ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・24

2012-01-26 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 
 今回の粉の抜けは1ケ月では終りそうにない。前回、第4刑務所内のアシアナでは約7週間、入所して粉を断ち治療を受けた。ちょうど一年前だった。その時点ではまだ完全に禁断から抜け切ったとは思っていない。アシアナでの治療を終え第1刑務所の第2収監区に移送された。ぼくの依存症は当然ながら完治していない。1度、日本で完全に抜き切った時の感じ「あ~抜けた」という思いまでいっていなかった。その夜、ショッカンが持っていたスタッフをぼくは吸った。完治しないで今回のスタッフと繋げていたのだとしたら、3年間続いていることになる。今回もし1ヶ月入院したとしてもそれだけでは完全に抜け切れない。退院後、即帰国すれば切り抜ける事が出来るだろうが、帰国しないでメインバザールに残れば同じ事を繰り返す。
 ドクターには早く退院したいと言ってあるが出してくれそうにない。ぼくは以前、定期的にスタッフを断っていた。スタッフの量と日数を長期化させないためだ。何度も自分自身の判断でスタッフを切った経験があるので今、自分の症状がどの辺りか分かっている。薬が強いので身体の痛みは殆ど感じない。昨夜、2度トイレで目が覚めているのだが早朝まで眠っていた。今、病院の薬を止めたら酷い身体の痛みと不眠に苦しむはずだ。後1週間ぐらいで身体の痛みは背中から肩と首筋辺りまで小さくなる。そうなればもう入院している必要などない。本当は1ヶ月、年内は入院していた方がベターだ。それはぼくも分かっている、外部と隔離しておけば粉は吸えない。強制的な隔離を続けていけば薬物中毒症は再発しない。だからと言って一生病院に隔離する事は出来ない。薬物の治療が終れば危険な街に患者を放すしかない。
コメント
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