ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・19

2012-01-21 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録


 かなり強い薬を処方されていと思う。夜中にトイレで目が覚める事があっても大体、朝の5時頃まで眠り続けているようだ。強い薬の副作用があるかもしれないがアシアナでの禁断治療より楽だ。アシアナでは身体が痛くてとても眠れたものではなかった。毎夜インド人とマッサージをし合っていた。ヘロインの禁断症状で最も辛いのは長く続く身体の痛みと不眠にある。予備知識の無いまま初めての禁断症状に襲われた時、今まで体験した事のない苦痛に囚われた。(1ヶ月やったら1ヶ月切れ、ブツの入手不可能の場所で、と教えられていた)同じ姿勢で座っていられない、身体を揺すり頭を前に下げ、そのままゴローンと横に倒れる。立って窓の前へ行き、1日中部屋の中を動き回った。スタッフを入れていた袋や引き千切ったパイプに粉が付着していないか、隠し忘れたかもしれないパケを探し出そうとして、ゴミ入れ漁りを何度もやった。初めての禁断にどうすればこの苦痛から解放されるのか全く分からなかった。禁断の1日目が終り夜になれば疲れ切って眠りがこの苦しみから救ってくれるであろうと、自分に都合の良い進展を考えていた。長い1日が終わり夜が来た。薬局で買った痛み止めと睡眠薬を飲んで明かりを消しベッドで横になる。吐きそうな荒い息。粉が欲しい。粉があれば、それだけが、それだけしか頭になかった。何度も左右に寝返りを打ち転げ回った。堪らずベッドに起き上がる。ベッドの下に座り込み両腕で抱えた頭をベッドの上に押し付ける。1シート、10錠の睡眠薬を飲んでいた。壁に沿ってふらふらとトイレへ行き座り込む。真直ぐ歩けない程睡眠薬は効いているのにスタッフによって形成された擬似脳は眠る事なく
「スタッフを体内に入れよ」と、いう指示を出し肉体を攻撃し続けた。こんな苦しみが続くなら
「続くなら、どうする。その先を言って見ろ」
「死にたいんだろう、勝手に死ねよ」
まだ耐えられる。一晩だけ耐えて生きる。ぎりぎり死に直面したら終りだ。
 インドでは当り前なのだが時間は大きく緩やかに流れている、日本のように正確ではない。病院で患者の食事担当をしているラウラシカでさへ食事の時間は適当なのだ。シスターによる投薬時間もそう言えばぼくから見ればいい加減に思われる。だがインドでは規定時間の前後30分ぐらいのずれは正常に進行している、誰にも文句付けられる筋合いはないのだ。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする