたものが出てくる。あきらかに屑豆を挽いたものだ。スタバなら十五元(約一九〇円)。割引カードを使えば十三元。マクドのコーヒーもあるけど、日本のマクドのコーヒーのようにはいかない。Lサイズで8元(約百円)と安いのだけど、コーヒーの管理方法が悪くて煮立っているからクリームと砂糖を入れなければ飲めた代物ではない。そのまま飲んだのではインスタントコーヒーを飲んだのと同じように胸焼けしてしまう。コーヒー文化がまだまだ普及していない中国では、レベルの低いコーヒーでも商売になる段階だ。コーヒーを飲む人が増えれば、客も店員も味がわかるようになって全体の水準が向上するのだろうけど、いまのところスタバに頼るしかない。
でもなんだかなあ。
そのスタバがちょっと頼りないんだよなあ。スタバでも時々変な味をしたブレンドが出てくるし。
スタバってグローバルなはずなんだけど、やっぱり広州のスタバには広州のローカルルールがあるようだ。グローバルなルールは、なんとなく世界中のどこでも通用しそうな感じがするけど、じつはそうではなくて、決してどこでも通用するわけじゃないということがわかった。
近くてめちゃめちゃ遠い不思議の国、中国にいるといろいろ勉強になる。
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第26話として投稿しました。『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/