ハワイ島から帰ってきたので、本当ならハワイのご報告なのですが、その前に。
不謹慎!と怒られるでしょうが、
海外添乗中の大きな楽しみのひとつは、「添乗明けの休日に何しよっかなぁ~」ということ。
今回のハワイ島は出発前から決めていて、それをすごく楽しみに出かけました。
これです!
「3大テノール 世紀の競演」の映画会。
ドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティ。
オペラ界のスーパースターである3人が、初めて同じ舞台に立った奇跡のような夜。
サッカーワールドカップ・イタリア大会の前夜祭として、ローマのカラカラ劇場で行われたステージ。
1990年7月7日のことでした。
時差ボケも、ハワイ帰りには身に沁みる寒さも何のその。
朝早く家を出て、一番前に陣取って、見てきました。
カレーラス、ドミンゴ、パヴァロッティ…と、ひとりずつ順番に出てきて披露される名曲の数々。
「グラナダ」、「帰れ、ソレントへ」、「星は光りぬ」、
トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」、そして、「カタリ・カタリ」
一曲終わるたびに、カメラは指揮者、ズービン・メータを大写し。
飛び上がるように拍手したり、演者に抱きついたり、感極まったように目を閉じたり、
その反応や表情にも惹きこまれるうちに、あっというまに時間は過ぎて、
いよいよ三人がそろって舞台に登場してのフィナーレ・メドレーへ。
トゥナイト~ トゥナイト~
ミュージカル『ウェストサイドストーリー』からの「トゥナイト」です。
…と、ここで、あれ?となりました。
歌詞が英語だからなのか、それぞれの歌うパートの確認のためなのか、
急に三人ともが譜面台に目を落とし、ちらちら見ながら歌う姿は、
カメラが表情を大写しの分、妙にこぢんまりと見えてしまい、先ほどまでの魅力半減なのです。
メドレーですから、トゥナイトだけではありません。
『キャッツ』の「メモリー」も、
ロシア民謡の「黒い瞳」も、
メキシコ民謡の「シェリト・リンド」も、
シャンソンの「ばら色の人生」も、ずーっと!
こら、三人とも、目ぇあげて歌わんかいっ
ぶつくさ思っているところに、ふいに昨日までいたハワイが浮かびました。
最終日、ワイキキのホテルを出発し、ホノルル空港へと向かう朝でした。
迎えに来てくれたバンのドライバーさんはあまり陽気な方ではないようで、
私もなんとなく挨拶しそびれて、お名前の紹介もしないままに、車は動き出しました。
ハイウェイに乗るはずが、車はなだらかな丘をのぼり、古くからある静かな住宅地へと入っていきます。
あれ?と思ったところに、ドライバーさんの声がしました。
「あそこ、くだもの、なってる」
右側に見える平屋の庭に、文旦のような大きな黄色い丸い実がいくつも。
「このあたりは1920年ごろからの、古いじゅうたくち。かわらの家もあります」
日系の方ですか?とお聞きしたら、「三世です」とのこと。
後ろのお客さんが重ねて訊かれました。
「おうちでも日本語で?」
一瞬の間のあと、返事がかえってきました。
「家では、ねこに日本語、しゃべってます」
あららとうろたえ、「猫は日本語わかってると思いますよ~」といつもの無責任で返した私に、
「わたしが日本語べんきょうしはじめたとき、息子はもう、30歳だった。
だから、もう、むり。
ふたりでは、いつも英語。
わたしの代で、日本語はおしまいね」、と。
車は住宅地を抜けてハイウェイに入り、あとは、ホノルルの話に移っていきました。
…なぜか、そのときのドライバーさんの、「ねこに日本語、しゃべってます」が浮かんだのです。
三人の大男が、情けなくちらちら譜面台に目を落としながら歌う姿に!
イタリア語で歌わせてやってくれよ~と思っていたら、
フィナーレ・メドレーの本当のフィナーレは、「オー・ソレ・ミオ」。
やったー、僕たちの歌だー!とでもいうように、
ドミンゴが、カレーラスが、そしてまるで全身「太陽」のようなパヴァロッティが、
急に生き生きとさえずり始めるその歌声に、
客席からはスクリーンに向かって大きな拍手が沸き起こったのでした。
…ホノルルのドライバーさん、お名前を聞かなかったことが、なんとなく悔やまれます。
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