ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・17

2012-01-19 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 
 アユミは楽しそうに野菜サラダを作っている。小振りのトマトと紫オニオンを切りそれに酸の強いニブ(レモン)を皿に盛り付ける。ぼくは出来上がったサラダとサブジを病室へ運ぶ役だ。ラウラシカはチャパティーを焼いている。ぼくら3人のリズムが調子よく合った。ぼくとアユミにとっては理不尽な役回りだが取り敢えず空腹を解消する以外、今やるべき事はない、時間は素直に流れた。
 ドクターの往診はいつも夜だ。1人で来て症状を聞いていく。その後シスターが水の入ったコップと薬を持って病室に入って来る。
「トミー、ご機嫌はいかが?」
ぼくが出した右手のひらに薬が置かれる。
「1度にそんな沢山は飲めないよ」
薬の量も多いがインドの錠剤は大きい。2回に分けて飲み終わると、彼女はぼくの口の中に薬が残されていないか調べた。
 もしここを逃げ出したとしても、ぼく1人だけでは何一つ出来ないだろう。スタッフを自由に使えれば身体も体力も戻って動き回る事が出来る。粉を使えばの話か、又やっぱり粉だろうな。もしパスポートが手に入ったらアルファーに預けてあるスタッフ100gを持って陸路カトマンズへ戻る。後のスタッフはアフリカンがインドから持ち込んでくれる。デリーへ買い出しに来る事はないだろう、危険過ぎる。もし今度、捕まったら簡単には出られない。アフガンとパキスタンの国境の街ペシャワールへの買い出しも考えたが曖昧な情報しかない。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・16

2012-01-18 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 食欲は出てきたが朝の牛乳とバタートーストだけはちよっと食べ難い。牛乳は1度、火を通してあるのだが病室に持って来た時には生温くなっている。飲もうと口に持っていくと独特の臭いが鼻につく。昼はチャパティ4枚とサブジがでるが、調理した油はそんなに気にならなくなった。夕食前なのに腹がへって仕方がない、夕食はチャパティ5枚にしてくれとラウラシカに頼んでおいた。
 夕方、お腹が空いたのだろうアユミはぼくの病室に来ていた。ヨーロッパからの一人旅やネパール行き等、彼女の話しを聞きながら夕食が運ばれてくるのを待っている。随分待ったような気がするが、食欲をそそるガラムマサラの香ばしい匂いが漂って来ない。食器の音もしない。食欲が出てきてぼくは気がついたのだが食事の時間がいい加減なのだ。
何をしているのかラウラシカの奴は、ぼくとアユミは調理場へ様子を見に行くことにした。
 厨房の中を見ると、チャパティーを作る小麦粉の団子が丸めてあるだけだ。ぼくとアユミは呆れ返って、口をあんぐり開けたままそれを見ていた。そこへ御2人さんそこで何をしているの、という顔をして奴が厨房に入ってきた。夕食の準備が遅くなったから急いでやろうという気持ちなどラウラシカにはこれっぽっちもない。また遅れやがって、てぇめ~と頭にきたがここは我慢した。バザールから買って来て用意してあるのだろう、野菜を見るとビンディー(おくら)が置いてある。これはニンニクと油で炒めターメリックとガラムマサラそれに塩で味付けをすると美味しい、う~ん、堪らん。
 アユミとぼくは空腹に負け料理の手伝いをする羽目になった。病人が料理人の手伝いをしなければならないという奇妙な関係がまかり通って良いのか。空腹に負けたぼくらはこの日からラウラシカの思う壺にはまってしまった。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・15

2012-01-17 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 アユミの症状は薬が効いたのか見違えるように良くなった。血圧は150~110と高いが身体の動きはよく、食欲もあり何でも自分で出来るようになった。そしてアユミは絵を描かなくなった。朝のティーは別々だが昼食と夕食はぼくの病室に運ばせ一緒に食事をしてくれる。禁断から抜け出そうと苦しんでいるぼくを労わるように、アユミは旅や日本の話をしてくれた。ベッドの上で味気ない食事をしていたぼくにとって、テーブルを囲んだ楽しい食事はぼくの心を癒してくれた。後、1週間もすれば彼女は退院してここから去って行くだろう。出会いと別れ、そしてまた新しい出会い、人は歩き続ける。心は留まることなく進まなければならない。ぼく達は旅を生きている旅人だから。
 アユミが退院したらぼくはたった一人でこんな病院に閉じ込められ、残されるのか。話す相手もいない、長い日々を一人で耐え続けなければならない。今日は誰も来ない。マリーはぼくの代わりに裁判所に行ってくれているはずだ。本当に来年1月に裁判を終わらせる事が出来るのだろうか?もしそれが出来るようだとカトマンズで考えていた当初の計画を一部手直しすればまだ何とかやっていける。すぐに新しいパスポートを作りネパールへ戻れば、外国語学校での勉強も続けられるかもしれない。
 だが大使館との関係はあまり良くない。下手をすればパスポートではなくトラベル・ドキュメントで即帰国という最悪の事態も考えられる。今、どうこう考えても仕方がない。頭を下げ泣きの涙で頼む、2度とスタッフはやりませんと嘘でも良いから固い約束をしてパスポートを作って貰う、それしか手はない。大使館はパスポートを交付してくれるだろうか、難しい問題だ。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・14

2012-01-15 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


インド人はビリをやっても良い素振りをしている、ぼくの手も出かかっていた。そこへちょうどアユミが来てくれた。彼女と日本語で簡単に打ち合わせをし
「ビリ、貰って良い?」とアユミ
「おぅ、どうぞ、どうぞ」
可愛くて若い外国人女性に頼まれて、気分が舞い上がったインド人は残りのビリとマッチをぼく達にくれた。
「やったね」
ぼくもアユミもお金は病院で管理され持っていない。ビリを買うお金もない、もし持っていたとしても外には出してくれないだろう。
2人でビリを吸っていると、さっきアユミが話していた婦人達がちょっと嫌な顔をしてぼく達を見ている。アユミは小柄で子供っぽい顔をしている、というより婦人達から見たアユミは高校生くらいにしか見えなかったに違いない。彼女は不良少女と思われたかもしれない。インド人の女性が煙草を吸っているのをぼくは見たことがない。ぼく達がビリを吸っていると大男の髯の門番が駄目だと言っていたが、ドクターが見えなくなるともう何も言わない。久し振りに吸ったビリは強くて頭がぼうとなってしまった。効いた。
 ぼくの症状はそんなに良くなってない。薬が強いのだろう身体の痛みはそれ程感じない。身体の痛みがなく睡眠薬が効けば眠れる。遅々として進まない長い夜を目を開けて白々と明ける夜明けを待つ、夜の闇が不眠のぼくを襲う。だがこの病院の睡眠薬は効いている。夜はかなり眠っているようだ。薬効が切れるから朝はどうしても早く目が覚めるが。身体の方は重くて動けない、特に下半身はまだふらふらしている。
 でもアシアナでの治療を思い出しても症状の回復はやはりこの程度だろう。莚を引き摺って陽の当たる場所へちょっと移動する事さえ辛かった。莚の上にへたり込んで、ただぼうと空を見ていた。飛行機を見てはあれに乗ってカトマンズへ行きたい、鳥は自由に高い塀の上を行き来する、羨ましかった。いつになったらここから出られるのか、治療が終っても解放されるわけではない、第1刑務所の第2収監区に移送され長い刑を務めなければならない。第2収監区にはビリもスタッフも自由に吸えると聞いていた、ぼくは刑務所内で再びスタッフを吸い中毒者になった。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・13

2012-01-11 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


12月11日(月)(入院して8日)
 
 入院して8日目。多量の薬漬けに変化はない。スタッフ中毒者の体内に残っている薬物濃度を下げ排出する、と同時に外部との隔離が必要だ。面会は大使館員以外一般人としてマリーが許可されている。そのマリーでさえ面会時の差し入れ品のチェックと特に時間の制限はないが複数のシスターによる立会いは拒否出来ない。入院して1週間目を境にしてぼくの心理に変化が始まった。スタッフを断って1~2日目は薬物を求めて狂い、1日中スタッフの事ばかりを考えていた。3~4日目になるとスタッフへの欲求は強いが時々、ぼんやりと何を考えていたのか、ふと自分に気付いては現実に引き戻されたりしていた。現実と非現実の狭間に意識が揺れる。
 禁断からの回復に有効なのは時間の経過である。体内への薬物注入を断つとそれの体内濃度は低下していく。身体の痛みと不眠という苦しみを引き摺りながら薬物は体外へ排出される。それを手助けするのが医薬品だ。8日目になってぼくはこの禁断から取り敢えず抜け出したいと思うようになった。もし再びドラッグの世界に入るとしても今までの分は清算しておきたい。
 朝食後、薬を飲んで前庭に行った。良い天気だ。今までは身体が動かないので病室に閉じ籠っていたが、こうして外へ出られるようになると気持ちが安らぐ。家族の見舞いに来られた婦人達だろうか、ベンチに座ってアユミと話をしている。男性は男性で別のベンチに座っている。昨日も見かけた2人のインド人がぼくに興味を示している、ぼくは彼らが座っているベンチに行き彼らの話しに加えてもらった。2人とも入院がかなり長そうだ。病院の評判や薬、体調について聞いてみた。こんな病院なんて治療費が高いだけで何の役にも立たない、と彼らの病院に対する評価は散々だ。話しが一段落すると、彼はポケットからビリを取り出し美味しそうに吸い始めた。ぼくはスタッフとニコチンのダブル禁断者だ。両方を断って8日目になる、スタッフはやらないがそろそろ煙草かビリくらいは吸っても良いだろう。ぼくはインド人に
「お前、ビリを吸っても良いのか?」
「お前、吸いたいのか?」
と奴は言いやがった。吸いたいに決まってるだろう、今まで禁止されていたのだから。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・12

2012-01-09 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 

 前庭の花壇越に低い塀がある。外の広い通りが良く見えた。通りを見ると道具を持った流しの床屋が歩いている。髭でも剃ってさっぱりしたい、髭の門番に頼んで床屋を呼んでもらった。床屋は雑巾のような布をぼくの胸に掛けると、汲んできたコップの水でぼくの頬を指でぺチャぺチャと濡らした。シャボンを少し泡立てるといきなりぞりっと剃った。頬髭を剃り鼻髭はカットして揃える、髭剃り代5ルピーで刑務所内と同じ料金だった。
「パイサ(お金)」
手を出し料金を請求する床屋にぼくは
「パイサ・ナヒン」お金は持っていないと言った。
そう言われた床屋は驚き呆れ返ってしまったようだ。周りのインド人達に救いを求めるように見回している。
「パイサ・オフィス・チョロ」お金は事務所へ行って貰えとぼく。
ヒンディー語と英語で説明をしたが、どうも良く理解が出来ないようだ。床屋はまだ文句を言っている。髭の門番が言い聞かせたのだろう、床屋は渋々と事務所の方へ歩いて行った。シスターから貰ったお金をぼくに見せると、床屋は道具を持って通りへ出て行った。陽射しで身体が温まっている、髭を剃ってさっぱりしたついでに身体を洗い下着の洗濯をした。スタッフを断って7日になる、最大の峠は越えつつある、身体を洗う気力が生まれた。
 薬は相変わらず多いが来週から少しずつ減っていくだろう。夕食は少し食欲が出てきた、身体が回復へ向かっているのだ。まだ早くは食べられない、食べ物を噛むと下顎の付け根辺りに痺れるような痛みがある。時間をかけてゆっくり噛んで食べれば良い、食べられるようになれば体力は回復する。
夜、ベッドの上で何度も何度も日本の姉からの手紙を読み返した。
  
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・11

2012-01-05 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


12月10日(日) (入院して7日)

 症状はあまり良くなっていない、身体が震える。毎日、日記を書いているのだが首や頭がガクガクと震え、手と指が自由に動かない、我ながら情けない。早くここから逃げ出したいのだが下半身の衰えはそれを不可能にしている。今日から下半身を強くする為ベッドから出て歩行訓練を始めた。今までぼくは病室とトイレしか知らなかった。廊下に出て右側へゆっくりと歩いて行くと右側は病室で、その先の左側はナースセンターのような事務室のようだ。患者らしきインド人とシスター達が見える。その前をぼくが通り過ぎようとすると
「何をしているのトミー、どこへ行くの?」と言って、シスターが走って来てぼくの腕を捕まえた。
「散歩もしちゃいけないのか?」
じっとぼくの目を見ていたシスターは腕を放し
「庭には椅子が置いてあるわ」笑みを残して彼女は事務室へ戻った。
 前庭になっていた。入院して初めて見る外の風景である。重苦しい病室に閉じ籠っていたぼくの心と身体は広がっていくようだ。手入れは行き届いていないようだが花壇が数ヶ所ある。空いた椅子に腰を掛けた。久し振りに吸う外の空気と12月の暖かく優しい太陽はとても眩しかった。病院の塀に囲まれた内側だけの自由だが朝は太陽が日差しをくれる。これからは毎日、午前中だけでも外へ出て本を読んだりも出来る。
パタパタとサンダルの音がする。大分、元気になったアユミの足音だ。
「外に出て大丈夫なの?」
「うん、ゆっくりなら歩ける」
「私ねぇ~」
彼女は時々、ヨーロッパからの1人旅を思い出すように語ってくれる。彼女は語る事によって、ぼくは日本語で語られる優しさによって心の傷が癒されていくように思えた。アユミと会えたことでぼくは本当に救われている。禁断の最も辛い時に日本語で話せる。でも彼女の話の半分もぼくは理解が出来ない、それでも良かった。
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