「秀吉の手紙 その1」2016-01
龍野神社にあった秀吉の手紙33通 新聞報道
「秀吉の手紙 その2 特別展「秀吉からのたより」」2016-03
龍野神社 たつの市立龍野歴史文化資料館
「秀吉が茶々に宛てた書状発見 その1」2017-07
出石の民家 新聞報道
「秀吉が茶々に宛てた書状発見 その2」2017-07
「兵庫県立歴史博物館:特別展「ひょうごと秀吉」始まりました!」2017-10
秀吉が茶々に宛てた書状発見 龍野神社にあった秀吉の手紙等 兵庫県立歴史博物館
「兵庫県立歴史博物館:特別展「ひょうごと秀吉」その2」22017-11
秀吉が茶々に宛てた書状発見 龍野神社にあった秀吉の手紙等のほか,
高砂市内の収集家の問い合わせから発見 兵庫県立歴史博物館
「次は,「村田家文書展」が見たいです。」2021-05
特別陳列「新発見!秀吉の書状ー播磨と但馬をつなぐ垣屋氏文書ー」
たつの市立龍野歴史文化資料館
そして10日ほど前の
「秀吉は細かすぎる「上司」!?」2024-04 民家 たつの市立龍野歴史文化資料館
私は秀吉関係の新史料発見をこんなに書いています。
兵庫県立歴史博物館やたつの市立龍野歴史文化資料館で時々展示されるのです。
七本槍の一人脇坂安治の子孫(養子もあるので,安治から数えて3代以降は,安治との血縁があるわけではありません。)が17世紀後半から幕末まで龍野藩の藩主だったこともあり,秀吉関係の史料が多いのだと思います。
また,展示があれば,展示の史料を見た人が,「もしかしてうちにある文書・・・」と博物館に問い合わせ,また,新史料が発見されたりもします。
しかし,今度の史料は,なんとネットオークションです。(もとは,どこかの民家にあったものでしょうが)
そして,「秀吉の史料!」といえば,いつも登場するのが,
東京大学史料編纂所の村井祐樹先生,そして,兵庫県立歴史博物館では前田徹先生です。
4月23日,兵庫県立歴史博物館の展示を見て来ました。
写真撮影不可なので,今回は写真はありません。
さて,今回の文書は,江戸時代の間に3~4回の転写を経て伝わってきたと思われるもの34通のうちの数点です。
あて先は,羽柴秀吉,年代は,天正6(1578)年~同10年のものが中心です。
私が唖然としたのは,34通の文書は単純に文面のみを写したものではなく,
原本の文字の形状もその通りに写し取る模写による写しであるということでです。
「なんで?」
江戸時代に秀吉に宛てた手紙が,どれほどの意味があるのでしょうか?
『源氏物語』を写すのはわかります。
だって,読みたいし,見たいし,そのまんまを持っていたいような・・・
でも,文字の形までいっしょということはないですよね。
内容等,詳しくは,神戸新聞 2024/2/8
「別所長治、信長方から離反の理由は… 三木合戦の新史料発見
「上司にアピール」秀吉の弁明手紙も 姫路で展示へ」をご覧ください。
「新史料発見 三木合戦と羽柴秀吉」は,兵庫県立歴史博物館 コレクションギャラリーで7月7日まで行われています。
特別展とは違い,無料ですので,ぜひどうぞ
龍野神社にあった秀吉の手紙33通 新聞報道
「秀吉の手紙 その2 特別展「秀吉からのたより」」2016-03
龍野神社 たつの市立龍野歴史文化資料館
「秀吉が茶々に宛てた書状発見 その1」2017-07
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「秀吉が茶々に宛てた書状発見 その2」2017-07
「兵庫県立歴史博物館:特別展「ひょうごと秀吉」始まりました!」2017-10
秀吉が茶々に宛てた書状発見 龍野神社にあった秀吉の手紙等 兵庫県立歴史博物館
「兵庫県立歴史博物館:特別展「ひょうごと秀吉」その2」22017-11
秀吉が茶々に宛てた書状発見 龍野神社にあった秀吉の手紙等のほか,
高砂市内の収集家の問い合わせから発見 兵庫県立歴史博物館
「次は,「村田家文書展」が見たいです。」2021-05
特別陳列「新発見!秀吉の書状ー播磨と但馬をつなぐ垣屋氏文書ー」
たつの市立龍野歴史文化資料館
そして10日ほど前の
「秀吉は細かすぎる「上司」!?」2024-04 民家 たつの市立龍野歴史文化資料館
私は秀吉関係の新史料発見をこんなに書いています。
兵庫県立歴史博物館やたつの市立龍野歴史文化資料館で時々展示されるのです。
七本槍の一人脇坂安治の子孫(養子もあるので,安治から数えて3代以降は,安治との血縁があるわけではありません。)が17世紀後半から幕末まで龍野藩の藩主だったこともあり,秀吉関係の史料が多いのだと思います。
また,展示があれば,展示の史料を見た人が,「もしかしてうちにある文書・・・」と博物館に問い合わせ,また,新史料が発見されたりもします。
しかし,今度の史料は,なんとネットオークションです。(もとは,どこかの民家にあったものでしょうが)
そして,「秀吉の史料!」といえば,いつも登場するのが,
東京大学史料編纂所の村井祐樹先生,そして,兵庫県立歴史博物館では前田徹先生です。
4月23日,兵庫県立歴史博物館の展示を見て来ました。
写真撮影不可なので,今回は写真はありません。
さて,今回の文書は,江戸時代の間に3~4回の転写を経て伝わってきたと思われるもの34通のうちの数点です。
あて先は,羽柴秀吉,年代は,天正6(1578)年~同10年のものが中心です。
私が唖然としたのは,34通の文書は単純に文面のみを写したものではなく,
原本の文字の形状もその通りに写し取る模写による写しであるということでです。
「なんで?」
江戸時代に秀吉に宛てた手紙が,どれほどの意味があるのでしょうか?
『源氏物語』を写すのはわかります。
だって,読みたいし,見たいし,そのまんまを持っていたいような・・・
でも,文字の形までいっしょということはないですよね。
内容等,詳しくは,神戸新聞 2024/2/8
「別所長治、信長方から離反の理由は… 三木合戦の新史料発見
「上司にアピール」秀吉の弁明手紙も 姫路で展示へ」をご覧ください。
「新史料発見 三木合戦と羽柴秀吉」は,兵庫県立歴史博物館 コレクションギャラリーで7月7日まで行われています。
特別展とは違い,無料ですので,ぜひどうぞ
秀吉の手紙は結構残っていますね。私はNHKカルチャーのオンライン講座を受けているのですが、昨日は増田孝先生の古文書講座を受けました。なんでも鑑定団で古文書を鑑定している先生です。
昨日は信長の手紙の講義でした。信長の自筆手紙で残っているのは、今のところ4通だとか。それぞれ永青文庫(東京)、防府、高岡、熊本大学、に所蔵されているそうです。以前は永青文庫にだけしか信長自筆文書は残っていないと何かに書いていたのですが、研究で増えたのだそうです。信長の筆跡は自信にあふれていて、当時としては先進的な書風なのだそうです。
今年10月には信長の展覧会があるのだとか。是非見てみたいです。
江戸時代の室津について、この前読んでいた本に面白いことが載っていたので、後で書かせて下さい。ではまた
ネットで見ました!永青文庫の「織田信長文書の世界(仮)」ですね?!?面白そうですね。
うちの近隣では,上に書いたように脇坂が持っていたであろう秀吉関連の文書が多く発見されています。秀吉が脇坂に宛てて出した書状です。自筆はわずか・・・たつの市立龍野歴史文化資料館で見たことがあります。しかし,ほとんどは自筆ではありません。
兵庫県立歴史博物館で展示された民家にあった秀吉が茶々にあてた書状は自筆だったと思います。
「秀吉関連の文書は7000ほどあるそうですが,
ふつうは,祐筆が書き,花押またはハンコ(朱印)のみ秀吉です。
秀吉自筆は,100通ぐらいだそうですが,
今回,自筆が5点(?)かな?」と私は以前書いています。(「兵庫県立歴史博物館:特別展「ひょうごと秀吉」始まりました!」2017-10)
今回の「新史料発見!」は何度か模写されていますから,自筆ではありません。歴博では,秀吉に届いた書状ですから,本来は「羽柴家文書」とよばれるべきもの,と説明文にありました。(信憑性についての検証の説明もありましたが,長くなるので省きます。)脇坂の件のほか,秀吉は姫路にいたこともあるので文書が出てくるのかな?と思います。
信長の文書を見るために,東京まで行くことはできないと思いますが,
ぜひまた教えてくださいね !(^^)!
そして,室津のことも・・・待っています。