酒蔵の小さなホール。
50歳を少し過ぎた頃でしょうか、
薄暗いライトに浮かび上がる長髪の男性。
目をつむったまま、静かにバチを鳴らすと
ジャジャーン、ババンバン!
――びっくりしました。
腕をしならせた、そのひとつの動きから
リズムとメロディーが同時に生まれることに。
そして、その音色の激しさに。
それが数年前のこと、
生まれて初めての「津軽三味線」体験でした。
きのう土曜日、
銀ステのサロン会でご案内した「津軽三味線」ライブ、
私にとっては2度目の津軽三味線体験です。
演者は前回と同じ、岡田修さん。
1985年には津軽三味線全国大会優勝、
以前はただもう、その演奏のド迫力に
圧倒されっぱなしでした。
でも、2度目の昨日の感想は少し違いまして
それが何かと言うと…。
「私みたいに津軽三味線を演奏する者にとって
先輩たちが苦労した昔に比べると
今は本当に良い時代だと思います。
昔は門付けといって、家々の軒先をまわりながら三味線弾いて、
わずかばかりの食べ物やお金をもらった。
今は、こうしてたくさんの人が、わざわざ会場に足を運んで
お金を払って聴いてくださるのですから」
山形県酒田市のご出身という岡田さん。
トツトツと語られる、故郷の響きを少し残した言葉に、
お人柄がにじみ出ます。
「津軽三味線は、新潟の盲目の女性たちが発祥でして
ゴゼと呼ばれたこの女性が軒先で弾きながら津軽に流れてった。
でも津軽に行くと、目の見えない女性には
イタコと呼ばれる仕事があるわけです。
それで、いつしか弾き手が盲目の男性になっていったんです」
そう語る岡田さんの横には、
もうひとつの津軽三味線が置かれています。
「こっちは、昔ながらの張り方で張った津軽三味線です。
今は、音を響かせるために、皮をパンパンに張る。
でも当時は、雨や雪や日照りのなかで弾くもんだから、
きつく張るとすぐに破けてしまう。
だから、破けないように、ゆるーく皮を張るんですね。
そうすると、音が響かない。
でも、そうするしかない。
…ちょっと、今のと聴きくらべてみましょうか」
そう言って、先ほど演奏された「津軽じょんがら節」を、
もう一度、昔ながらの津軽三味線で、
昔の奏法で弾いてくれました。
――先ほどのハッと目が覚めるような音色に比べると、
照明がふたつみっつ落ちたような音、といえばいいでしょうか。
「ね、響かないでしょ。
さっきのが、カカンカンって音だとすると、
これは、ボンッ、ボンッて感じでしょうかね。
我々は、これを『鳴らない』っていうんです。
今、この昔のを舞台で使う人はほとんどいないです。
でも私は、こっちの音色も聴いてほしいんですね」
その言葉どおり、最後、アンコールには
昔の三味線を抱えて舞台に戻ってきた岡田さん。
最後に、こう仰いました。
「津軽の先輩たちの苦労や涙がつまったこっちの三味線は、
『鳴らない』んですけど、私のなかでは一番、鳴っているんです」
鳴らないけれど、鳴っている――
ボンッ、ボンッ…というくぐもっった音色とともに
岡田修さんのたくさんの言葉がしみじみ響いた、
2度目の「津軽三味線」体験でした。
▼「ヤマザキマザック美術館」ツアー報告はコチラ
http://ameblo.jp/arailuka/day-20101110.html
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貸切バス・オーダーメイド旅行のご相談は…
銀のステッキ旅行
TEL 0797-91-2260(平日8:30~17:00)
■公式ホームページ:http://www.gin-st.com
■銀ステ旅先案内人:http://ameblo.jp/arailuka
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50歳を少し過ぎた頃でしょうか、
薄暗いライトに浮かび上がる長髪の男性。
目をつむったまま、静かにバチを鳴らすと
ジャジャーン、ババンバン!
――びっくりしました。
腕をしならせた、そのひとつの動きから
リズムとメロディーが同時に生まれることに。
そして、その音色の激しさに。
それが数年前のこと、
生まれて初めての「津軽三味線」体験でした。
きのう土曜日、
銀ステのサロン会でご案内した「津軽三味線」ライブ、
私にとっては2度目の津軽三味線体験です。
演者は前回と同じ、岡田修さん。
1985年には津軽三味線全国大会優勝、
以前はただもう、その演奏のド迫力に
圧倒されっぱなしでした。
でも、2度目の昨日の感想は少し違いまして
それが何かと言うと…。
「私みたいに津軽三味線を演奏する者にとって
先輩たちが苦労した昔に比べると
今は本当に良い時代だと思います。
昔は門付けといって、家々の軒先をまわりながら三味線弾いて、
わずかばかりの食べ物やお金をもらった。
今は、こうしてたくさんの人が、わざわざ会場に足を運んで
お金を払って聴いてくださるのですから」
山形県酒田市のご出身という岡田さん。
トツトツと語られる、故郷の響きを少し残した言葉に、
お人柄がにじみ出ます。
「津軽三味線は、新潟の盲目の女性たちが発祥でして
ゴゼと呼ばれたこの女性が軒先で弾きながら津軽に流れてった。
でも津軽に行くと、目の見えない女性には
イタコと呼ばれる仕事があるわけです。
それで、いつしか弾き手が盲目の男性になっていったんです」
そう語る岡田さんの横には、
もうひとつの津軽三味線が置かれています。
「こっちは、昔ながらの張り方で張った津軽三味線です。
今は、音を響かせるために、皮をパンパンに張る。
でも当時は、雨や雪や日照りのなかで弾くもんだから、
きつく張るとすぐに破けてしまう。
だから、破けないように、ゆるーく皮を張るんですね。
そうすると、音が響かない。
でも、そうするしかない。
…ちょっと、今のと聴きくらべてみましょうか」
そう言って、先ほど演奏された「津軽じょんがら節」を、
もう一度、昔ながらの津軽三味線で、
昔の奏法で弾いてくれました。
――先ほどのハッと目が覚めるような音色に比べると、
照明がふたつみっつ落ちたような音、といえばいいでしょうか。
「ね、響かないでしょ。
さっきのが、カカンカンって音だとすると、
これは、ボンッ、ボンッて感じでしょうかね。
我々は、これを『鳴らない』っていうんです。
今、この昔のを舞台で使う人はほとんどいないです。
でも私は、こっちの音色も聴いてほしいんですね」
その言葉どおり、最後、アンコールには
昔の三味線を抱えて舞台に戻ってきた岡田さん。
最後に、こう仰いました。
「津軽の先輩たちの苦労や涙がつまったこっちの三味線は、
『鳴らない』んですけど、私のなかでは一番、鳴っているんです」
鳴らないけれど、鳴っている――
ボンッ、ボンッ…というくぐもっった音色とともに
岡田修さんのたくさんの言葉がしみじみ響いた、
2度目の「津軽三味線」体験でした。
▼「ヤマザキマザック美術館」ツアー報告はコチラ
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